第5章 人はどうせいつか死ぬ

第38話 忍びこむ嘘つきたち

 掃除屋たちは役人が驚くほどの勢いで旧御苑の要塞をピカピカにした。


 犠牲となった仲間達の死体をきっちり国に届け、その遺品も完璧に仕分けした。


 ほとんど意地だった。


 誰も家に帰らず、泊まり込みの作業を続けた。

 ヤオとクランとヨナに関して言えば元々住む家が無いというのもあったけれど。


 誰が一番役に立ったかと言えば、これまで掃除という作業にさほど意味を見いだせなかったクランが真面目に作業するようになったからだろう。

 彼女の魔法が作業における不便や手間のかかる仕事を全部はしょってくれたので、何もかもが上手くいった。


 元通りになったどころか、新築されたホテルのようになった旧御苑要塞を見て役人たちは喜び、よくやったと、掃除屋たちの端末に今回の報酬を送った。


 仕事はそれで終わりだった。


 総勢百人を超える優れた冒険者たちがやって来た。

 この日までに何があったかなんて知るよしもなく、それぞれに気合いを入れて要塞に入っていく。

 そして新たに雇われた掃除屋たちも冒険者の後から要塞に足を踏み入れていく。

 戦いに巻き込まれて死んでしまう可能性もある危険な仕事だから、皆緊張しているようだが、生き残れば多額の報酬が貰えることに違いはない。


 森田はそんな掃除屋に手を振った。


「がんばれや~」

 

 そして自らのスマホに振り込まれた報酬を見て、これくらいは当然だと頷くと共に、生き残れたことに安堵した様子。


「さあて、お別れですな皆の衆。これからどうするつもりだね?」


 即答したのはヤオだった。


「しばらくはここを拠点に稼ぐつもりです。悪魔がいなくなれば、かなりの冒険者がなだれ込んでくるはずだし」


「タフだねえ。俺はもうここには二度と来たくねえよ」


 一方、沈んだ表情なのは、仕事ができない風間さんこと、立花詩織である。


「私は……」


 立花詩織として生きていけない以上、正体がばれないように、人のいないところを転々とするしかない。

 そういう意味では、ヤバい迷宮とヤバいモンスターしかいないこの新宿は身を隠すのに最高の場所であったが、本上さんの言うとおり、迷宮からヤバい悪魔がいなくなってしまうと、ここは宝の山になってしまって、詩織としては住みづらい場所になってしまう。


 これからどうしよう。

 そう考えても答えが出ない。

 頭の中が真っ白だった。


「なんだか疲れてしまって、しばらくは何も考えられません」


 正直な気持ちを呟いたとき、桐島さんが言った。


「周りの方々は、思っているほど他人の顔なんて覚えていませんよ。もう少し堂々とされてもいいのでは?」


「えっ……」


 どきっとした。

 この数日間で桐島さんが凄腕の魔術師だと思い知らされていたから、正体がばれてしまったかと怖くなった。

 

