第17話 女神を拾う
一緒に行きませんかと尋ねると、クランは読んでいた本を畳んで、両目を閉じだ。
「わかっています。あの大戦の責任を問うためにクランを裁判にかけるのですね。当然のことです」
「ああ、いや。そういうつもりはないんです」
慌てて弁解しつつも、ヤオは自分の中に起きた変化について話す必要があると考えていた。
「ぶっちゃけますと、最初にあなたを見たときは腹がたってました。おいおいふざけんな、生きてるじゃねえかって」
「ええ」
「でもなんというか、あなたは本に書かれてるような頭のおかしい独裁者じゃなかたし、テレビのコメンテーターが言うような殺人鬼でもなかった」
なんだそりゃと口を尖らせるクラン。
「三十年経ってクランはそんな風に言われているのですか?」
「何なら俺は吸血鬼だと思ってましたよ」
「まあ……」
でも違った。
右往左往しながらここを抜け出そうとするヤオをなんだかんだサポートしてくれたり、訓練に明け暮れるヤオの姿を、あの分厚い本を盾にしつつ、ちらちらと心配そうに眺めていたり。
そしてやけっぱちになって呪われた腕を切り落とそうとしたヤオに、何をするんだと大声を出して駆けてきたクランを見たとき、ヤオは確信したのだ。
「掃除屋を長いこと続けて、いろんな冒険者を見ているうちに、わかったことがひとつあるんです。死んだ人のせいにするのが一番簡単で効率がいいって。歴史って結局そればっかりですよね」
「……」
「きっとあなたもそうなんだって。あなたと一緒にいるうちにそう思うようになりました。だからあの聖戦だって……」
「おやめなさい」
クランの言葉はいつもの百倍以上、強かった。
「あなたが地上に戻ったとき、平和に暮らしていきたいのなら、これ以上踏み込んではいけない」
「それならそれでいいんです」
クランが言いたくないのなら、これ以上突っ込む話でもない。
黙るヤオを見て、クランは銀の首輪を見ろと指さす。
「あなたが地上で何をするつもりか知りませんが、クランは役に立ちません。レメの呪いで、女神なんて呼ばれていた頃と比べたら、赤ちゃんです」
ヤオは苦笑した。
「あなたを連れ帰ってお金を稼ごうとか、高い地位に就こうとか、そんなことは考えてないです。まして戦争しようなんてね」
「では何を?」
「特に何も考えてないです。一緒に掃除屋でもしますか?」
思いつきで放った言葉にクランはピクリと眉を動かした。
「それはあれでございますか。一緒に暮らそうとか、結婚しようとか、そういう類いのこと?」
「ああいや、そんなわけないですよ!」
面白い冗談だと笑ったあと、ヤオは少しだけ本音を呟いた。
「余計なお世話ですけど、ここに居続けるのは良くない、とは思ってます」
「そうですか」
クランは少しの間、目を閉じたあと、姿勢を正してヤオと向き合った。
「掃除屋というお仕事がどんなものか詳しく知りませんけど、多大な体力と根気が必要とされる職種であることは察しがつきます」
「そりゃまたどうして」
「あなたには他と比べものにならぬほどの視野の広さがあるからです。日々のなりわいで身につけた能力だとクランは考えました」
破壊の女神はリストを膝元に置くと、その大きな瞳をまっすぐヤオにぶつけた。
「ですからあなたはとっくに気づいているはず。この奈落において最も醜いゴミがこの私だと。ですから、そんなものほっておきなさい」
しかし、ヤオは言った。
「掃除屋はそういうのを拾って帰るのが仕事です。知ってますか。扱いにくいゴミほどリサイクルするときにいい素材がいっぱい出るんです」
「面白い言い方ですね」
クランは笑うが、ヤオは真剣な顔でクランを見続けたので、珍しくクランは怯んだ様子だった。
「
クランはすぐに答えた。
「1200ページ。
「俺の本名です。その名前で生きていくのは危険だから名前を変えなさいと、俺を面倒見てくれた人が手配したので、俺は今、風間ヤオなんです。だから、そのリストから消した方がいい。生きてますんでね。覚える名前がひとつ減りますよ」
破壊の女神はまるで恐竜の化石を見つけたような顔でヤオを眺めた。
「あなたは破壊派だったのですね」
「最後のひとりだと思ってました。全員殺されましたからね。まさか一番偉い人が生きているとは思わなかった」
「……ではあなたはどうして」
