第19話 あなたはだあれ

 ドアを開けると、巨大な犬が弁慶のように立ち塞がっていた。


 犬と人が正面からばったり出くわした場合、どちらが早く動くかといえば、やはり犬になる。


 ヤオの顔を見た瞬間に、犬は最初の一歩を踏み込んでいた。

 ロケットのような勢いだった。


 やばい。

 焦りと緊張がヤオを凍り付かせる。


 しかしクランがヤオを救った。

 クランの魔力は犬の巨体を軽々と持ち上げ、天井に貼りつけてしまう。


「悪い子ですね」

 

 人差し指でくるくると円を描けば描くほど、犬の体は天井にミシミシと押しつけられていく。

 犬は悲鳴を上げることすらできないようだ。

 このままだと全身の骨と臓器を潰されて死ぬだろう。


 ヤオは気づいた。


 このあとの一言で、全てが決まる。

 これからの関係性という奴が、ここではっきりする。


 ヤオはクランの右手に軽く手を置いて、不自然なくらいに明るく言った。


「桐島さん、可能な限り、殺しは無しでいきましょう」


 クランはヤオをじっと見つめる。


「人も、悪魔も?」


 ヤオは力を込めて頷いた。


「可能な限り」


 クランはすぐに答えた。

 

「あなたがそう仰るのなら」

 

 言葉と共に犬は床に落下、きゃんきゃんと悲しく鳴きながら、ヤオたちから逃げていった。


 エグい光景を見ずに済んでホッと一安心のヤオであるが、


「ヤオさま、続けて四匹、こちらに向かってきます」


「どうぇっ?!」


 ビビっている暇はなかった。

 クランの言うとおり、四匹の犬が火の玉のように突っ込んでくる。


 考えるよりも先に体が動いていた。

 

