未来は下見できない

たたみや

序章

「ったく、大家さんに急かされて来たものの、どうなってんだよ」

 大家さんからの連絡を受けて、三島悟みしまさとるは社有車を走らせて現地へと向かった。

 悟がやって来たのは、ボロボロのアパートだった。

 その見た目の古さは建っていることが奇跡と思わせる。

 社有車から悟が急いで飛び出した。

 悟の手にはマスターキーが握られている。

「すみません、急に呼び出して」

「大家さん、どの部屋ですか?」

「103号室ですよ、この前入って来た学生さんです」


 大家さんは年老いたおばあさんだ。

 前かがみになりながら、震えるような声で悟に伝えた。

 腰が曲がった大家さんの前に立った悟の長身が際立つ。

(ああ、あいつか……)

 悟は思い出した。

 そいつはとにかく頭の悪そうな苦学生だった。

 見るからに貧乏くさい雰囲気で、その上チャンチャンコにパンパースなんてありえない格好で部屋の下見にやって来たものだから、よく覚えている。

 むしろ忘れられないと言える存在だった。

 そんな彼の部屋から異臭がする上、ドアを叩いてもまるで反応がないと大家さんから連絡があった。

 ひょっとしたらということがあってはいけない。

 万が一自殺でもされてしまったら、大家さんも悟もたまったものではない。


(ここでためらってちゃダメだ……)

 悟は意を決して、異臭が漂ってくる103号室をマスターキーで開き、中へと入っていった。

 中を見ると、風呂にしばらく入っていないであろう汚れた姿の苦学生が吊り下げたロープに手をかけようとしていた。

 これは今にも自殺しようとしている。

「おい、やめろ! 早まるな!」

 悟は慌てて叫んでみるも、冷静に部屋を見ると、一つ気づいたことがあった。

 ロープは吊り下げ式の蛍光灯のスイッチにつながる紐に結ばれていた。

 こんなことをしても、自重でスイッチの紐が切れるだけだろう。

 相手がバカで助かった。

 そんなことを悟は考えていたが、刃物で自殺されても困るので急いで説得に動いた。


「おい、てめえ何やってんだ!」

「ほっといてくれ! 同級生や先生にはけなされ、夢のキャンパスライフなんて浮かれてたのがバカみたいだせ。挙句学費が払えず退学、こんな人生あってないようなもんだ……」

 苦学生は涙で顔をクシャクシャにして、か細い声で答えていた。

「おい、俺たちでお笑いをやるぞ!」

「へ、何で?」

「うるせえ! お前みたいなバカがお笑いやらないで何やるってんだよ!」

「ぼく、生きててもいいの?」

「ったりめーだ! ぜってー死ぬな! こんなんで死なれたらこっちの気分が悪いだろうが!」

 悟はとっさに苦学生に『お笑いをやる』と言ってしまった。

 何故だろうか、悟には全く分からなかった。

 目の前にいる大バカに一筋の可能性を見出したのだろうか。

 それとも、何となく過ぎていく日々に内心嫌気がさしていたのだろうか。

 それでも、目の前にいる苦学生の心に灯をともせたなら安いもんだ。

 苦学生が握っていたロープから手を放す。


「お兄さんや」

「どうしました、大家さん」

「部屋のお片付けよろしく……」

(バ、ババアあああああっ!)

 大家さんの無慈悲過ぎる一言に、悟が心で鬼の形相をしていた。

 部屋の方を振り返ると、苦学生がぎこちない笑顔を悟の方へ見せつけてきた。

 何故か悟もおかしくなって、苦学生にニヤリとした顔で返してみせた。

 こうしてまた出会った二人の、不思議な縁から物語が始まる。


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