第14話 掃除屋と女神

 破壊の女神クランが作ってくれた道しるべを追ってひたすら歩いている。

 

 永遠に朝が来ない、ずっと曇り空の奈落の中で月のように輝く道しるべの真下に、二本の鉄柱が突き刺さっていた。

 高さは身長170センチのヤオより少し高い程度。

 

 ちょうど目線の高さに、ここを押せと言わんばかりのスイッチがあったが、動力を失っているとクランが言った通り、いくら押しても何の反応もない。


 であれば、奴の出番だ。


 立川のダンジョンをその魔力で支えていた心柱の剣。

 百鬼という名前らしい。どうして百鬼なのか意味はわからない。

 こいつの魔力で火を入れろとクランは教えてくれた。


「頼むぞ……」


 小太刀を鞘から抜く。

 見ているだけで魂を持ってかれそうな妖しい輝きを放つ刃を柱にそっと付けると、柱の根元から強烈な勢いで空気が放出され、地面の砂が暴れ出す。


 耳と鼻と口に容赦なく入り込んでくる砂に苦しめられる中、柱の天辺から音声ガイドが流れ出した。


『五番ゲート。再起動を開始。立川ブロックとの接続成功。60秒間、周辺1区間の時流を放出。十秒以内に門をくぐってください』


 アナウンスが終わると同時に空気の放出も止まって、激しく舞っていた砂粒たちも静かに地面に還っていく。


「動いた……」


 全身砂まみれのまま笑顔になる。


 門をくぐれば家に帰れるってことだろ。


 こんな簡単でいいのか。

 しめしめである。


 しかし。


「あれ、いっで……」


 全身が震え出す。


 左腕がかっと熱くなると、肘から手首に至る部分が煙を吹きながら黒焦げになっていく。


「こ、これは……」


 苦しい。熱い。痛い。


「そ、そうか……、そういうことか……」


 時が動く。というクランの言葉の意味を知る。


 立川の迷宮で百鬼を拾ったときからもう呪われていたのだ。

 呪いによってヤオは焼け死ぬことを覚悟するくらいに苦しんだが、奈落で目を覚ましたときはなんともなかった。


 時が止まっていたから、やけどの進行も止まっていたのだ。


 しかし門のスイッチを入れたことで、止まっていた時間が流れた。

 そのタイミングで呪いによる炎上も再開してしまったことになる。


「これはやばいっ……」


 全身が痛い。

 体中に見えないナイフが刺さってくる。


 脚が動かない。


「行かなきゃ……」


 門の入り口はすぐそばだ。

 くぐってしまえばいい。

 

 砂の上を這いずる。

 かすかに動く腕の力だけで門へ近づく。


 なのに門ときたら冷たい。


『時間になりましたので門を閉じます。ご利用ありがとうございました』


「いや、まだ待って……」


 全然ご利用していないのに、そんな無慈悲な。


 文句を言ったところで状況は変わらない。


 門は再び動力を失った。

 それは時間の流れも止まるという意味にもなる。


 あんなにキツかった体の痛みが綺麗に無くなって、ぴんぴん動けるようになった。

 左腕は黒焦げのひどい有様だが、もうどうでもいい。


「もう一回やるか……?」


 できるはずがない。

 今のままでは同じことの繰り返し。


 桐島クランが、なるべく早く動けと言った意味がわかった。

 俺が呪いで苦しんで身動きできなくなることをあの人は知っていたのだ。


「ならはっきり言ってちょうだいよ……!」



――――――――――――――――――――



 戻ってきたヤオを見て、クランはニコリと笑った。

 読みふけっていた党員リストを閉じ、座ったままの姿勢でヤオを見て言った。


「おかえりなさい」


「……」


 ヤオはそれを皮肉と受け取ったので、むすっとした顔で、ここまでの道のりで集めてきたものを砂の上にぶちまけた。


「まあ、それは何です?」


「海岸に流れていた使えそうなゴミを集めてきました」


 幼稚園児から小学生を対象にした「たのしいまほう」というテキスト。

 回復魔法に特化した参考書「誰にでもできる実践回復術」

 魔術関連のオカルト本「本当に怖い、呪いの魔術史」


 といった魔法に関する教則本を大量に拾い集めてきた。


 クランは眼をぱちくりさせてヤオを見た。


「これだけの量をよく見つけましたね」


「掃除屋なんで、眼がいいんです」


「掃除屋とは?」


「あなたがいなくなった後に出来た、底辺の中の底辺の仕事ですよ」

 

