第27話 うってでる
立花詩織。
聖戦の英雄、立花完爾を祖父に持つ。
生まれたときからずば抜けた魔力の持ち主で、浄化の女神レメディオスが直々に教えを授けたほどの能力を持っていた。
おまけにとても美しい容姿の持ち主であったので、かねてから引退したいと連呼していたオリビアの後継者にふさわしい逸材と評されるほどだった。
しかし約束されていた女神への道は、立川迷宮崩落事件によって閉ざされてしまう。
訓練を見届けずに出て行った祖父の替わりを、15歳だというのに押しつけられ、その経験不足から混乱状態に陥った学生を抑えることができず、ダンジョンの崩壊を防ぐことができなかった。
責任を取るため単身でダンジョンの奥深くに飛び込み、上野と共に多くの学生を救ったが、自身もダンジョンから放出された有害物質を吸い込んだせいで肺に重い病を背負い、車椅子の生活を余儀なくされた。
上野を筆頭とした被害者の会が、立花詩織に責任はなく、むしろ事故の被害者であると訴え続けたので、事故の責任を問われることは無かった。
そして上野は献身的に立花詩織の看病を続け、立花詩織が16歳になったその日に婚約したことを発表し、世間に衝撃を与えた。
あの悲惨な事故の加害者ともいえる女性と被害者が婚約するというニュースは、憎しみを越えた愛として世界中を涙させたが、立花詩織は婚約から三ヶ月後、病によってその短い生涯を終えた。
上野は妻の葬式を終えた後、記者団の前に立ち、こうなることはわかっていた。その上で結婚したと語り、どんなことがあったにせよ、彼女と出会えて幸福でしたと気丈に述べた。
そんなニュースがノートにまとめられていた。
舌打ちが止まらない。
あの事故現場で二人がどんなやり取りをしていたかすべて見ていたヤオにとってみれば、到底信じられない話である。
死んだ魚のような目で車椅子に座る詩織と、その横で穏やかに笑う上野の姿を見ていると、なんだか無性に腹が立ってくる。
雨宮が去り際に言った「無念を晴らせ」という言葉の意味が染みてくる。
深い溜息を吐いた後、ヤオは気合いを入れようと、かつて孤児院で読み漁っていた本の一文をそらんじた。
「公正を水のように、正義をつきない川のように、流れさせよ」
「あら、旧約聖書のアモス書ですね」
「そうなんですか。俺はクリスティの復讐の女神って本で知ったんです」
ヤオはクランの横にどかっと座った。
そして夜空を睨んだ。
「まず、隕石を降らすのはダメです。まわりの被害がデカすぎる」
「安心してください。今のクランでは不可能ですから」
「仮にできたとしてもダメです。俺は戦争したいわけじゃない」
クランは黙ってしまった。
風間ヤオという男は、年の割にふにゃふにゃしているところがあるが、時々、クランが驚くくらいに芯が強くなるときがある。
その瞬間にドキッとしてしまうことをクラン自身、わかってはいる。
「あとクラン、さっき言ってたけど、自分が死んだことにも気づかないくらいの熱で上野を殺すってのもダメです。自分が何をしたか思い知らせて、全方位に謝罪させた上で、死にたくないよと叫ばせながらじわじわと溶かすつもりでいかないと」
「ご主人が一番おっかないこと言ってる」
ヨナが冷静に突っ込むが、
「冗談だよ。言っただろ? 俺はことなかれ主義なんだ」
肩をすくめるヤオをクランは心配そうに見る。
結局クランは、風間ヤオという男がわからない。
かつて、千人を超える兵士を自分の手足のように使って、あともう一歩で世界を征服できるというところまで勝ち続けた女神なのに、目の前にいる男がこれから何をしようというのか、まるでわからない。
だからこそそばにいてやろうと、今までにない感情に襲われてここまでついてきたのであるが、今もまた、クランはヤオの身を案じている。
そんなクランの揺れに気づいているのかいないのか、ヤオは彼女の横でだらしなく背伸びをしながら、言うのである。
「俺は掃除屋ですから、掃除屋らしく、コツコツ行きます」
「そうですか」
「一時間後、二時間後のことを考えない。目の前にある汚れをまず綺麗にする。これが時短に繋がるんですよ」
「なるほど」
クランはくすりと笑った。
そしてヤオの言葉を静かに胸にしまうことにした。
わからないの先にある、知らなかったという気持ちが、不思議とクランの体を温めてしまう。
「だからまず、取り返すことにします」
「取り返す、とは?」
ヤオは別の写真をクランに見せた。
ある人物の記録がそこにあった。
あの日、現場にいた唯一の女子。
ヤオが新生派の人間だと証明する指輪に気づき、新生派の人間を襲ってしまったと脅え、そしてヤオの指輪を奪った子だ。
「まず、指輪を返してもらいます」
自分が新生派だと嘘をつくのに指輪は何かと役に立つ。
しかし、ヤオにとってはそれ以上の意味を持つ、命より大事な指輪だった。
自分の命を捨ててまでヤオを救ってくれた男から託されたバトンである。
クランはそれを呪いと言ったけれど、ヤオにとってあの指輪は生きている証なのだ。
――――――――――――――――――――
南亜子は新生派の住人が集う住宅地の、そこそこ大きなマンションで、ほとんど引きこもりの生活を送っていると雨宮ノートに書かれていた。
学生時代は非常に優秀で、冒険者志望を公言し、資格試験の合格も間違いないとされていたが、あの崩落事故以降、学校にも姿を見せなくなり、事故から三年経過した現在も冒険者資格試験は受けていない。
近所づきあいもまるでなく、あの事件以降、家族とも連絡を断ち、実家に帰っていない。
被害者の会の一員として国から補償金を毎月もらっているし、自身も在宅ワークでちょびちょび稼ぎを得ているようだが、今の住居はそれらの稼ぎとまるで釣り合わない格上のマンションであるという。
雨宮は、南亜子が崩落事故の真相に関わる秘密を知っていて、それを公にしないという条件で、何らかの組織から手厚い保護を受けていると推測していた。
そして、その組織には間違いなく上野氏が絡んでいると断言しているが、確定的な証拠はつかめていないと冷静に現状を書いている。
雨宮はこう書いていた。
南亜子の周囲には、常に監視がいて、南亜子を見張っている。
聖戦上がりの傭兵なのかは不明だが、非常にスキルのある奴で、単身でそれに絡んでいくにはあまりにも危険だ。彼の存在がある以上、これ以上南亜子に近づくのは危険である。
しかし、南亜子は自分が監視されていることに気づいており、また深く脅えている。彼女がほとんど家に出ず、冒険者になることも諦めてしまった原因はすべてここにあるだろう。
以上のことから、南亜子はこの三年間、保護されていながら、実は拉致監禁されていると言っていい。
そして最後に雨宮はこう書いている。
週に二回、夕方五時。食材を買いに家を出る。
店はいつも同じ、歩く道も同じ。
その日は必ず、例の見張りが一人、南を高いところで見張っている。
女に近づくチャンスであるが、それはまた我々をおびき寄せ捕獲する罠でもあり、はっきりした勝算がある限り、近づいてはいけない。
それを読んだ上で、ヤオはクランとヨナに言った。
「では作戦を始めましょう」
ヨナは威勢よく吠えた。
「任せて」
そしてクランは嬉しそうだ。
夏休み初日を迎えた小学生のようなテンションである。
「こういう仕事がクランはとても楽しいです。昔に戻ったみたいで」
ルンルンでヤオから離れていく。
弾む背中を見て、ヨナは不安そうに言った。
「昔って、いつのこと?」
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