第35話 オリビアの娘
カレンは役人たちに冷たく指示を出す。
「旧御苑迷宮の強化作業を開始します。各自、私の邪魔をしないように」
小さく深呼吸をした後、両手から魔力を放出する。
カレンの体からほとばしる魔力が、旧新宿御苑の迷宮をより強固にしていく。
ダンジョンの柱、壁、階段すべてに耐震機能がほどこされ、全属性の魔術を遮断するバリアも広がって、鉄壁の要塞が作られていく。
ガタガタと小さい揺れが延々と続く中、掃除屋たちは待合室で迷宮の要塞化が終わるのを待っていた。
壁の色が白から紺に変色していくのを見て凄え凄えと騒ぐ掃除屋たちの中で、ただひとり、桐島クランだけが暗い顔をしていた。
ヤオの肩を小さく叩き、そっと尋ねる。
「あのカレンという娘は、本当にオリーの子供なのですか?」
あの戦争から三十年経っているのだからオリビアだって四十八歳。
子供がいたっておかしくはない。
そう思っても、クランにはピンとこない。
「間違いないです。カレンはたしか、三人目か四人目の子供だったと思うけど」
「その言い方だと、子だくさんのようで」
ヤオは苦笑した。
知らないのは無理もないけれど、オリビアの家族に関わる話は世界中の誰もが知っていることだ。
「全部で十八人います」
「……!」
強烈なアッパーをあごに喰らって、脳しんとうを起こしたボクサーのようなリアクションをするクラン。
「あ、あのオリーが……?」
恋愛なんてくだらないと常々言っていたあのカンタベリーの田舎娘が……?
「十八人ということは、すくなくとも十八回、男と関係を持ったと……?」
いけない、我ながら何を言っているのと頬を赤らめる。
落ち着きなさい、落ち着くのですクラン、と呼吸を整えている間、ヤオはオリビアに関する有名なエピソードを語ってくれた。
聖戦が終わり、新生派が主導する新政府が誕生し、新生の女神オリビアは事実上のリーダーになった。
他人は信用できないと公言するオリビアは、新政府の重要なポストを自分の血縁者で固めるという閉鎖的な人事案を計画する。
オリビアは、自らを競走馬のように扱い、誰の子種を宿せば優れた能力を持つ子供が産まれるか、遺伝子レベルの調査を徹底的に行った。
候補にあがった男性の精子を採取し、男と関係を持たぬまま、子供を産んだ。
一人では飽き足らず、有力と思われる男の精子を次々採取し、一人を産んだら、また一人。
自らの魔法で出産の痛みを感じないようにしたので、本人曰く、
「ニキビを潰すくらいのこと」
というノリで次から次へと十八人。
本人のこだわりにより、全員、女の子。
計画通り、いずれも凄まじい魔力を持ち、オリビアに絶対服従の忠臣揃い。
最初の六人くらいまでは愛着があったが、ポンポン産んでいくと「どうでもよくなってくる」と言うくらいに興味が失せたらしく、しまいには「A子、B子」とわかりやすい名前にしようとしたが、長女たちから猛反対を受けて断念したらしい。
いずれにしろ、オリビアの十八人の娘は、新政府において絶大な権力を持つアンタッチャブルな存在として、世界各地に散らばっている。
カレンもその一人なのだ。
といった内容をヤオから聞いて、クランは心の底から呆れかえったと同時に、かつての宿敵であり友人でもあったオリビアの執念深さに尊敬の念を抱いた。
「とても、とてもオリーらしい。あの子はいつだって意志の強さですべてを勝ち取っていく。強くて逞しい、哀れな子……」
そして改修作業は終了。
役人たちは盛大な拍手でカレンを称える。
差し出された花束をおざなりに受け取ると、カレンは役人に言った。
「悪魔の鳥が要塞に侵入しています」
まるで、雨が降ってきましたねと言うくらいの、あっさりとした物言いだったので、役人たちは一瞬わけがわからず、金縛り状態。
悪魔の鳥とは、悪魔が使役する諜報用の小型モンスターのこと。
一見すればただの小鳥なので気づかず放置されることもあるが、小鳥と悪魔はリアルタイムで繋がっているので、すでにここの情報は筒抜けということになる。
この失態は要塞を管理していた役人の準備不足、不手際ということになる。