 その言葉にクランは小首を傾げた。


「お仕事に上も下もないと思いますが」


「みんなそう言いますけどね」


 それ以上、ヤオは何も言わなかった。

 クランに背を向け、拾ってきた本を読み始めた。


 なにせ時間だけはある。


 時間が止まっているということは便利だ。

 腹が減らない。眠くならない。体も臭くならない。

 疲労を感じない。

 昼夜という概念が無い。ずっとどんより。


 ひたすら読めた。

 ひたすら練習できた。


 その間、クランは例のリストをずっと読んでいた。

 千ページを優に超える本をひたすら読んでいた。

 二人の間に会話は無かった。


 どれくらい月日が経ったかわからないが、クランがあのリストを三往復したあたりで、風間ヤオは今の自分に満足する段階に至った。

 あの門をくぐれるだけの魔力と技量を手に入れたと思った。


 ゆえに彼は久しぶりにクランに声をかけた。


「それじゃあ、行きますんで」


 すると破壊の女神は言った。


「ではまた」


 それを聞いてヤオはイラッとしたが、それでも彼は歩いた。



――――――――――――――――――――



 門に刀をつけて起動。


 例のアナウンスが流れて、時間が流れ出し、ヤオの腕にまたしても強烈な痛みと熱が襲いかかり、思わず膝を突く。


 大事なのはここからだ。


「呪いの進行を止める……!」


 魔法攻撃や、ダンジョンの罠にはまるなどして何らかの呪いにかかった場合、まず体のどこに呪いが滞留しているか冷静に判断する。


 ヤオに取り憑く呪いは明らかに黒焦げになった左腕にいらっしゃる。

 呪いはそこから一気に全身に行きめぐり、体の内部から灰にしていくに違いない。


「百の呪いを防ぐ銀の血流を我が左手に……!」


 拾った書籍の中から「なんとなくイケそう」というただの勘で学んだ「銀生療術」という回復法で、呪いを押さえつける。

 この術が効く限り、呪いは左腕に閉じ込められ、どこにも行けなくなるらしい。


 つまり術が効いている間は痛みと熱を抑えられる。

 沈静魔術とでも言うか。


 ひたすら続けた訓練のおかげで魔法の効果は抜群だった。


「動ける! 痛くない! 熱くないぞ!」


 ちょっとチクチクするけど、これくらいどうってことない。


 動けるうちに門をくぐり、戻ったら魔法病院に駆け込んで呪いを根こそぎ取り除いてもらえばいいのだ。保険証持ってないけどなんとかなるだろ。

 

「ははははは! ホラ見ろ!」


 また戻ってくるんでしょ? と言わんばかりの底意地の悪い笑みを見せつけてきたクランのことを思い浮かべ、ヤオは高笑いした。


 二つの鉄柱の間に緑光のカーテンが姿を現した。あの光をくぐれば、立川のダンジョンに帰れる。


 はずだったのに。


 緑のカーテンから放出される光がヤオの体をスキャンした。


『登録されていない非所属の接触を確認。起動停止。ガードロボット起動』


「え」


 考えてみれば当たり前の話。

 クランはこの門を戦時中の移動手段にしていたと言っていた。

 破壊派にとって貴重な交通手段を他の派閥に利用されては困るから、そうならないように何らかの防御策をとるに違いない。


 その防御策が、ガードロボットだった。

 砂の中から、巨大な機械が姿を現して、ヤオを硬直させる。


 でかい。あのサイクロプスよりもデカい。

 妙にテカった紺色の鎧と、青く光る眼。


「こ、こんにちは……」


 挨拶したところで返事は無し。

 巨大な手がぐあっと開いて、はえたたきのような勢いでこっちに来る。


「あ、あのちょっと!」


 私は決して怪しいものではございませんと言いたかったけれど、ロボットはヤオを潰れない程度につかむと、豪快にぶん投げた。


 あーれー、となすすべなくフリスビーのように投げられた先には、


「おかえりなさい」


 クランがニコリと微笑んでいた。

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