第3章 ゲームチェンジャー

第18話 奈落の次は、修羅場、修羅場

 門をくぐると、見たことのない場所に出た。


 照明がチカチカしっぱなしの、真四角の部屋。

 ただそれだけの、がらんどう状態。


 風間ヤオは反射的にスマホを取り出して状況を確認するが、圏外のようで、奈落にいたときとまったく変わらない画面。

 

 しかし桐島クランは染みだらけの壁を見るや、


「ずいぶん綺麗になっていますね」


 感心したように頷く。


「オリーが投げてきた石をクランが場外ホームランして、立川に作ってしまった大きな穴です。一週間ほど前だったでしょうか……」


「桐島さん、あなたがいなくなってから三十年経ってますから」


「ああ、そうでした」


 くんくんと匂いを嗅ぎ、壁に手を触れ、耳を当てる。


「こんな下の階まできちんとリフォームするなんて、オリーにしては珍しく仕事が早いですね。そんなに時間が経ってないのに……」


 感心するクランであるが、


「桐島さん、三十年」


「ああ、そうでした。慣れませんね」

 

 クランはふふふと口を手で押さえながら笑った。


「ヤオさま。あなたが手にした強さの意味がわかりますか? オリビアの繰り出した魔法をクランが防ぎ、そのとばっちりを受けて消滅するはずだった立川の街を、レメディオスが迷宮化させることで救った。おわかりですか? あなたの左腕には三人の女神の力が結集しているのです。世界中の優れた武器をかき集めてもこれ以上のものはないでしょう」


