第20話 つぎはぎだらけの人たち
向かってくる敵をブンブン放り投げたり、ボコスカ殴ったりしながら、ヤオは少しずつ、自分に宿っている力の使い方を理解していった。
その結果、彼はその力を副作用の無いドーピングだと思うようになった。
本体が持つ貧弱な筋力と絶望的な運動神経のなさを、左手の魔力が補ってくれるから、自分が考える以上に俊敏に動けて、自分が考える以上に力が強くなっている。
軽く注意する程度の気持ちで、犬の頬をペチンと払おうとしたとき、そうはいくかと犬が避けて、その手が壁に当たった。
すると壁に巨大な穴ができたから、避けた犬も驚いたし、何より本人が驚いた。
そして気づいた。
「そうか。どうやって相手を倒すかじゃない。自分の力をどう抑えるかを考えなきゃいけないんだ……!」
「あら素晴らしい。随分と早く魔術の真髄に辿り着かれましたね」
嬉しそうなクラン。
汗だくなヤオに比べて、息がまるで乱れていない。
「ありがとうございます」
多分、それに気づかせるためにほとんど何もしない師匠モードでいたのだろうとわかっていたから、合格が貰えたのはいいことである。
「ごらんなさい。敵はもう近づいてきません。あなたが制圧したのです」
クランの言うとおり、犬たちの戦意はなくなり、ただ遠くでヤオとクランを見ているだけになった。
もう関わらんから行くなら行って下さいよと、うらめしげな眼差しで、ひょこんと座る犬たち。
ヤオは申し訳なさげに彼らの間を歩いた。
「君らの家を荒らして悪かったね」
謝罪しながら進んでいくが、少しずつその歩みは遅くなっていく。
疲れたからではない。
「見覚えがあるぞ……」
忘れるはずが無い。
高額な報酬に釣られ、のこのこやって来たあのダンジョン。
学生たちが立ち入り禁止区間に侵入しないよう監視して、入るようなら力尽くで止めろという、掃除屋の業務内容を逸脱した仕事をさせられた場所だ。
そう。
ここであの老人は心臓発作で倒れ、その死の原因を作った学生は動揺し、口封じとしてヤオに暴力まで振るったのである。
それから色々あって、ヤオは奈落に落ちた。
そして戻ってきたのだ。
「あらヤオさま? 登らないのですか?」
階段から離れ、通路を行くヤオをクランが呼びかける。
「確認したいことがあるんです」
どうしても現場が見たかった。
そして暗い気持ちに襲われた。
あの老人と思われる白骨が、その場に残っていた。
老人が着ていた作業着と思われる残骸の上に、土に汚れた白骨がてんでバラバラに置いてある。
「……」
ふざけんなと思った。
「ちゃんと埋葬せいよ……」
掃除屋は死体すら放置されるのか。
悔しくて髪の毛をクシャクシャにした。
その姿を見てクランは言った。
「あなたがクランのもとに落ちてから、どれくらい時間が経ったのでしょう」
「……」
あの日の現場は改装されて綺麗で、ダンジョンと言うよりか、地下鉄が何十本も走る大きな駅の構内という感じだった。
しかし今は違う。
ずっと放置された廃墟のように荒れている。
「一日経ったとか、そういうレベルじゃなさそうですね」
ヤオは真っ暗闇のその奥を睨みつけた。
あの向こうで、あの日、地獄を見た。
「出口からドンドン離れてしまうんですけど、進んでいいですか?」
「もちろん」
クランはそう言うと、ヤオが気づかぬくらい自然な動きで、ヤオの前に立った。
クランはギアをひとつあげた。
さっきまでの微笑みは失せ、どこから攻撃が来ても絶対にヤオを傷つけないという強い意思を持って、歩いた。
そして、ヤオが奈落に落ちたまさにその場所にやって来た。
異様な輝きを放っていた小太刀を手にしたとき、足場が全部崩落して、何もない「無」のようになったはずだが、今は違う。
道路補正の工事現場でたまに見かける大きな鉄板が、野球場と同じくらい広いスペースに、隙間無く敷きつめられている。
そしてあの小太刀、今は色々あってヤオの左手になっている、あの魔剣があった場所に、気味の悪い塊が浮いていた。
落ちているゴミとか、本来なら処分するしかない朽ちた武器や防具の欠片など、ダンジョンに落ちている廃材を集めに集めて作った塊が、偶然そうなったとは思えないくらい、作為的に気味の悪い形をしていた。
不愉快をテーマに何か作ってくれと依頼された闇深いアーティストが色々こね回したら、こうなったという感じである。
ヤオはその塊を見て「エイリアンの卵みたい」と呟いたが、クランの表情は険しかった。
