第23話 ヨナの記憶
レメディオスによってただの犬では無くなったヨナはダンジョンに隠れた。
一週間も断たないうちに魔法が使えるようになり、人の言葉も聞き取れるようになった。
レメディオスとのやり取りを何度か思い返しているうちに、彼女が口から出していた言葉を話せるようになった。ヨナは知らなかったがそれはラテン語であり、結果、一ヶ月でラテン語をマスターした。
ただ、どういうわけか日本語だけは話せなかった。
それは現地の日本人と接触を持つと厄介だと判断したレメディオスがかけた呪いであった。
離ればなれになってから三ヶ月ぶりに会いに来てくれた飼い主の老夫婦を見たとき、ヨナは大いに喜んだ。
飼い主も涙を流して喜んで、さあ家に帰ろうねと言ってくれた。
けれど、その後、二人は死んだ。
彼らの血液をヨナは沢山浴びた。
ダンジョンに誰も近づかないように。
お前はただ見ればいい。
レメディオスの言葉を思い出し、ヨナは怖くなった。
飼い主を自分が殺したと気づいた。
ヨナは悪魔になった。
飼い主が死んだことで調査に来た警察や軍人も殺してしまった。
それから十年経って、この場所が恐ろしいダンジョンであることを皆が忘れてしまい、肝試しをしようと子供が何人かやって来た。
かつての飼い主と同じように、可愛いと言って近寄って来る子供たちを見て、ヨナは逃げた。
しかし子供たちは追いかけてくる。
来てはいけないと叫んでも、ラテン語では通じない。
結局、子供たちはヨナに触れようとした瞬間にはじけ飛んでしまった。
そこら中に散らばる子供たちの肉片を見て、ヨナはこれ以上ない空腹感に襲われたが、子供の肉を食うことはせず、その場を逃げ出した。
それからすぐ武装した人間がやって来て、ヨナを殺そうとしたが、数分も経たずに全員はじけ飛んだ。
それからヨナはダンジョンの奥深くに逃げた。
月日は流れ、すこしずつダンジョンが改装されていくのを見た。
人が入ってこないダンジョンの奥まで逃げ込み、大人しくしていた。
空腹に襲われ、それを乗り越えると、なぜか体が見る見る大きくなっていった。
こいつは人を食わない利口な犬だと察したレメディオスがヨナに仕掛けた特殊な育成魔法であった。
ヨナはひたすら待った。
人間たちがダンジョンを綺麗に整えて、立ち入り禁止区域も作ってくれて、そのおかげで侵入者は来そうに無かった。
レメディオスが約束を守って迎えに来てくれるはずだと、じっとしていた。
それでも三十年の歳月で、何かの弾みでダンジョンに入ってきた人間はいて、どうあがいても彼らを殺してしまった。
こればかりはどうにもならなかった。
あの日、学生が大勢、現れたとき、ついにレメディオスが来てくれたと喜んだが、そうではなかった。
一人が自分にツバを吐いてきて、仕方なく抵抗しようと思ったら、違う人間が死んでしまった。
そして別の男が迷宮の心柱たる武器を手にしたとき、レメディオスがヨナにかけていた呪いの強化魔法が完全に解除されたのがわかった。
崩落を逃れたヨナは、落ちていたドローンの残骸から伸びていた突起物に顔を突っ込むことで、自ら両目を潰した。
レメディオスの呪いから解放され、無意味に人を殺すこともなくなった。
何も見えなくなって、これで死ねると思った。
三十年、年も取っていなかった。
ゴンさんに出会ったのはその時である。
「お前もわしも、長いこと捨てられていたんだねえ」
ゴンさんはそう言うと、ヨナの目に土を塗った。
傷が癒え、見えるようになった。
人を見ても、人が死なない。
ゴンさんがヨナを救った。
ゴンさんのおかげでいろんなものを観察できるようになったことで、ヨナはゴンさんが死んでいること、そして自分の魔力がずば抜けて高いことに気づいた。
一人と一匹では寂しいと、ダンジョンの中で転がっていた死体から魂を擬人化させた。自分が殺してしまった学生の魂も同じようにした。
二人の学生とゴンさんはここに残ることを選び、結果的に、加害者と被害者が過ごす、奇妙な共同生活が始まった。
ヨナは彼らを自分の子供のように思った。
老人は昔、芸術家になりたかったんだと教えてくれて、土で作った見事なアクセサリーをヨナにいっぱいくれた。
学生たちを背に乗せると喜んだ。
「もののけ王子だ!」
と叫ぶが、意味はわからなかった。
けれどもヨナも楽しかった。
三十年間、ずっと一匹だったから、家族ができて嬉しかった。
やがて学生たちはダンジョンをさまよう内に、
「俺たちを捨てた奴に復讐をする」
と言いだし、迷宮の心柱をいじりだした。
どこからか野良犬がわんさかやって来て、大きくなり、増えていく。
外に出たいという彼らの意思をヨナは尊重することにした。
集まってきた犬を鍛えて、初めて自らの意思で戦おうと思った。
自分をこんな風にしたレメディオスに対する憎しみに気づいた。
絶対にあの小娘を殺すと誓った。
しかしその野望は、奈落からやって来た冴えない男に阻止されたのである。
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