第34話 まさか、いや、そんなまさか

 何をしても全く汚れが落ちない真っ黒焦げの壁をヤオは注意深く眺める。

 ちなみにこのダンジョン内では本上八雲と名乗っている。


 匂いを嗅ぎ、指で触れる。


「やけにツルツルしてるな」


 これだと思う洗剤を使って拭き取ってみるが、まったく効果無し。


「ずっとこんな感じなんです。いったいどうすればいいのか」

 

 疲れ切った顔で汗をふく風間さん。立花詩織が変装した姿である。


 三年前、崩落していくダンジョンで劇的なお別れをした間柄であるが、今のところ両者全く気づいていない。

 なぜなら、お互い死んだと思っているから。


 汚れを前にああだこうだする二人を、桐島クランは不思議そうに眺めている。

 なぜわからないのだろうと思っていた。 


「よろしいですか? クラ、いえ、ワタクシが思うに、この壁全体にとてもとても薄い魔法の幕が貼りついているように思えます」


「まく、ですか?」


「難度の高い迷宮が多い土地です。やって来る冒険者もエリートばかり。薄いバリアを使って魔法やトラップを避けるなんて、造作もないでしょう?」


 その指摘に立花詩織はハッとなった。


「シャドウコーティング……?」


「そう思います」


「そうか……!」


 詩織は頬を赤くしながら、壁のあちこちに手を触れ、何か探り出す。


「ここだ……!」


 作業着のポケットに突っ込んでいたボールペンを手に取り、その細いペン先を壁に当てた。


 ビキビキビキっと壁に無数のヒビが走ったかと思うと、熱湯をかけられた雪のように薄い膜が溶けていく。


「おお~、すげえ~」


 思わず拍手するヤオ。隣でヨナもやったねと吠える。


「ここからは俺の番ですね」


 洗剤の入った霧吹きを二丁拳銃方式で持つヤオ。

 ヨナがモップを口にくわえ、軽快な動きで壁を磨いていく。


 三時間以上かけても何の変化もなかった壁の汚れが見る見るうちに消えて、美しい白壁が姿を見せていく。


 遅れまくっていた業務にめどがついて詩織は心の底から安堵した。


「ありがとうございます……。なんとお礼を言えばいいか」


 ペコペコ頭を下げると、本上さんは苦笑いで手を振る。


「気にしないでください。完徹したんでしょう? 少しでも休んでください。ここは俺とヨナでやりますんで」


 そう言いながら、チラリとクランを見る。

 あんたもやりなさいよと無言の圧を加えても、知りませんとばかりに視線をそらすクランに苦笑い。


 その瞬間である。

 ヤオの枯れた微笑みを見たとき、詩織の脳内で火花が散った。


 完全に思い出した。


 真っ暗闇の中に静かに落ちていきながら、最後まで他人の心配をしていた、あの男の笑顔を。

 その誇り高き生きざまに感銘を受け、姿を変えた後、その男の姓である風間と名乗ることにきっかけを作ってくれた男が、なぜか目の前に、いる……?


「どぅえええ!?」


 詩織は絶叫した。


「なんでなんでぇ?!」


 見た目は四十代後半な風間さんなのに、驚きの仕方が若々しかったので、ヤオたちは口をあんぐり開けた。


「どうしました?」


 当然のごとく尋ねてくるヤオに、詩織はちょっとだけ冷静さを取り戻す。


「い、いえ! 掃除に夢中になりすぎて徹夜していたことに今さら気づき、こうして声を張り上げてしまった次第……」


「はあ、なるほど」


「あ、あのう、ぶしつけですが、お名前は?」


「ああ、朝礼にいなかったから自己紹介してませんでしたね。本上です。で、この人が桐島さんで、この犬がヨナ」


「あ、ああ、ほんがみ。そうか、そうですよね」


 風間ヤオではなかった。

 そうだ。そんなことあるはずがない。

 あんな深い谷底に落ちて生きていられるなど。


 本上で良かった。

 もし風間さんだったら、多分、泣いちゃう。


「ところで風間さん、教えて欲しいんですけど……」


「なんでしょう! なんでも答えますが!」


 まだちょっと興奮が収まらず、前のめりな女。


「仕事を貰えたのは嬉しいんだけど、今さらどうしてここを改装する必要があるんでしょうか。わざわざカレンまで連れてきて」


 ああそうか。これだけは伝えておかねばなるまいと詩織は気を引き締めた。


「新宿の迷宮に放置されていた破壊派のモンスターが成長して次々と悪魔になっているのはご存じでしょうか」


「ええ、聞きました」


 かなり危険な場所なので、死んでも責任取れないかんねと面接で忠告されたばかりである。


「中でも厄介な人型になった悪魔が五匹もいることが調査の結果判明しまして、新政府はこの事態を重く見ているのです。このままだと東京はまた火の海になると」


「へえ」


 適当な相づちを打つヤオ。

 むすっと口を尖らせるクランが気になっている。

 破壊派の指導者だったクランは、我々の作ったモンスターは悪魔になんてなりませんと頑なに言い続けており、ヨナが「事実だよ」と諭しても、


「これだけは絶対に譲れません」


 と、決して認めようとしないどころか、ご機嫌も斜めになってしまうので、ヨナとこの話をするのはやめようとこっそり協定を結んでいるほどだった。


 とはいえ、目の前の風間さんはそんな事情知るよしもない。

 生真面目に、丁寧に、教えてくれちゃう。

 