 ふふふと宝石みたいに綺麗に笑う桐島さんが逆に怖い。

 間違いなく身バレしていると、全身から汗が噴き出る。


 これはまさか……。

 ネガティブ思考が荒れ狂う詩織。


「本上さんに知られたくないでしょう? だったら……、わかってるわね?」


 ほうらほらと、妖艶な微笑みでこちらのあごを撫でる桐島さん。


「や、やめてえええ……」


 といいながら、持っている財産全部抜き取られ、落ちていく私……。


 三年経つとここまで人は変わるのかという感じだが、桐島さんはそれ以上何も言わず、


「それではごきげんよう」


 と言って、シン風間さんとどこかに行ってしまった。


「変な奴らだったな。面白かったのは確かだけどよ」


 森田はそう呟いて大股歩きで駅に向かう。


 どのみち詩織も森田と同じ道を行くしかない。


 しかし動けない。


「私は……」


 どうすればいいのか。やはり答えが出ない。


 このまま永遠に立ち往生の人生なのかと頭を抱えたとき、あの森田がどったんばったんと彼なりの全速力で来た道を戻っていくのが見えた。


「ど、どうしたんですか?!」


 思わず声をかけると、森田は走りながら叫んだ。


「戻れって囁くんだよ! 俺の……」


 しかし日頃の運動不足が祟ったのか足がもつれて転ぶ。

 一番言いたかった台詞は言えず仕舞いだったが、それでも森田は起き上がって走って行く。


 それを見ていた立花詩織は、吸われるように森田を追った。



――――――――――――――――――――



 風間ヤオと桐島クランが向かったのはなぎ倒されたビルの根っこ。


 ヨナとここで落ち合う予定になっていた。


 風間ヤオを本上八雲にしてくれた老婆にヨナ経由でメモを渡していたのだが、メモに書いていた「欲しいものリスト」を老婆はしっかり用意してくれていた。


 誰がどう見ても魔法使いだとわかるような冒険者の装備と、回復効果のある食料、および水分。などなど。


 最初から掃除だけを目的にここに来たわけではない。

 仕事はまだ続く。

 そのために必要なものは全部手に入れた。


 多くの魔術師が愛用する有名なローブを着込むヤオ。


「思ったより軽いんだな、これ」


「魔法で処理されていますからね。それよりこれほどの防具がこんなに安く手に入ることにクランは驚いています。三十年の時の流れを感じます」 

 

 感慨深げに呟くクランであるが、彼女は武器も防具も身につけることはない。

 奈落で着ていた、黒のブラウスと灰色のスカートで十分らしい。


 ただこの人の場合、羞恥心というものがまるでないようで、ヤオが見ている目の前で普通に作業着を脱ぎ、下着姿を平気で晒すので、ヤオは慌てて背を向けた。


「前も言いましたけど、着替えるときは言って下さい!」


「あら、ごめんなさい。でも、今さら恥ずかしがる間柄でもないでしょう?」


「他人が聞いたら誤解するようなことを言わない!」


「ふふふ」


 ちらりとガレキの向こうを見るクラン。

 

「ヤオ。言っておきますけど、あの二人はあなたが思っている以上に、胸の奥に炎をくすぶらせておられる方たちです」


「あの二人って……、森田さんと風間さんのことですか」


「そうです。視聴率ゼロ男と、万年変装疲労女のことです」


 万年変装、疲労、女。

 その言葉にヤオはうなる。

 

「風間さんはホントに変装魔法かけっぱなしで生活してるんですか? そういう感じがまるでしなかったんだけど……」


「大したお方ですよ。普通ならものの数時間で寝込んでしまうのを、強い意思で耐え忍んでおられて、その気丈さに涙が出るくらい」


 全然出てませんよと呆れるが、


「どうしてそこまでする必要があるのかな」


 クランは笑う。

 彼女は心から楽しいと思うとき手で口を隠して笑う。

 ヤオが最近気づいたことだ。


「後で直接聞きなさい。案外、その時を待っているかもしれない」


「いやだけど、もう帰っちゃったでしょう?」


 クランは何も言わず、ヨナに何か耳打ちしている。

 ヨナはうんうんと頷くと、


「だったら任せて!」

 と元気に叫んだ。


「何を言ったんですか?」


「これから戦いが始まる。あり得ないとは思うけれど、もし悪魔が迷宮の外に出てしまったとき、あの老婆を守って欲しいと頼みました」


「ああ、なるほど」


 そのあと、クランが何気なく口にした言葉は、これ以降のヤオの人生においてとても貴重な糧となる言葉になった。


「戦いにおいて大事なのは、起こりうるすべての不利やトラブルを想定し、そのための対策をすべて行っておくこと。それが最も重要だとクランは考えています。ヨナを向かわせたのも、そのひとつです」


「すごいな……」


 あらためてヤオはクランの凄さを知った。


 そして。



――――――――――――――――――――



 兵士は、本上八雲が差し出した身分証を見て、心からの敬礼をした。


「ご苦労様です! 健闘を祈ります!」


「ありがとうございます」


 風間ヤオは心地よい笑みを浮かべながら、またあの要塞に戻っていく。

 掃除屋ではなく冒険者として。


 新生派の、クラスSの、凄腕魔術師だ。


 見慣れた門をくぐると、役人と掃除屋たちが拍手で出迎える。


 ヤオは役人の顔を覚えているが、役人はまったくピンと来ていない様子。


 ヤオの後ろにいたクランはまた手で口を隠した。


「ほうら、気づかれない」

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