悟の決心
悟が会社の事務所で事務作業を行っていた。
整然とした事務所なので、仕事は行いやすい環境なのだが悟の表情は晴れない。
悟が考えているのは仕事のことではなかった。
ネタ作りのことだ。
悟には今、とても気がかりなことがある。
それは、くがっちと一緒にネタを考えても思うようなネタに仕上がらないことだ。
せっかく相方くがっちの才能を活かせると思っていたのだが、それが思うようになっていない。
そんな時だった。
「おお、どうしたんだよ。そんな顔してさ」
「藤島課長」
悟の上司に当たる課長の藤島が急に声をかけてきた。
悟より実年齢は一回り上のはずなのだが、随分と見た目は若々しい。
悟が入社してからずっとお世話になっている先輩なのだが、営業マンとしての技術、作法よりも清潔感、ファッション、肌や髪のケアなど見た目の話をすることが多かった。
会社の窓口である営業マンが心身ともにボロボロだとお客様が不安になるという心理をたっぷり教えてもらったので、今だから納得できる話ではあるが、入社当時の悟は不思議な気持ちで聞いていたものだ。
それとも藤島は自分が興味・関心のある話しかしてこなかったのか。
おそらく両者ともだろうと悟は睨んでいた。
「最近どうしたんだ、元気なさそうじゃん」
「そんなことはないですが……」
「ってことはもしかしてあれかあ? 便秘かあ?」
「いえ」
(何でそう思ったんだよ……)
藤島の考えに悟の理解が及ばない。
「そういう時は食物繊維だな。俺のおすすめは近くのスーパーに置いてある紅はるかの干いもだ。ちょっと値が張るが、あれがまた美味しいんだよな。安価で食物繊維を摂取するなら納豆とかもいいが、あんまり納豆好きじゃなくてさー」
藤島の健康オタクっぷりが炸裂する。
(あんたOLか!)
悟が心の中で藤島に壮絶なツッコミをかます。
あくまで心の中で、だが。
「そんじゃま、体調には気を付けてくれよ。お疲れー」
そう言って藤島はそそくさと帰ってしまった。
良くも悪くもお気楽な上司だと言えるだろう。
(えーと、何考えてたんだっけ……)
悟は急に藤島に声をかけられたものだから、考えていたことが頭から飛んでしまった。
当然と言えば当然だろう。
こうして、仕事を終えた悟は身支度を終え、職場を後にした。
(どうしよっかなあ、ネタ作り……)
悟は帰路を歩きながらネタのことを考えていた。
ここがどうにかならなければ、芸人としてその先があるとは言えないだろう。
漫才をするのだから、とにかくネタが大事だ。
それと、悟がネタを考える上で困っているのはクオリティだけではなかった。
出来上がるネタの本数自体もあまり振るわないのだ。
ネタのクオリティとそれを作るスピード、この二つはしっかりと両立していきたい。
(俺たちが協力すれば……、いや、ネタ作りを協力してする必要ってあるのか?)
悟はふとそんなことを考えていた。
ネタは最終的に二人でやるものだと思うが、ネタ作りにそれは絶対なのだろうか。
ネタそのものは悟が作ってもいいし、くがっちが作ってもいいではないか。
(そうだ、俺たちがそれぞれにネタを作るっての、いいかもしれない……)
悟は何だか、今まで立ちこめていた心のもやが晴れたような気がした。
そして、次第に悟の足取りが軽くなっていくのを感じていった。
これはすぐに帰ってくがっちに伝えなくては。
そう思いながら悟はアパートのドアを開ける。
「ただいま!」
「おかえりさとる」
「くがっち、俺はついにやめる決心をしたぞ!」
「パンツ履くのを?」
「違う!」
家に帰った悟をくがっちがボケながら迎える。
「違うよ、二人でネタ作りをするのをだよ。俺たちは今まで二人でネタ作りをすることにこだわり過ぎていたからな」
「言われてみればそうかも」
「これからはお互いでネタを作って、それをベースにして漫才をやっていこうってな。俺とくがっちがそれぞれネタ作りをすれば、一人の時間でもネタ作りが出来るしな」
悟が実に晴れやかな表情でくがっちに説明していた。
後は、くがっちがイエスと言ってくれるだけだ。
逆に、ここでくがっちからノーを突きつけられたら危険な領域に踏み入るかもしれない。
「さとるの表情が久しぶりに良くなった気がする」
「くがっち」
「どっちかがネタを作らないといけないってルールもないもんね」
「思いついたらお互いにネタを書いて見せ合えばいいさ」
「それいいかもね」
幸いなことに、くがっちが納得してくれた。
こうして、シタミデミタシは新しいネタ作りの形を取ることで再スタートとなった。
これは二人のネタ作りにも精が出そうだ。
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