ヤオが初めて見るほどで、珍しい、イライラしていると思った。
「なんといびつな」
この塊があること自体がクランの美学に反する。それくらいの嫌悪を見せている。
「この迷宮の心柱たる刀を、諸事情でヤオさまが引き抜き、柱を失った迷宮は崩落をはじめました。これから言うことはクランの推察ですが、おそらく当たっていると思います」
「はい……」
「迷宮の崩落をそのままにすれば、当然、大勢が死にます。特にその日は学生が大勢いたのでしょう? ならば一人も犠牲を出してはいけない。崩落を防ぐためには、かわりの心柱になりうる強い魔力を持つ何かを早急に用意しなければならなかった。その結果がこれです。見るもおぞましい、ツギハギだらけの心柱です」
「これが……」
クランは本当にその心柱が嫌いなようで、見ているだけで具合が悪くなるのか、顔色が悪くなっている。
「例えるならこの迷宮は、ビリビリに敗れた絵画を元に戻そうと、セロテープで雑に補強しただけの見苦しい状態なのです」
「いつ崩れてもおかしくない……?」
「それもありますが、抑えておくべき魔力が心柱から漏れてしまっているのが良くありません。あの大勢の犬が悪魔と化し、しかも増え続けているのはその魔力を浴びているから。この心柱があまりにおざなりだからです。このまま放っておけば犬はなおも増え続け、やがて迷宮の外に出てしまい、立川は犬の巣窟となり、被害は拡大し、やがて東京全体を喰らうでしょう」
最後にクランはこう締めくくった。
「徳川綱吉公が望んでいた犬の世界がついに誕生してしまうのです」
生類憐れみの令でお馴染みの犬公方が本当にそんなこと望んでいたのかどうかは別にして、それまでの説明は無視できない。
「なら、俺が拾った武器を返して、元通りにすればいいってことですよね」
しかしクランは首を振った。
「おすすめできません。ここで一生暮らすことになりますから」
「……」
じゃあ、どうしましょう。
情けない顔でクランを見つめると、クランはやっと笑った。
「この迷宮はあなたと出会うきっかけとなった場所です。縁となったこのダンジョンの功績に免じて、クランの力でこのおぞましい心柱を綺麗にしてあげましょう」
大嫌いだと公言する心柱のオブジェに手をかざすと、すごい勢いで心柱が震えだし、同時に迷宮も激しく揺れた。
そして真っ暗だった照明が点いたり消えたりを繰り返す。
止まっていた電力、あるいは魔力が、ダンジョンを駆け巡っているのだ。
「良い感じですよ!」
さすが女神。
連れてきてよかったと心から思うが、クランは残念そうにため息を吐く。
「衰えを実感します。呪いが無ければこんなもの数秒で終わるのに思うように指が動かない。かなりの時間がかかってしまいそうです」
溜悲しげに笑うクランであるが、ヤオはなおさら驚くだけだ。
今の時点でとんでもない魔力の持ち主だと圧倒されてばかりなのに、この上、首輪がなかったらどうなるのか。
たった一人で千を殺せる魔術師だと教科書には書かれていたが、あながち誇張ではなさそうだ。
「ヤオさま、その非力さゆえに落ち込んでいるクランを元気づけるため、ひとつお願いがあります」
「なんでしょう」
「これからあなたのことを、ヤオと呼びたいのです」
「呼び捨てですか、そりゃ全然構いませんけど」
「ですからクランのこともクランと呼んでください。桐島はいやです」
「……それは凄く抵抗が……」
「じゃあ、止めます」
手を離すと地響きが止まり、真っ暗になる。
「わかりました、わかりましたから!」
「ふふ」
また手を伸ばす。復旧が再開する。
「ではヤオ、もうひとつだけ」
こうなると段々めんどくさくなってくる。
「……なんすか」
「左を見て。敵です」
「え」
「おそらく、ここのボスかと。厄介ですね」
「……!」
まさかあの白犬……!
そう感じて、勢いよく左を向いた。
けれども犬はいない。
人が立っていた。
三人いた。
その姿にヤオは硬直した。
三人とも見たことがあった。
「うっそだろ……」
あの学生たち。
上野という男に奇襲をくらったヤオを拘束するため、上着を脱がされ、それをロープの替わりにしてヤオの両手を縛った。
あの上半身裸の学生二人と、
「おじいさん……」
さっき遺体を見たはずの、あの老人だった。
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