 恐ろしいことだが、全部を勘に任せた。


 右に動いた方がいい気がしたから右に避けた。

 しゃがんだ方がいいんじゃねと思ったら、普通にしゃがんだ。


 全部上手くいった。

 相手が忖度してくれているのかってくらいに、攻撃を避けることができた。


 そして次はヤオのターン。


 一気に攻める。

 というか、体が、左腕が、勝手に動いた。


 犬の首根っこをつかみ、小石を投げるように放り投げた。

 さらに別の犬を肩車して、床にビッタンと投げつけたりもした。


 そんなことをする自分にも驚いたから、


「わるい、大丈夫か?」


 そう確認したりもしたが、犬は脅えて逃げるだけだった。


「勝ったのか……?」


 呆然と立ち尽くすヤオの後ろで、クランはパチパチと手を叩いた。


「さすがヤオさま。かの英雄、坂田金時のようです」


「金太郎ですか……」


 なぜだろう、あんまり嬉しくない。

 ただし豪快に体を動かしたせいで、テンション自体は高かった。


「桐島さん、どうしてでしょう。なんだかイケそうな気がするんですよ!」


 バスケが上手くなったことを実感して、笑顔になる素人みたいな顔をするヤオに、クランは満面の笑みで頷く。


「安心なさい。あなたの強さがあればやけっぱちに動くだけでよろしいのです。例えるなら今のあなたは張飛、相手は曹豹ですから」


「ちょうひ……」


 こういうときは趙雲と言ってもらえるほうが嬉しいんだけど、どんなときでも余裕で笑顔なクランがいてくれる安心感は確実にヤオの支えになった。


「よし、このまま上まで登りきりましょう!」


「ええ」


 全力で駆けていく掃除屋のうしろをニコニコとクランは付いていった。



――――――――――――――――――――



 所変わって。


 立川ダンジョン、地下10階の広いスペースに仮設テントをつくり、不幸にも迷い込んでしまった民間人がここまで来れるよう、祈っていた楠木部隊。


 ダンジョンの地上階から最下層に繋がる螺旋階段に設置されていた防犯カメラの映像を見て、口をあんぐり開けているところである。


「おいおいおいおい! あの人、本当に民間人か?!」


 風間ヤオが「どやさああ」と叫びながら向かってくる犬をバッタバッタとぶん投げていく映像を楠木隊長並びにその部下が呆然と見つめている。


『どやさどやさどやさああ!』


 アホな雄叫びを上げながら素手で巨大な犬と組み合い、ほいほいと放り投げていく民間人。


 その後ろを悠々と付いてくる女は、両手を後ろに回し、何にもしていない。


 これもまた民間人だろうが、不鮮明な映像ではあるけれど、おそらくとんでもない美人であることがわかる。


「そんな馬鹿なことがあるか? ただの素人が悪魔化した犬をこんなにたやすくほいほい投げるなんて……」


 信じられないのも無理はない。

 楠木の部下のうち十三人は深手を負って病院に送られ、既に三人が殉職している。


 責任を感じた楠木隊長は部隊を撤収し、自身は除隊願いを出したが、ダンジョンの外に犬を出してはならない。抜本的な対策案が出るまで壁になってくれと言う新政府の無茶苦茶な指示に、覚悟を決めて従うことにした。


 どこから集めてきたのか、会ったことのない兵士たちをあてがわれ、作戦なんて何もないまま、本当に盾となって犬の侵攻を防いでいたが、今日、探索に出向いた五人の部下を失った。


 壁になるという仕事を全うすべく、迷い込んだ民間人まで見捨てた自分に、もし生き延びることが出来たら全責任を取って切腹しようとまで思っていたほどだったのに、目の前にはどやさ無双の民間人である。


「どういうことだ……」


 立ち尽くす楠木隊長の隣に、一人の男が近づいてきた。

 うまい棒を頬張りながら、無双を続けるヤオを見て頷く。


「無茶苦茶な動きだが、魔力に差がありすぎてそれで何とかなってる」


「雨宮さん……」


 雨宮と呼ばれた男は、国から押しつけられた兵士の一人で、能力は高いが、やる気がまるで無く、常に遺言状を持っていて、ダンジョンの中で一日過ごすと、


「今日も生き延びた」


 と、遺言状の日付を書き換えているだけの男だった。


 それでも楠木が雨宮を信頼し、また彼こそが上司だと言わんばかりに敬語で接するのは、犬がまさに外に飛び出ようとしたときにはすぐさま動いて命がけで戦って、しかも勝ってくれるから。

 その度に楠木は、雨宮という男が冗談でも何でもなく、いつ死んでもいいと本心で思っていることを理解した。

 ゆえに楠木やその部下は、雨宮を信頼し、また尊敬もしていた。

 

「雨宮さん、彼はいったい……」


「わからんね」


 首を振る雨宮。


「ただ見てごらんよ。あの女。何にもしてないように見えて、前の男が犬に噛まれそうになると、宙に浮かせた弾丸使ってビシビシ犬を追い払っている。俺には女の方がヤバく見えるよ」


「あ」


「あれくらいやれるなら、殺せばいいのにな」


 そう言うと壁の隅にもたれ、眠そうに欠伸をする。


「どうすればいいでしょうか、これから」


「戻ってきたら保護してやればいい。そんで家に帰してやるんだね」


「そりゃそうですよね……」


「それにあいつらのおかげで、どの犬もダメージ喰らってる。トドメを刺すのは俺たちの役目だ。つまりチャンスってことさ」


「ですよね……!」


 楠木を筆頭に隊員の士気がぐっと向上する。

 壁がついに敵を押しつぶすときが来た。

 それを考えると兵士たちの顔に狂気の笑みが宿る。


 それは雨宮も同じだ。


「俺たちが優勢になれば、ボスが姿を現すかもしれない。そうなったら呼んでくれ。差し違えてでもそいつを殺す」


 色のない、疲れ切った雨宮の瞳に黒い炎が宿る。


「三年待ったんだ。それまで寝させてくれ」


 小汚い毛布を頭からかぶる雨宮。

 それを見た楠木は頷くだけで何も言わなかった。


 ただ雨宮の目は閉じていなかった。

 指にトゲが刺さって、抜きたいのにトゲをつまめない、どうにもならないもどかしさが彼を襲っていた。


「あの女も、あの男も、どこかで見た気がする」


 しかし答えは出なかった。


 彼は、あの日、立花将軍のそばにいた雨宮その人であった。

 電話で呼び出され、立花将軍と共にダンジョンを出た後、ヤオは奈落に落ち、壇上は崩落した。


 あの日から三年経っていたのである。

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