第22話 白い犬
白い犬はあの日と同じように解読不能な言葉を使って話しかけてくる。
あの言葉の後、とんでもないことが起こったわけだが、今はクランがいる。
「彼女はヨナと言うそうです」
「かのじょ……」
「私の子供に手を出すなと言ってます」
「こども……。確かにボコボコにしたのは申し訳ないけど」
「違う。犬じゃない。あなたが見ているあの人たちだと」
あの人たちって、あの幽霊のことか?
「産んだの?!」
仰け反るヤオに対し、ヨナはギャンギャン吠える。
何を言われているかはわからないが、ばっかじゃねーの! と言われているような吠え方ではあった。
「彼らの魂を私が擬人化させたのだ。あんな老人を産めるか。鏡見ろ、バカ。と言っております」
「……最後のあたり、あなたのアドリブじゃ無いですよね」
「さあ?」
名前で呼んで欲しいという話の後からクランのことを桐島さんとすら呼ばなくなったので、実を言うと女神は機嫌が悪くなっていた。
「とにかく!」
都合の悪いことは大声で誤魔化す男。
両手を開いて、戦う気が無いことをヨナに示す。
「伝えてください。事情はよくわかった。俺が見聞きしたこと全部持ち帰って、国の偉い人に伝えるから。それまではここで大人しくして欲しいって。外に出たら大変なことになるから。待ってくれって」
「伝えはしますけど、聞かないと思いますよ」
クランの言うとおりで、しかもヨナはせっかちだった。
すごい勢いで突っ込んできた。
「やあ、始まった始まった」
野球を観戦に来た子供のように学生たちは喜び、ふわーっと宙に浮いて高みの見物を決め込む。
ゴンさんだけは相も変わらず土をこねているが、何を作っているんだろうと探る暇がヤオにあるはずも無かった。
ヨナの攻撃は光のように速かった。
今までの犬とは比べものにならないくらいに踏み込みが深い。
体当たり、えぐるようなパンチ、喉元に飛び込んでくる鋭い牙と、単打の連発を越えた、流れるようなコンボ攻撃を繰り出してくる。
しかし、ヤオはそれらを全部避けた。
血気盛んなヨナには申し訳ないが、彼女の攻撃ですらヤオには遅く感じて、当たる気がしなかった。
そしてヨナの目的が、クランの修復作業を止めることであることもわかっていたから、ヤオをすり抜けてクランに飛びかかるような動きを見せたときは、その首や足をつかんで、容赦なく壁に吹っ飛ばした。
それでもヨナはフルスロットルの攻撃を五回、繰り出した。
ヤオは軽々と避けた。
学生たちは黙り始めた。
お気に入りのチームが、弱小だと思っていたチームの弱小投手に完全試合ペースの投球をされているような、やばくね……? という空気に襲われている。
「もうよそう」
ヤオはヨナに呼びかける。
ヨナはぜえぜえと荒い息をしていた。
動き出すのも難しそうなくらい疲労困憊なのを見て、ヤオはクランに近づく。
「修復作業はどんな感じで?」
「ご覧なさい。余計なものが剥がれて、本体が見えてきました」
ヤオが手にした小太刀よりも小さいナイフがゴミにくるまれているのがわかる。全てをはぎ落として綺麗なナイフに戻すには時間がかかりそうだ。
「これはオリーの……。しかし、その割には粗雑な……」
難しい顔でナイフの刀身を睨みつけるクラン。
これ以上何か聞くのは迷惑かなと思い、クランから離れる。
そのタイミングでゴンさんが立ち上がった。
「ここまで踏み込んできたのは、あんたらが初めてだよ」
土でこねていた何かをヨナに向かって投げる。
手で作っていたとは思えぬほど精巧で美しい首輪がヨナに巻かれた。
そしてヨナの目から、うろこのようなものがポトリと落ちた。
そしてカット目を見開いて、ヤオとクランを見つめてくる。
「気をつけて」
クランが呟くと同時に、ヤオも防御の姿勢を取っていた。
魔力がたぎる左腕で自分の顔を隠した。
見えない何かに体を圧され、何メートルも後ずさりした。
左腕がショートしたように湯気を出す。
