第25話 魔犬を拾う

 雨宮が去って、ダンジョンにはヤオとクランとヨナ、そして三人の亡霊だけが残った。


 ゴンさんは真上に広がる漆黒の闇を見ながら呟いた。


「あんたはあそこから来たのか。わしらが勝てんはずだ」


 体の毒が全部抜けたような、晴れ晴れとした顔をしている。


 それは学生たちも同じであった。


「残念だな。もうすこしでうまくいきそうだったのに」

「でも十分やれたよな」


 ヤオは三人に近づく。


「邪魔もいなくなったし、話を聞かせてくれないかな。あの日いったい……」


 しかし学生は無駄だと首を振った。


「残念だけど、もう時間が無いんです。あなたがヨナを救ってくれたから、俺たちはもうここにはいられない」


「え?」


 クランの横にいるヨナを見て、ヤオは驚いた。

 あの大きな体がしぼんで、ただの犬に戻っていた。


 クランは言った。


「ヨナの力が無くなるということは、彼らは本当の意味でその生涯を終えるということになります」


 ヤオは慌てて学生の元に駆け寄った。

 彼らの体が薄く、透明になっていくのがわかった。


「ごめん。こんなことになるなんて……」


「いいんですよ。ヨナを解放するにはこうするしかなかった」

「だな。そもそも俺らが上野の言うことを聞いたのがダメだったんだ」


「上野……」

 

 ゴンさんを突き飛ばしてその心臓に激しいダメージを与えた男。

 ヤオの体に強力なスタンガンを浴びせた男。

 怖くなって逃げようとした女の子を容赦なく蹴った男。

 ヨナに向かってツバを吐いた男。

 助けに来てくれた女の子に全部あんたが悪いと言い切った男。


 上野か。


「ありがとう。このあと何をすればいいか、わかったよ」


 学生たちは頷くと、ヨナのそばに行って、その体を撫でようとしたが、その手はヨナの体をすり抜けたので、二人は苦笑した。


「巻いた実を刈り取っただけ。今はそう納得してる。家族に会えなかったのは辛いけど、こうしているだけで運がよかったんだよな」


「ヨナのおかげで考える時間が貰えました。感謝します。そんであの日、あなたを襲ってすいませんでした」


「そんなこと気にするなよ……」

 

 学生は笑った。


「あとはたのみます」


 そう言って二人は消えた。


 ゴンさんが残った。ヨナを見てニコリと笑った。


「わしも気が済んだ。最後に色々作れたからな」


 クランが老人に近づき、膝を突く。


「ご尊老、どうかクランに教えてください。二人の学生と違い、あなたはヨナの力でて擬人化していない。その強い魔力であの子の目を癒してもいる。あなたが今、ここにいるのは誰の力なのでしょう?」


「そいつは、あんたよりすごいってことになるのかい?」


「そうです。クランはそれがとても気になっています」


「いやあ申し訳ないんだがわからないよ。気づいたら一人で自分の死体を見てただけだからねえ」

 

 にっしっしとゴンさんは笑った。


「……そうですか」


「でもねえお嬢さん。わしは楽しかったよ。何もかもうまくいかない人生で、やっと人間らしいことができたから」


「そうですか」


「いったいだれがわしをこんな風にしたのか知らんけんど、こうしておまけの人生を楽しめたことを、わしは喜んでいいのかい? ダメなのかい?」


 老人が正直に思いの丈を言うので、クランも正直に言った。


「……クランにはわかりません。ごめんなさい」

 

「そうだろうけどね、ありがたいことに、わしは誰のことも恨まずに死ねるんだよ。それだけは嬉しいよ」


 そして老人はヤオを見ると、深いお辞儀をして、消えた。


 三人の亡霊は消え、大勢いた犬も悪い夢でも見ていたのかと首をかしげながらダンジョンの奥に消えた。

 

