第48話 わるいやつら

 上野竜也は自らを「単純な男」だと評する。


 これ以上ないくらい高級な物を欲し、それを手に入れることができれば、震えるくらいに満足し、買ってしまえばもう興味を失う。

 そしてもっと高い物が欲しくなると。

 

 上野は貪欲な自分を自覚していたし、それが自分の長所だとも思っていたし、これからも欲しいと思ったものはすぐ手に入れることができるように、もっと自分を高いところに置きたいと、強く願っていた。


 彼にとって立川の事件は成り上がるための最初の一歩だった。


 振り返ってみても、判断をひとつでもミスれば、間違いなく自分も死んでいたか、刑務所送りだったと思う。

 それくらい難しいミッションだった。

 

 実力というより、ほとんど運が良かったと考えるべきだと自らに言い聞かせた。

 調子に乗るな。今までは運が良かっただけ。大事なのはその運をつかんで離さないこと、そのために自分を磨き続けて、実力を養うことだと。


 そして上野はここまで来た。


 京都で一番大きなタワマンの最上階から、街を見下ろしている。


 ここに至るまでどれくらいの嘘をついてきたか、覚えていない。

 いったいどれくらい、自分より弱い人間を力で押さえつけ、自分より立場が上のやつらに頭を下げてきただろう。それも覚えていない。


 ただ、ここまでくると自らの手を汚す必要はなくなった。

 部下にあっちに行けと言えばあっちに行くし、戻ってこいと言えば戻ってくるし、あいつを殺せと言えば、殺してくる。


 そんな力を得た自分に上野は心から酔っていた。

 何もかもが上手く行っている。

 京都の夜景を見て、いつもそれを思う。


 ただ、今日に限っては少し珍しいことが起きた。


 頼りになる部下の一人が、ある部下の失態を報告してくるレアな状況だ。


「南亜子が消えました」


「へえ……」


 上野はそれしか言わなかった。

 誰だっけと思ったからである。

 

 南亜子は上野のクラスメイトであり、立川の迷宮において上野が犯した殺人のすべてを目撃していた女である。


 それゆえに口封じとして上野からたくさんの援助を受けていたが、実際はいつ上野に殺されてもおかしくない監禁状態に置かれていた。

 知っての通り、ヤオとクランによって南亜子は逃走を図っている。


「あぁ、あいつか! 死んだのか?!」


 部下を束ねる本山という美女は静かに首を振る。


「どうなったか全く消息がつかめないのですが、現場の状況や近隣住民の目撃情報などを考慮すると、おそらくは逃げたと」


「おそらく……、じゃあわからないぞ」


「非常に優れた集団が脱走の手引きをしたとしか考えられません。南亜子に貼りついていた凄腕の刺客が、一週間、全く動けない状態にされており、そのせいで我々の調査も大きく出遅れました」 

  

 非常に優れた集団という言葉に上野の表情が曇った。


「先生を呼んでくれ」


 本山は小さく頷き、部屋を出て行く。


 先生と呼ばれた男は、数分も経たずに上野の部屋にやって来た。

 上野が小学生の頃に、母親から紹介された家庭教師で、松田という。

 

 一向に学校の成績が上がらなかった上野の学力が、この教師のおかげで飛躍的に向上したことで、上野はこの男を心から信頼するようになっている。


 そしてこの教師は少しずつ、上野の私生活にも口を挟むようになった。立川の崩落事故を上手く切り抜けたのはこの男の助言があったからだし、こうしてそれなりに成り上がることができたのも、この男のサポートのおかげなのだ。


 優秀なこの教師は、上野が説明するまでもなく、すべてを聞いていた。


 先生はあっさり言った。


「南さんはどこを探しても見つからないでしょう。一週間も猶予があったのです。彼女の家族まで綺麗さっぱり消えたそうだし、海外のどこかにでも消えたんでしょう。してやられたと言うほかありません」


 上野は苦笑した。

 あの先生がしてやられたというなら、その通りなのだろうと。


「ですが放っておいて問題ないと思われます。南亜子も愚かではない。自分の身を守るため、彼女の方から何かすることはないでしょう。外から我々について真実を話す真似をすれば、どうなるか、さすがにわかっているはず」


