第33話 謎のふたり組+犬
旧新宿御苑にある迷宮を職場にしている掃除屋たちが、いつものように待合室に入ると、あの「何もできない風間さん」がいまだに持ち場を掃除していたことに驚き、心底から呆れかえった。
「徹夜したのかよ」
「何の金にもならないのに、馬鹿だねえ」
「しょうがないよ、全部自分のせいなんだから」
「徹夜した割には終わってないのがひどいな……」
そんなことを呟いているうちに、森田という口の達者な掃除屋が青ざめた顔で待合室に飛び込んできた。
「おい、倉田と本宮が辞めたらしいぞ……!」
「ええええ」
頭を抱える掃除屋たち。
辞めた二人は現場のエース格だった。
彼らがいなくなるということは、仕事が回らなくなるのと同じ。
「風間をクビにしないなら俺らが辞めるって管理長に辞表を叩きつけたらしい」
森田の報告に掃除屋たちは悶絶した。
「森田さんがへんな知識ひけらかすから……!」
この森田という男。元弁護士という珍しい経歴の持ち主であったため、役に立たない風間を解雇しようとした管理長に「今のまま解雇すると法に触れるよ」と正しいことを言ってしまった。
風間がクビにならないのは森田のおかげなのである。
その結果、一番頼りになる掃除屋が同時に二人いなくなってしまうという皮肉な結果になり、戦力の低下を招いた森田に仲間たちの冷たい眼差しが降り注ぐ。
「しょうがないだろ~? 女神の娘が来てんのにそんなことしたら、風間さんどころか、会社自体がなくなって、報酬全部吹っ飛んじまうぞ!」
女神の娘とは、もちろんオリビアの三女、カレンである。
「カレンが母親に今の労働環境をチクったりしてみろ、やばいことになるぞ」
怪談話をするノリで仲間を脅す森田。
考えすぎですよと皆が否定する。
「あのカレンって人、超陰キャの引きこもりなんでしょ」
「そうそう。母親とも全然会ってないって聞いたけど」
なんてやり取りをしていると、管理長がやってきた。
いつものように朝礼が始まる。
「風間さんが昨日からずっと作業してますけど」
掃除屋の管理を任されている女性の管理長はどうでもいいと首を振る。
「ほっといていいよ。とにかく新しく来てくれた人、紹介するから」
おおと声を上げる一同。
こんなに早く人を補充してくれるとは、珍しく仕事が速い。
やって来たのは、男性一名、女性一名、あと、犬。
「本上です。よろしくお願いします」
気さくに頭を下げる中年男性は、いかにも掃除屋といった頼りなげな風貌であるが、佇まいはいい人そのもので、一同を安心させた。
そしてもう一人の女性。
これがとんでもない美人なので皆が度肝を抜かれている。
視線がこの人に集中してしまい、本上さんはもうどうでもよかった。
「桐島と申します」
お辞儀の仕方も美しい。
スタイルが良すぎて、薄汚れた作業着もこの人が着ると最先端のファッションに見えてしまうから不思議。
いったいぜんたいなんでこんな美人が掃除屋なんかになるのだろう。
どっかのCEOの愛人だった人が捨てられたのかと、森田が隣にいたおばさんにささやくが、下品なこと言うなとにらまれてしまった。
そして、犬。
なぜか、犬。
こんな所にどうして犬がいるのか誰もわからない。
なのに、そんな疑問をカワイイが上塗りしてしまって、誰も文句を言わない。
美しい白毛を輝かせながら、天使のような微笑みを向けるヨナという犬は、本上さんが飼っているペットらしい。
見ているだけでみんなシアワセ。
そう、カワイイは正義。
犬なんかいる意味ないだろなんて文句も出ない。
一通り自己紹介を終えた後、管理長は思いだしたように言った。
「あと風間って人がいるんだけど、いない人間だと思っていいから」
その言葉に皆が笑う。
森田だけが呆れたように口を閉じていた。
彼だけが「何もできない風間さん」の唯一の味方といえるが、風間さんの助けになれないのは、彼の作業も遅いからだった。