それを見て老人は驚いた様子。
「まさか受け止めるとは……。あんたどうしてそこまで強くなったんだね?」
「運がよかっただけです」
ヤオは正直に言った。
あの犬は対象を見つめるだけで木っ端微塵にすることができる。
うろこのようなものがヨナの目から落ちたとき、その能力が解禁されたとヤオは咄嗟に判断し、その目を見ないように腕で顔を隠した。
それを思い出せなかったら、たぶん、あの学生と同じようにはじけ飛んで、血肉をクランに振りかけていただろう。
しかし老人はぼそっと呟く。
「気をつけるんだね。同じことは二度起きないよ」
「でしょうね」
ゆで上がって真っ赤になった左腕を見れば誰でもわかる。
もうあの攻撃は防げない。
それでもヤオは落ち着いている。
何とかなると思っていた。
「ごめんな」
左手を伸ばす。
それだけで済む。
ヨナの眼球が見えない力でバシュッとくりぬかれ、ヤオの手に収まった。
それを見たクランは大きく頷いた。
「お見事」と褒めてもくれた。
ヨナは吠えた。
何の抵抗もできず、突然両目を失い、信じられないという驚きと、光を突然失った恐怖で吠え続けた。
「な……」
立ち尽くすゴンさん。
それは学生たちも同じ。
「ヨナ……うそだろ」
あのヨナがここまであっさり敵の攻撃を喰らうなど、考えもしなかったのだろう。
苦しそうな犬の鳴き声だけが響く。
ヤオにくりぬかれた二つの眼球は、赤い血を垂れ流しながら、砂のように消失した。
その間に、ヤオは幻を見た。
不思議なものを見るハメになった。
ヨナの視線。ヨナの主観だ。
それが彼女の過去であることはすぐにわかった。
――――――――――――――――――――
聖戦の真っ最中の初夏。
オリビアの隕石が近づいてきて、東京が崩壊しますとラジオやテレビがギャンギャンに騒ぎ立てたせいで、ヨナは飼い主と一緒に避難することになったが、パニック状態で街が混沌とする中、飼い主からはぐれてしまった。
飼い主を必死で探そうと町中を走り回っていたヨナを見つけたのは、浄化の女神、レメディオスだった。
「ねえ、可愛い犬だよ!」
レメディオスはヨナの頭をごりごり撫でた。
相手のことを考えない独りよがりの可愛がり方で、ヨナはその美しい少女に恐れを抱いた。
「かわいー! ちょーかわいー!」
小学校低学年程度の背丈しかない可愛らしい少女。
翼の無い天使と呼ばれるほど、レメディオスは美しかった。
「ねえ見てオリー、凄く可愛いよね」
レメディオスに呼びかけられても、オリビアは反応しない。
その背中しか見えない。
「レメ、あなたがこしらえた迷宮なのだから、あなたが最後まで責任を取るのよ。ここは三人の女神の力が集まる危険な場所になってしまった。奥に誰も入らないように、あなたが何とかして」
そう言って視界から消えていくオリビア。
「うん、わかった!」
元気に答えたレメディオスは、その大きな瞳でヨナをじっと見つめる。
ヨナの首輪をその手で引きちぎると、満面の笑顔でヨナに言った。
「お前、可愛いからレメが力をあげる! クランがするみたいに、お前を強くしてあげる!」
その言葉と共に、バリッと電撃が走る。
「お前は他の犬よりずっとずっと長く生きられる! それにずっと可愛いまま! だからお前はずっとこのダンジョンにいる! 誰もここに入れないように、おまえがずっとここを守る!」
レメディオスはヨナを抱きかかえ、たかいたかいを繰り返す。
「おまえはただ入ってくる人たちを見ればいいの。そうすればみんな死ぬから! 簡単だよね! ずっとここにいて、見ればいいだけだから!」
そしてレメディオスは満面の笑顔で手を振って、去って行った。
ダンジョンにヨナだけが取り残された。
「全部終わったら迎えに来るからね~!」
去り際に放ったレメディオスの言葉がやけに記憶に残った。
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