第2章 落ちた男。落ちていた女。はいあがる男。吸い寄せられる女。

第13話(1/2) 奈落にて 前編

 目が覚めた。

 まず意識があることに驚いた。


「嘘だろ」


 夢じゃない。

 絶対死んだと思っていた。


 落ちている時間があまりに長く考えるのを止めていたのでどうやって生き残ったのかはわからない。

 

 とにかく生きてる。


 絶妙にやわらかい枕の上で心地よく寝転がっていた。

 

 よく見たら、もの凄い近距離で、女の子と見つめ合っている。


 今日は美人によく会うなと、のんびり思った。


 あの勇ましい女剣士には凜とした美しさがあったけど、目の前にいる女の子はひたすらカワイイがほとばしっていた。


 灰色のプリーツロングスカートに黒のブラウス。

 ふわふわしたボブカットがとてもよく似合っている。


 小悪魔という表現がまさにふさわしい、愛らしい娘。


 ただひとつおかしなところがあって、なぜか首輪をしている。

 しかもリードまでついている。

 リードの先端が地面についてしまうのがいやなのか、リードも首にぐるりと巻いていた。

 犬の散歩に使うシロモノにしか見えないので、こんなもの身につけて倫理的に大丈夫かと心配になるほどだった。


 ヤオは、そんな美しくて奇妙な女性の膝を枕にして寝ていた。


 さらに女の子はモナリザのような優しげな笑みを浮かべながら、ヤオの髪の毛をよしよしと撫でていた。


 その感触がとても心地よかったのは間違いないが……。


 いったいどうしてこうなった?!


 戸惑うばかりのヤオに、女の子は言った。


「奈落に落ちたのにあなたが死ななかったのは、クランの真上に落ちて、クランがあなたを受け止めたからです。あなたにとってそれが幸福だったのか、そうでないのか、わかりませんけれど」


「は……?」


 奈落、クラン……?

 気になる単語が二つ出てきたが、


「奈落って、なんですかそれ?」


「世界の底です。全ての迷宮がこの奈落と繋がっています」


「すべて……」


「そう。日本にある迷宮も、ブラジルにある迷宮も、南極にある迷宮も、北千住にある迷宮も、ガラパゴス諸島にある迷宮も、落ちていった先は同じ場所。それがこの奈落です」


「どうしてそんなことが」


「偉大なご先祖様が強い魔法で作り上げたからとしか言えませんけれど。まあ、自分の目で見てご覧なさい」


 言われたとおり、起き上がる。


「これは……」


 見渡す限り、海。

 ただし、その色は漆黒だ。

 真っ黒い海原がどこまでも広がっている。


 ヤオは灰色の海岸に立っていた。

 前を見れば黒い海。後ろを見れば、どこまでも灰色の砂。


 海に大量のゴミが浮いている。

 粗大ゴミ、生ゴミ、書籍、使い古しの武器、防具、なんだかよくわからない塊。


 なんて汚い海だと顔をしかめるヤオを見て美少女は微笑んだ。


「奈落は巨大な廃棄場。世界中から放り投げられたゴミが全て奈落の海に落ちていく。今もこうして、ほら、あそこ、」


 少女が指さした方向に、キラキラと光りながら落ちていく何かがある。

 遠目で見れば流星群、間近で見ればゴミの塊ってことだろう。


「つまりここは地獄、ってことですね」


「いいえ。地獄には苦しみがあるけれど、ここには何もありません。時間ですら生きられぬ、静寂の場所です」


「時間……? 時間が死ぬんですか?」


 見るもの聞くもの何もかもが驚くことばかり。

 パニック状態のヤオを見て、美少女はふふと手で口を覆って笑った。


「あの大きな戦いが終わって、何年たちましたか?」


「ちょうど三十年ですね」


「であれば、本当ならクランは三十八歳になっているはずです。けれど今も変わらず十八のまま。奈落にいるということは生きているでも死んでいるわけでもない。ただそこにいるだけ。あなたもそうです。胸に手を当ててみなさい」


「あっ」


 心臓が動いていない。


「あなたもクランもここにいる限りは止まっているのです。血も、呼吸も、細胞も。けれどその体は朽ちることなく、そこにあり続ける。不思議ですね」


「……な、なるほど」


 わかったような、わからないような。

 とにかく自分は死なずに済んで、世界の底に落ちた、とだけ自覚しよう。


 なにより、他に聞くべきことがある。

 ヤオは大きく深呼吸をして気持ちを整えた。


「あなたは桐島クランですよね。破壊派の女神……」


 その問いにクランはヤオではなく、黒い海を見ながら答えた。


「そうです」


 桐島クラン。聖戦において破壊派を指揮し、世界の全てをぶっ壊して原始時代からやり直そうとした魔女。

 

 人類史上最も優れた魔術師であり、その伝説的エピソードは数知れないが、聖戦における最大の殺人者かつ最大の戦犯であるとされ、それゆえに、月日が経つごとにその存在を表に出してはいけない空気になっている。

 

 まさか、こんな所で会うとは。


 二人の女神の総攻撃に耐えられず、その身を炎に包まれ灰になったとされていた。彼女こそが破壊派の象徴であったことから、彼女の死は破壊派の終わりであり、聖戦の終わりでもあった。


 ヤオは頭をかいた。


 まさかこんな所で会うとは。


 いったいどうすりゃいいんだ?

 

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