 それを聞いても喜ぶどころか怖くなるのが風間ヤオという男である。


「……家に帰れたら、博物館に寄贈します」


「それは無理というものです。百鬼はあなたの一部。決して離れることはありません。博物館に寄付するというのなら、あなたもそこで生活することになります」


「家賃がなさそうでいいじゃないですか」


「あなたを養う維持費が高すぎて博物館の方が断るでしょうけれど」


「とにかく!」


 都合の悪いことはすぐ大声で打ち消す男。


「ここを出ましょう。家に戻ってこれからのことを考えないと」


「これからとは?」


 小首を傾げていたずらっ子のように笑う。

 これからという言葉が何を意味するのか、わかってるくせに聞いているのだろう。


「そりゃあなたのことですよ」


 ヤオは真剣に言った。


 半ば衝動的に連れてきてしまったが、破壊の女神と呼ばれていた女を奈落から引き上げてしまったことの重みくらいはわかっている。

 基本ネガティブな性格だから、これからどんな厄介事が起こるか次々とマイナス要因が頭に浮かんできているので、ヤオの表情は晴れない。


 とはいえ、今すべき事はひとつしかない。


「まずはここを出ましょう」


「どちらへ行きます? 右か左か、上か下か」


「実はそう言われると困っちゃうんですよね。落ちたところと場所が違ってて」


「ならばヤオさま。まずは壁に貼りつきましょう、忍びのように」


「え、なんで?」


 聞くまでもなかった。

 扉がどかんと蹴破られた途端、銃を持った兵士たちが乗り込んできて、一斉に銃を撃ってきたのである。


「なんでっ!?」


「動いてはダメ。ここに人がいるなんて兵隊も予想していなかったのです。安心なさい。彼らの狙いはあなたではありません」


 では誰なのか。

 答えは鳴き声でわかった。


「犬がいる……?」


 銃声に犬の咆哮が混ざる。

 喧嘩の真っ最中って感じの雄叫びで、憎しみと殺意をバキバキに感じた。


 やがて人の絶叫も加わってきた。


「怯むな!」とか「逃がすな!」という威勢のいい声もあったが、しまいには断末魔のような声もプラスされ、やっと静かになったときにはもう、


「みんな死んじまった……」


 血まみれになった三匹の犬の死骸。

 そして三匹に噛み殺された五人の兵士の死体。


 聖戦に参加していたクランも、掃除屋として長いキャリアを持つヤオも、こんな惨劇を目の当たりにしたところで動揺しない。


 クランはそれぞれの死体を興味深げに見つめ、探偵を気取る。


「お互いが脅えながら戦うとこうなってしまいますね。落ち着いて戦えば、お互い軽傷で済んだというのに」


 現場を冷静に分析するクランの横で、ヤオは両手を合わせて祈っている。

 そして死んでいる兵士の胸にぶら下がっていたタグをじっくり読み、さらに耳に付いていた通信機も拝借して、マイクに向かって声を出す。


「聞こえますか? こちらグループレッドの、赤木さんの通信機になります」


 すぐに反応があった。


『隊長の楠木です。あなたは民間人ですか?』


「はい。風間と言います。あと連れが一人」


 クランをチラ見する。

 大丈夫だと頷くクランを見て、ヤオは話を続けた。


「気づいたらここにいたもんで、場所がはっきりわからないんですけど、大きい犬が三匹、兵士が五人、亡くなっている場所にいます」


『くそっ! なんてことだ!』


 悔しそうな楠木さん。そりゃ部下が五人も死ねばそうなる。

 

「こんな時にすいません。どうして俺はこんな所にいるんでしょう」


 そんなの楠木さんだってわからないのは百も承知だが、自分が奈落からやって来たことを隠したいので、あくまで自分が巻き込まれたという状況にする。

 ゆえにこちらからどんどん嘘設定を作ってしまう。受け身ではだめなのだ。


『風間さん。ここのダンジョンはあの崩落と、その後の再構築のせいで非常に不安定になっていて、いくら封鎖を万全にしても、あなたのように巻き込まれてしまう方が多いんです。普通に外を歩いていたら魔力の乱気流に飲み込まれて、いきなりダンジョンの中に飛ばされるというようなことが』


「ああ、なるほどね」


 崩落。その後の再構築、という言葉に引っかかるけれど、今はとにかく出ることが大事だ。


「俺たち、どうすればいいですか? じっとしてた方がいいのかな」


 すると、楠木の声がぐっと低くなった。

 まるで謝罪会見のような重苦しさだ。


『風間さん。大変心苦しいのですが、あなたがとても落ち着いておられるから正直に言います。とても危険な状態であると認識してください。レーダーに識別されない高位の悪魔がダンジョンの至る所を徘徊しています』


「そうですか……」


 視線が三匹の犬に移る。


 犬というと、どうしたってあの白い犬を思い出す。


 ラテン語を話し、ただ見るだけで対象を木っ端微塵にできる恐ろしい犬だった。あんなのを前にしてよく死なずにすんだもんだと今さら思う。

 けれども、今、最も強く感じているのは、目の前で死んでる三匹と違って、とても美しい毛並みだったということだ。

 三匹がボロ雑巾をまとっているような感じなら、あの白い犬は神さまのペットって感じの気品すらあった。


 共通しているのはどちらもデカいということ。


 犬というより、恐竜と言った方がいいくらい。

 足から伸びる爪がエグかった。

 あんなのに引っかかれたら、体を根こそぎ持っていかれるだろう。


『風間さん。あなたはいま、地下25階にいます。まずその部屋を出て、道なりに進んでください。階段が見えたら、とにかく登る。上に行けば行くほど安全になります。地下10階まで登っていただけたら、我々と合流できるはずです』


「わかりましたけど、戻ってる最中に犬に出くわしたら終わりってことですね」


『大変申し訳ないが、そう言わざるを得ません……』


 なるほど助けは来ない。

 行きたくないと。

 まあ、無理もないな。


「わかりました」


 通信を切ると、クランがすぐに動いた。


「準備をしましょう」


 兵士が持っていた銃を五つ宙に浮かせ、手も触れずに分解して地面に落とす。

 

 銃弾だけが浮いたままだ。

 クランはその銃弾の群れを、水族館にいるイワシの大群のように泳がせた。


「武器はこれで十分です。上に参りましょう」


 桐島クランという人は何をするにも手を使うということがない。

 物を拾うとかドアを開けるという行為は、基本、魔法でする。


 ヤオにとっては目の前のドアが勝手に開いたという形になり、ドアが開いた瞬間に巨大な犬と目が合う形になった。


「あらららら……」


 情けない声を上げながら両手を挙げて後ずさりするヤオ。


 口から唾液を垂れ流してヤオを威嚇する犬。

 

 戦いが始まろうとしている。

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