第5話 思っていた話と違うのは底辺職に良くあること
東京は、破壊派の指導者だった桐島クランの本拠地であったことから、聖戦において最も攻撃を受け、最も様変わりした都市である。
栄華を誇っていた中心部は聖戦以降、荒れ地と化し、ダンジョンの密集地として、多くの冒険者を引き寄せ、叩きのめしている。
立川は聖戦前と比較的同じ姿をとどめていたが、新生派の女神オリビアがぶっ放した魔法のミサイルを、破壊派の女神である桐島クランが魔力で受け流したことで、底の見えない巨大な大穴が都市のどまんなかに不気味に存在していた。
巨大な蟻地獄のようなその大穴はダンジョンとしても知られていて、その不気味な存在感と比べて出てくるモンスターが雑魚だったり、道もそれほど複雑でなくほとんど一本道だったことから、あっという間に冒険者に踏破され、もはや石ころひとつ残ってないスカスカなダンジョンになっていた。
聖戦から三十年経った現在は「魔女の大穴」と呼ばれ、あのヒトラーと同じように、扱いにくい存在になりつつある桐島クランの「凄すぎる魔力」をしのばせる観光名所と化していた。
そこを政府は買い取って、若き冒険者のための訓練施設に改修した。
その訓練の掃除屋として風間ヤオはやって来ている。
ダンジョンの入り口に入るなり、別室で待機させられた。
学生たちが何人集まって、どんな訓練を受けているかまったくわからない。
わかったのは、清掃員を二十人募集していたのに、集まったのが十五人だったということ。
五人も人が足りていないと、それぞれのタスクが重くなるわけで、先を思うと憂鬱になったが、五人に渡すはずだった日給を十五分割して報酬に乗せてくれると聞いて掃除屋たちの機嫌はよくなった。さすがお役人。愛が深いぞと。
なのにヤオだけは渋い顔だった。
これから始まる仕事が相当キツいのではないかと推測したからだが、実際その通りだった。
一時間ほど待たされた後、役人がやって来て乱暴に指示を出した。
「それぞれの端末に清掃場所を送った! 仕事を始めろ!」
ヤオの仕事は地下一階の広大なスペースの拭き掃除。
役人が言ったとおり、ダンジョンのマップデータが既にスマホに送られており、赤く点滅している自分の持ち場までマップを頼りに歩く。
到着するなり呟いた。
「こりゃひどい」
汚い。
汚すぎる。
床も壁も、赤と黒のペンキを撒き散らかしたようにぐっちゃぐちゃ。
おまけに呼吸をすると咳が止まらなくなるくらいの熱気と、涙が出てくるほどツンとした臭いが充満していた。
「魔法実習のあとか」
でなければこんな汚れは出てこない。
炎、水、土などなど、様々な属性魔法が学生たちの手からぶっ放されたのだろう。
いろんな色の絵具を塗り重ねていくと最後は黒くなる。そんな感じだ。
こりゃ手間がかかるぞと頭をかくヤオの後ろから役人が叫んだ。
「午後も訓練で使われる場所だ! 三十分で終わらせろ!」
無茶なことを言ってくれる。
魔法の残りカスによる汚れがどれだけ頑固か、役人さんは知らないのだろう。
実際、清掃員全員が苦戦した。
いくら拭き取っても汚れが落ちないのだ。
なかなか進まない作業を見て役人は怒鳴る。
「もう一時間経つぞ! 何をしてるんだお前たちは!」
あちこちを見て回っては同じような内容を叫ぶ。
「昼休憩は無しだ! 学生に無様な姿さらしたくなかったらもっと早く動け!」
言葉のムチで清掃員を叱咤していくが、壁にもたれてコンビニのおにぎりを食っている風間ヤオを見て、いよいよ役人の機嫌が悪くなった。
「何考えてるんだお前は……」
怒りが溜まると逆に声が小さくなるタイプのようで、体をぷるぷる震わせながらヤオに近づいていく。
しかしヤオは平然と言った。
「終わってます」
「え?」
各現場を回っては遅い遅いと怒鳴りちらかすのがパターン化していたから、ヤオの持ち場だけピカピカになっていることに気づかないというか、現場を見てすらいなかった男。恥ずかしくなってちょっと赤面。
「お、おお、そうか」
でも謝らない。
役人が掃除屋に謝るなんてあり得ない話だ。
ヤオはおにぎりを食べきると、スッと立ち上がる。
「遅れてる現場があれば助太刀に行きますけど」
「む……?」
珍しいこと言うやつだなあと驚く役人だが、
「報酬は追加しないぞ」
「わかってます」
苦笑するヤオ。早く帰りたいだけである。
「地下三階の階段まで行ってくれ。よぼよぼのじじいで全然だめだ。権堂とかいったかな。そいつの補佐を頼む」
「わかりました」
指示されたとおりの場所に行くと、体中が軟骨で出来ているようなふにゃふにゃした権堂という老人が必死に床を磨いていた。
汗まみれで頑張ってはいるが、ほとんど進捗がない。
ヤオは老人の横に移動すると、ゆっくりと声をかけた。
「魔法の残りかすだから、普通の洗剤じゃ効果が無いんです」
優しく話しかけられても、疲れすぎて頷くことしか出来ない老人。
ヤオは笑顔で説明を続ける。
「床の色を見て、洗剤を変えていきましょう。最初は黒だから……」
あらかじめ雇い主が用意していた洗剤から必要な分を取り、埃を払うような軽い動きでモップを動かすと、いくら磨いても落ちなかった黒い汚れが一瞬で浄化される。
「あ、ありがとうございます……」
こんな自分に声をかけてくれてありがとうと苦しそうに呟く老人にヤオは耳打ちする。
「役人が最初に説明してくれればいいんですよ」
ヤオがしたように汚れに適した洗剤を使えば大した苦労もなく掃除が終わると役人だって知っているはずなのに、命令だけして野放しというのは、悪意によるものか、それとも自覚無き差別か。
どちらにしろヤオがあちこちにアドバイスしたことで魔法汚れの除去はあっという間に終わった。
役人はようやく終わったか、遅すぎなんだよと溜息をつくと、すぐに怒鳴る。
「次は地下五階から下だ! 時間が押してる! すぐに移動しろ!」
休憩も無しかよと、声にならない不満を体からほとばしらせつつ、疲れた顔で階段を降りていく掃除屋たち。
ただ一人、ヤオだけが大した疲労もなく軽快に階段を降りていく。
まさか、あと少しで自分の身にとんでもない不幸が起こるとは思ってもいない。
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