「五匹の悪魔はさすが破壊派に作られただけあって、敵ながら実に優秀なのです。ただでさえ強い新宿のモンスターを統率の取れた軍隊のように鍛えて、多くの冒険者を殺めました」


 その話を聞くや、納得できませんわとばかりに舌打ちするクラン。

 やめなさいとヤオににらまれ、ふんっとそっぽを向く。


「さらに悪魔はこともあろうに新政府にメッセージまで送ったのです。冒険者から奪ったスマートフォンを利用して、ここは我々の領土だから去れと」


 これにはヤオどころか、クランも驚く。


「悪魔が土地の権利を主張するなんて」


「あと一ヶ月以内に新宿から去らないと、ダンジョンから出て東京を火の海にするぞと脅しており、実はあと三日でちょうど一ヶ月後なわけです」


「そりゃまた大変だ……」


「新政府は悪魔の要求を受け入れる気は無く、彼らと全面的に戦いを始めるつもりで、多くの冒険者を集めています。その拠点としてこのダンジョンを改装、要塞化するという計画を立てました。そのためにわざわざオリビアの娘カレンを連れてきたくらいです。激しい戦いになると予想しているようですね」


 オリビアの娘という言葉にクランは激しく驚いたようだが、いったいどういうことですかと質問するタイミングがなかった。


 あの森田が馴れ馴れしくやって来たからである。


「おお~、見違えるくらいに綺麗になったなあ。風間さんならできると思ってたんだよ、俺はよ~」


 がっはっはと笑う森田を、クランとヨナは冷たい目で見た。

 こいつは苦手なタイプだと光の速さで感じたらしい。


「これで首にならずに済むな! 俺のおかげだ、俺のおかげ! お、れ、の!」


 異性の風間さんの肩をバシバシ叩いて、人との距離感がつかめない空気の読めない男だと、クランとヨナをなおさらドン引きさせる森田。


 それとは正反対に、ヤオはこういう男が嫌いではなかった。


「さっき聞いたんですけど、森田さんって元弁護士なんですよね。しかもテレビに出てたくらいの」


 この言葉で森田のスイッチが入った。

 待ってましたとばかりに過去の武勇伝を語り出す。


「過去イチで忙しかったときにはさあ、全民放でコメンテーターやってたからな。知ってる? 朝だ王って番組。視聴率ゼロを記録した逆伝説の番組。俺、まさにその視聴率ゼロの時に出てたんだよ」


「ゼロ……、凄いですね」


「だろ~? 始まりました朝だ王! ってやって、ひゃっは~って気合い入れて手を振って視聴者に挨拶してるのをさ、世界中の誰も見てないって逆に凄いだろ」


「確かに逆に凄い……」


 そして森田の人生において最悪のエピソードがやって来る。


「あの上野竜也って金持ちの小僧がいるだろ」


 上野という言葉に森田以外の全員がびくりと反応するが、森田は気づかない。


「みんながあいつのこと立派だ何だ褒めるんだけど、どうも、あいつのことがうさんくさくてさ。目が笑ってない感じがして、あいつ絶対、陰でこそこそズルやってますよって、なんなら人の一人や二人殺してるんじゃないかなって冗談ぽく言ったらさ。大炎上しちゃって。仕事が次の日からゼロ。そんで、このザマよ」


「それは大変でしたね……」


 クランと目を合わせ、なんとなく頷きあってしまうヤオ。


 一方、立花詩織は忌々しい思い出が蘇って、怒りのあまり拳を振るわせるほどだったが、ひとまずは平静を装っていた。


 とにかく本上とその愛犬の活躍により掃除はぐんぐんはかどり、管理長はらららと小躍りするくらいに喜んだ。

 そして作業に関しては何の役にもたたないけれど、桐島クランがその微笑みと男好きするスタイルで役人たちを骨抜きにしてくれたおかげで、作業の遅れゆえにピリピリしていた空気もだいぶなごんだ。


 カレンが再びダンジョンに姿を見せたとき、昨日とまるで違うゆったりとした雰囲気が流れていることにすぐ気づいた。


 カレンの優れた魔術はその出所を即座に見抜く。


 頼りなげな男、しかし得体の知れない魔力がほとばしっている。

 そのそばを離れようとしない白い犬も、ただの犬じゃない。


 そして男が周囲と和やかに会話するのを、嬉しそうに見つめる美しい女。


 昨日までいなかった連中だ。

 奴らが何かを変えた。


 しかしカレンはくだらないと首を振る。

 あんな奴らのことを考えるのは時間の無駄だと考えた。


「どうせみんな死ぬ」


 英語でそんなことを呟く。

 おべっかばかり使う日本の役人に聞かれないようにするためだ。

 

 そしてカレンは自分の仕事を始める。

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