「先生がそう仰るなら問題ないね」


 上野は本山を見て同意を求める。

 本山は小さく頷いて、上野と先生の視界から消えた。


「私が気になるのは、南亜子を援助した謎の集団です。今のところ、女が一人ということ以外何もわかっていない。これほどのことをしでかした以上、何かしらの目的があるに違いないとは思いますが、動機もまだ不明」


「確かに先生の言うとおりです」


 上野は先生の指示はすべてメモるようにしていて、今も熱心な顔で手帳に書き込んでいる。

 

「そいつらを探った方が良いでしょうか」


「いえ。相手の情報が少なすぎます。しばらく様子を見るべきです」


 いつだって松田先生は冷静沈着。

 まるで機械のようだ。

 クソ親父は先生を不気味な奴だと嫌うけど、それは違う。


 松田先生はどんなときでも、自分の味方でいてくれる人なのだ。


「先生の言うとおりにします。さしあたり、福生のプロジェクトを進めて良いと?」


「もちろんです。今はただ、やろうとしていたことをやるべきでしょう。ですが、相手がいつ動いてくるか、用心はすべきでしょう。どんなときにおいても些細なことを見逃さぬよう。お互いに」


「わかりました。急に呼び立ててしまって、すいませんでした」


「いいえ。むしろいい判断です」


 先生はそう言って、部屋を出て行った。

 松田先生が玄関のドアを閉めるまで、上野はずっと頭を下げていたが、ガチャリと鍵が閉まる音が聞こえると、


「さすが先生だ」


 と心からリスペクトしつつ、ある部屋のドアに触れた。


 物理的な鍵に加え、指紋認証から声紋認証まで要求されるセキュリティガチガチのドアを開けると。


 そこにはさっきの本山という女がベッドの上で裸で座っていた。

 上野を見ると、立ち上がってお辞儀。 


 適度に鍛えられた美しい体を恥じらいもせず晒す。


 上野はそれを上から下まで眺めると、


「傷は治ってるな。それくらいミスがなかったんだ」

 と呟いた。


 上野の私兵ともいうべき集団を束ねているのが本山であるが、何か一つでも失態をすると、本山がその体を上野に差し出すことになっていた。

 そうすることで上野の傭兵たちは粛正を免れている。


 上野はその性格上、部下の失敗を許容できず、カッとなってつい無駄な暴力を振るってしまうことが多かったが、部下がミスをする度に女を抱くという習慣を作ったところ、部下の不手際を聞いても不愉快になるどころか、やった、女を抱けるぞと感じるようになって、良かったと思っている。


 特に本山という女は、自分好みの痩せたスタイルな上に、何をされても生気のない顔ですべて受けいれるが、ほんの一瞬、辛そうな顔をするのが良いと思っていた。


 上野の行為は基本、暴力的なので、その部屋にはそれらしい道具が山ほどあり、本山は上野と重なる度に傷を作った。


 本山のしなやかな体に傷が見えないというのは、しばらくぶりにミスをしたと言うことになる。

 久しぶりなので、上野は喜んでいた。


「さて、今日は何を使おうか……」


 コンビニで何を食べようか物色するようなノリで道具を手に取っていく上野。


 それを何の感情もない目で見つめる本山。


 性行為に関するもの以外何もない部屋であるが、壁一面に、ある女の写真が所狭しに貼られている。


 立花詩織。

 上野が唯一手に入れられなかった上物である。


 笑顔の詩織。真顔の詩織。疲れたように空を見る詩織。

 とにかくいろんな詩織がいる。


 壁のありとあらゆる所に詩織の写真を貼ることで、どういう行為をしても、必ず詩織と目が合うようにしたいらしい。

 自分の行為を見せつけている気分になったり、つまらない女を抱いているときは、そいつを詩織と置き換えたつもりで行為に及ぶそうだ。


 上野竜也は、今、そういう男になっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 08:00 予定は変更される可能性があります

ダンジョン底辺職「掃除屋」のおっさん。奈落にて女神を拾う、魔犬を拾う、新妻を拾う。そして新世界を蹂躙する! はやしはかせ @hayashihakase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画