「替わってもらったんです。今でもその日のことは覚えてる……とはあまり言えないんです。記憶がぼんやりしすぎていて」
――――――――――――――――――――
はっきり覚えているのは、自分より先に両親が射殺されたことだ。
同時に頭を撃たれて、頭からいろんなものが飛び散って、地面に両親が倒れて、それで済んだはずなのに、動かなくなった二人にまだ銃を浴びせた。
次はお前だとヤオの手を取る兵士の前に中年の男性が割り込んできた。
どいてくださいと兵士は丁寧に言ったが、男は首を振った。
残念なのは、男の名前も、その表情もまったく覚えていないことだ。
仕方の無いことではあった。
男と会うのはその日が初めてだったし、ガンガンに照りつける日光のせいで男の顔も識別できなかった。
ただ脳裏に刻み込まれているのは、その力強い声と大きな手。
「やっぱりおかしい。結果はどうあろうと、なにもかも彼らの責任にするのは納得できない。まして子供に責任を負わせるのはどう考えても間違ってる。この子は何もしていない! そうじゃないのか!?」
男はそう言って、ヤオの腕をつかむ兵士の手をひき剥がそうとする。
兵士はうろたえながら男を退けようとする。
やめてください、これは命令ですと訴える兵士に男は言った。
「だったら俺が替わりになる」
あなたはおかしい、気が狂っている、そんな言葉があちこちで飛び交う中、男は自分の手にあった指輪をヤオの中指に優しくはめたあと、まだ小さいヤオの肩にどんっと手を置いて、こう言った。
「行くんだ。後ろを向くな。走るんだ!」
それからヤオは走った。
背中から声がした。
「元気に生きろよ!」
それから銃声が一発、鳴った。
―――――――――――――――――――――
途切れ途切れの記憶ではあるが、わかっている限りの話をヤオから聞いた後、クランは両目を閉じ、祈るように呟いた。
「あなたの替わりに死んだ新生派の人間は、あなたの知り合いでも何でもなかったのですか?」
「そのはずです。いったい誰だったのか調べてみようと何度も思ったし、今でも思っているけど、情報が少なすぎて、いや、ゼロだったから」
「なるほど」
クランは目を閉じたままだ。
「あなたを生に駆り立てるのは、その日があったから?」
ヤオは頷く。
「生きている以上、もらった命を無駄にしたくないんです。生きているのなら、これ以上ないくらい全力で生きます。あの人が墓場で納得してくれるくらいには」
「なるほど」
「それに探したいんです」
「なにを?」
「自分が生きてる意味って奴です。ホントは死んでたのにって思うとね、なんだかこの世界になじめないんですよ。異物感がある。だから考えてしまうんです。この世界で俺は何をするべきなのか……、もらった命をどうやって活かせばいいのか」
「あなたが掃除屋であり続けたい理由もそこからだと?」
「そうかもしれません。あんまり深く考えたことないけど。ただ、あの人が俺にしてくれたみたいな、相手が誰であろうと助けたいと思ったら助ける奴でありたいとは思っています。それが命がけだったとしてもね。だから俺はあなたを連れて行きたいと考えています。そういうことです」
「ふふ」
クランは子供のように笑うと、攻めるようにヤオを見た。
「とても美しい物語のように自分の思い出を語ってくださいましたけど、クランにはあなたが死よりも重い呪いにかかったとしか思えませんでした」
ヤオも笑った。
確かにその通りじゃないかと思って、おかしくなった。
「上手いこと言いますね」
ヤオは手を伸ばした。
「それはあなたも同じこと」
クランはにっこり微笑んで、ヤオを見つめた。
「あなたにかかった呪いがあなたを傷つけないよう、クランがあなたを守ります」
ヤオの手を取って立ち上がった。
あのリストを魔法で豆粒サイズに小さくすると、首輪の隙間にしまい込んだ。
「それは心強い」
「あなたがクランを拾ったから、クランはあなたのものです。あなたの全てに従います」
「そこまで言われると逆に怖いんですけどね」
むしろ呪いがひとつ増えた感があるが、
「ではヤオさま。これからどうします?」
決まっている。
「ここを出ましょう」
二人の前には、奈落を出るための門がある。
もう、彼らを邪魔するものはいなかった。
地上に戻るときが来た。
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