「要塞化させる以前から侵入を許していれば、どれだけ魔法が強力でも、こういう状態になると警告していたはずです。敵が潜んでいたことに気がつかなかったのですか? 今まで何をしていたのです?」
「……」
役人に混ざっていたカレンのボディーガード五人がカレンを囲む用に立つ。
「私は対処できますが、あなた達はどうしますか?」
突き放すようなカレンの言葉に、役人たちはどうするどうする? と囁きあう。
地面の下から突き上げるような揺れと爆発音が響いて、役人は悲鳴を上げる。
悪魔の鳥は基本使い捨てである。
用が済めばその場で処理されるのだが、そこは人間嫌いの悪魔のこと、処理とはすなわち自爆、別の言い方をすれば特攻という形になる。
そしてサイレン。
絶え間なく鳴り続けるサイレン。
迷宮から理性が消えていく。
逃げていく役人。
いつもやっている訓練通りには誰も動かない。
ここに冒険者が一人でもいたら違う展開になっただろうが、冒険者がやって来るのは要塞化が終わってからで、それまでは待機状態。
つまり、この迷宮には戦える人間が一人もいない。
それを知ってるからこそ我先に外に出ようと散り散りになる役人どもを見て、カレンは本音を呟いた。
「これだからいつも戦争に負けるのよ」
――――――――――――――――――――
掃除屋たちはまだ待合室にいた。
なんか騒がしいなと気づいている者もいるようだが、森田に至っては、腕を組み、頭を大きく後ろに反らしながら爆睡している。
「また寝てるよ……」
皆が呆れかえっているとき、掃除屋の管理担当をしていた女性が必死の形相で駆け込んできた。
「解散です! 悪魔が侵入してたみたい!」
おいおいおい! と一気にパニック状態。
本当のことをいえば、やって来たのは悪魔そのものではなく、悪魔の鳥である。
しかし大事な情報が伝言ゲームになっているので、管理長はここにあのヤバい悪魔が侵入して大暴れしているのだと、真偽も確かめないまま、激しく動揺していた。
当然、それを聞けば誰しも戸惑い、怒る。
「何のための要塞化だよ!」
そういう不満は出てきて当然だが、ここで言っても仕方がない。
「早く外に!」
それだけ言うと、管理長は「仕事は済ませたから」と言わんばかりに一人頷き、とっとと出て行ってしまう。
それを見ていた掃除屋連中も、やばいやばいと立ち上がろうとするが、
「待ちなさい。ここから出てはいけない」
桐島さんの冷静な一言で、皆が動きを止める。
まるで仏像のような悟りきった表情で声をかける。
「ここに留まっている方が安全です」
私はここを動かないと椅子にふんぞり返る桐島さん。
「いやでも……」
戸惑う同業者たち。
ヤオが慌てて立ち上がった。
「この人の言うことは信じて良いと思います!」
そして仕事のできない風間さんこと立花詩織も立ち上がる。
「私も同感です! このダンジョンは既に要塞になったのですから、外に出るより部屋にこもった方が」
しかし説得はさえぎられた。
遠くで何かが大きな音をたてて壊れたり、ぎゃーっという役人の叫びもあちこちで聞こえてきたりしたので、不安が掃除屋を襲ってしまった。
「いやいやいや! 逃げないと!」
我先にと待合室のドアを開けて出て行く仲間達。
本上さんが来てくれて助かったと喜んだ男たち、ヨナを見てカワイイとはしゃいだ女たち、桐島さんはなんもしないけど、いるだけでなごむよねと笑っていたみんなが、部屋を出て行ってしまった。
結局、残ったのはクランの他にヤオとヨナ、そして仕事のできない風間さんと、いまだいびきをかいて寝ている森田だけになった。
クランは天井を見て嘆いた。
「なんてことを」
その言葉の後、ダンジョンの壁が一斉にまばゆい光を放出した。
その強い光は周りが何も見えなくなるほどの輝きで、何をしても起きなかった森田が「うおお眩しい!」と椅子から転げ落ちるほどだった。
転んだ衝撃で目を覚ました森田は仲間がほとんどいないことに気づき、
「おんやまあ、残業?」
と、待合室のドアにある小さな窓に近づいて外を見た。
そしてがく然とした。
外は死体の山だった。
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