 人間はヤオとクランしかいなくなり、その横には小さくなったヨナがいた。

 美しい白毛のサモエドである。


「私はどうすればいいの?」


 ヨナが日本語で話しかけてきた。


「喋れるのかよ……」


 驚くヤオであるが、


「三十年生きてる。日本語くらいわかる。話したくても声に出せなかっただけ」


 そう主張するヨナにクランも頷く。


「レメの呪いはもう消えました。ここにいるのは恐ろしいほどの知能と魔力を持つ、お利口な犬です」


「そうか」


 ナダルの中にあった赤い石を二つに分け、潰れていたヨナの目に埋め込んでみた。


「見えるか?」


 ヨナはキョロキョロと頭を動かし、うんと頷いた。


「見える。とてもきれいに」


「そうか。目を取って悪かったな。痛かっただろ?」


「痛かったけど仕方ない。悪いのはあなたじゃ無くて、一番最初にした人」


 その言葉はとても納得のいくものだった。


「そうだな、最初にした人が悪いな……」


 上野を止めろという言葉が胸にストンと落ちた。


「ヨナ。一緒に行くか? 俺もクランも、行く当てがまるで無いんだ」


「あら、ようやくクランと言ってくれましたね」


「成長したでしょう?」


「物覚えが遅くて心配していました」


 くだらないやり取りをする人間を尻目に、ヨナは自信なげに呟いた。


「行っていいの? たくさん人を殺したのに」


 その戸惑いを解いたのはクランだった。


「行きましょう。あなたはクランと似ています。たくさん人を殺して、レメに呪いをかけられて、それでも生きている」


 しゃがみ込み、ヨナの頭を撫でる。


「あのご尊老にクランは宿題をもらいました。おまけの人生を生きることを喜んでいいのか、ダメなのか。クランはこれから考えていくつもりです。あなたはどうしますか?」


 ヨナはすぐに答えた。


「ついてきて。近道がある」


 奇妙な三人組は、こうしてダンジョンを脱出した。



――――――――――――――――――――



 立川は夜に包まれていた。

 ニョキニョキ伸びるビルがギラギラと輝きを放ち、光に集まる虫のようにビルに吸い込まれていく大勢の人を、桐島クランは真顔で見ていた。


「あの戦いが起こる前のようになっている。これがオリーの作りたかった世界だと皮肉を言ったら、あの子は怒るでしょうね。もっと全体を見ろと」


「まあ、穏便に生きましょう」


 クランをなだめるヤオ。

 道に落ちている石のようでしかない、さえない男の横に、誰もが足を止めて見とれるくらいの美人と、叫びたくなるほど可愛らしい犬がいる。


 それだけで彼らは浮いた存在になっていた。


 ヨナがヤオの服の袖を甘噛みしてくいくい引っ張る。

 家電量販店のテレビを見ろと訴えているようだ。


 上野竜也氏、都知事選不出馬を表明というテロップが大きく表示されている。

 ニュースを一時中断して速報するほどの内容らしい。


 あの男が満面の笑みで記者団の質問に答えている映像に切り替わった。


『上野竜也さんの都知事選不出馬表明を受けて、都知事選は大接戦が予想されます。上野氏は現在、支持候補を表明しておらず、全世代に絶大な人気を得ている上野氏の支持をどの勢力が得られるかが選挙戦の鍵になるのは間違いありません』


「……」


 ヤオはテレビに釘付けになった。


『上野氏は自分がまだ未熟であることと、立川迷宮崩落事件の被害者救済がまだ終わっていないことを不出馬の理由として会見で述べました。今回の意思表明を受けてSNSや上野氏の地元では落胆の声が……』


「彼ですか」


 クランはつまらなそうに上野の顔を見る。


「ええ、彼です」


 風間ヤオは強い口調でテレビの向こうの男に言った。


「覚えたからな」


 その一言を聞いたクランは突然機嫌がよくなって、その体をぴたりとヤオにはりつけ、ヤオの肩に自分のあごを乗っけて甘く囁くように尋ねる。


「あの男をどうやって地獄にたたき落としますか?」


「……クラン、怖いです」

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