そしていつものように清掃が始まり、掃除屋たちは一時間足らずで、今度の新人が大当たりだと気づいた。
休憩時間、掃除屋たちはその話題で盛り上がる。
「本上さんってひと、すごいよ。あの人が動く度に汚れがばしゅばしゅ消えてくんだから」
「ほんとほんと。あの人がもう人間掃除機!」
「知識量半端ない」
本上たちとは持ち場が違っていたグループがその話を聞いて驚くなか、なぜか森田が胸を張る。
「だろ? 俺もそう思ってたんだよ。あいつはできる奴だってさ~」
「それにヨナちゃん。すっごくおりこう!」
「そうそう! 頼んでもないのに取りにいこうとしてた洗剤とか道具とか、先に行って持ってきてくれるの!」
「しかも両足に雑巾付けて拭き掃除までしちゃうし」
「おまけにカワイイし!」
「だろ~? 俺もそう思ってたんだよ。あの犬は利口だってさ~」
「じゃあ、あの桐島さんは?」
目を輝かせて聞いてくる男に、女たちは首をかしげた。
「あの人は何にもしないで本を読んでたわね」
なんじゃそりゃとずっこける仲間達であるが、
「でもさ、あんな綺麗だと男たちが張り切っちゃってさ。いつもの三倍早く動いてたよね」
「うん。役人も見とれちゃって、いつもと違ってえらく優しいんだから」
結局、男って馬鹿よね~という結論になる中、
「だろ~、俺も思ってたんだよ、あの女はきっと女神に違いないってさ~」
また馬鹿なこと言ってやがると、皆が森田に呆れるが、案外嘘を言っていないのは、たまたまなのか、それとも勘が良いのか。
――――――――――――――――――――
何もできない風間さんこと立花詩織は、ここら一帯を掃除し終われば、皆と同じぐらいのペースになるというところで、絶望的な足止めを喰らっていた。
炎の魔法が豪快に使われたと思われる一室で、壁が真っ黒焦げになっているのだが、なにをどうやっても焦げが消えない。
割と自分は我慢強い方だと思っていたが、八方手をつくしてもまるで綺麗にならないので、とうとう壁に向かってモップを叩きつけるようなこともした。
ガシャンと大きな音がしたから、近くにいた同僚がどうしたんだと、近づいてきたが、一向に進捗しない現場を見て、
「だめな人……」
と呟いただけでどこかに行ってしまった。
「くうっ……」
情けないやら惨めやらで、床に座り込む。
戦場においてどれだけ追い詰められ、ストレスを溜めても、自分の武器には決して当たるなと、尊敬する祖父に教わったのに、とうとうモップをぶん投げてしまった。
祖父はこうも言っていた。
「人は誰しも、なりたくない自分になっていく。理想の自分になるには、ひたすら己を磨き続けるしかない」
その教えが身に染みる。
今の自分は、一番なりたくなかった自分だ。
なんだかあまりに情けなくて泣きそうになってきた。
そんなときだった。
白い犬がやってきて、じっとこちらを見てくる。
「わん?」
どうしたのと聞かれた気がした。
なぜ犬がいるのかわからないが、なにはともあれ、かわいい……。
「迷子かい……?」
優しく声をかけたら、犬はブンブンと首を振った。
人の言葉がわかるのかなと苦笑していたら、男がひとりやって来て、黒焦げの壁を興味深げに見つめる。
白い犬は男の足にピタリと身を寄せ、静かに吠える。
男は言った。
「確かにこの汚れは厄介だな……」
そして男は風間さんを見つめて、優しく言った。
「大変でしたね。手伝いますよ」
「あ、はい、ありがとうございます……」
詩織はまだ思い出せない。
実に三年ぶりの再会であるから無理もないだろう。
そして本上こと風間ヤオもわかっていない。
真っ青な顔をした中年女性が実は立花詩織であることを。
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