第22話

「残念ながらピンハートの言っていることは真実です。私は母親の故郷である鬼啼島へ来る前はアフリカの北東部にある小国――ジブチ共和国にいたんです。九十年代初頭からイッサ族とアファル族という二つの部族が対立して内戦にまで発展したんですが、数年前にその内戦が終了したことを機に私は日本へ帰ってきたんです」

 思いがけない竹彦の告白に雪奈は「はあ」と頷くしかなかった。いきなり外国の話をされても一向に現実感が沸かず、それ以上に竹彦の話の先がまったく見えない。

「え~と、つかぬことを訊くけど何で竹彦はそんな危険な国に滞在していたの?」

 ずばりその答えは竹彦本人ではなく、ピンハートの口から告げられた。

「仕事だよ。し・ご・と。俺たちは五年前までジブチ共和国で傭兵をしていたのさ。といっても内戦にはこれっぽっちも関与してねえ。あそこには俺たちが所属していたフランス外人部隊の総合訓練場があったからな。熱砂の砂漠地帯で標管相手に迫撃砲の照準を合わせてたもんよ」

「よ、傭兵!」

 これには君夜だけではなく、さすがの雪奈も目を丸くさせた。

  今まで旅館「神風」の住み込み使用人としか見ていなかった人間が、実は過去に外国で傭兵をしていたなんてまるでドラマだ。それにそういう人間はいかにも筋肉質で普段も鋭敏に神経を尖らせているイメージがあるのだが、竹彦からはそんなイメージが微塵も沸いてこない。悪く言えば都会の大学生にも見えてしまう。

「しかし事情を訊いて驚いたぜ。あれほど教官に退役を惜しまれていたタケヒコが傭兵を辞めてから何をしていると思えばホテルのボーイマンだと? そんなことをしてるならいっそ俺たちのところに来ればいいのに」

「うるさい。何をしようと俺の勝手だ。お前こそ傭兵を辞めてから何をしていると思えばバチカンで働いているだと? お前カトリック教徒だったか?」

「おいおい、何言ってんだ。俺はバリバリのカトリック教徒だぜ。だからこそ、こんな仕事をしているんじゃないか。AMEN」

 わざとらしくピンハートが胸の辺りで十字架の形に手を動かしたときだ。

  ピンハートは背中に強い蹴撃を受けて前のめりに転倒した。どうやら後方にいたケリーに背中を蹴られたらしい。

「ごめんなさい。私の相棒は少し口が軽い性格なの。だから大目に見てね」

 完璧な日本語を操るケリーは、未だ現状を飲み込めなかった雪奈に自分たちが鬼啼島にやってきた理由を話してくれた。

 イタリアのローマには世界最小の独立国であり、カトリック教の総本山であるバチカン市国が存在する。そしてケリーとピンハートはバチカンが密かに設立した特殊部隊に在籍しているのだという。しかもその任務内容を聞いて雪奈は驚愕した。

「俄かには信じられないわね。イタリアのローマにも〈鬼〉が出現しているなんて」

「でも俺たちの国では〈鬼〉じゃなくて〈フリークス〉って言うんだけどな」

 むくりと起き上がったピンハートは、両膝に付着した土をさっと払い落とした。

 鬼啼島に出現する異形の魔物――〈鬼〉。

  これは鬼啼島のみに出現するとばかり雪奈は思っていた。いや、雪奈だけではなくこの島に居住している人間ならば誰でもそう思っているだろう。

 だが現実は違った。〈鬼〉たちはこの島だけではなく、約十年前を境に世界中へ飛び火するように現れ始めたという。

「〈タダイ〉の情報部では世界中に出現し始めた〈フリークス〉はすべて同一の生物だと考えています。そしてその〈フリークス〉たちは、すべて同じ空間に存在していると考えている……地獄、魔界、異界、呼び方は様々だけどこの島に来てから確信しました。情報部の考えは間違っていなかったと」

 事情を説明してくれたケリーは風で乱された髪を手櫛で整える。そんなケリーに雪奈はさらに突っ込んだ質問をした。

「それでケリーさんやピンハートさんはこれからどうするつもりなんです? このまま〈鬼〉の調査とやらを続けるんですか?」

 雪奈の問いにはピンハートが答えた。

「そうだな……でもこの島の人間はかなり長い間〈フリークス〉と戦ってきたそうじゃないか。だったら俺たちの出番はねえっぽいな。俺たち〈タダイ〉は別に他国の事情までには足を踏み入れない。あくまでも調査として各国を訪れるだけだ。まあ、ぶっちゃけて言えば俺たちも自分の国の対処で精一杯だしな」

 ピンハートの返事は実に簡潔明瞭だった。

  そして雪奈はそんな大事なことを包み隠さずに話していいのかと訊いたが、ピンハートは笑って別にいいと言った。曰く、何も知らない他人に話したところで十中八九信じてもらえないからだそうだ。

「さてと。じゃあさっさと残りの〈フリークス〉を殲滅して帰るとするか」

 大きくピンハートは背伸びをすると、相棒であるケリーに視線を移行させた。

「そうね。聞けばもうこれ以上〈フリークス〉は出てこないんでしょ?」

「おそらく」

 雪奈はケリーの視線を受け止めながら力強く頷いた。

  先ほど最後の結界強化を行ったばかりだ。ならばはもう〈鬼〉は出現しない。後は島に残っている〈鬼〉たちをすべて還せば今日の〈鬼溢れ〉は終了になるだろう。

  そう考えると雪奈の口からは安堵の息が漏れた。

  この数時間で中型や小型の〈鬼〉たちとは数十匹以上遭遇したが、大型タイプの〈鬼〉とはまだ一度も遭遇していなかった。竹彦の携帯電話にも大型タイプの〈鬼〉が出現したという伝言が入っていないところを見ると、どうやら大型タイプの〈鬼〉が出現する前に結界強化が間に合ったのだろう。

「それでこれからどうします? お嬢」

「そうね、まずはおじ様にすべての結界強化が終った報告をしましょうか。竹彦、あんたの携帯を使って誰か神社の近くにいる人間に報告を――」

 と雪奈が言いかけたまさにその瞬間であった。

 突如、大地が狂ったように激しく震動した。視界が激しく上下し、平衡感覚が激しく狂わせられるほどの強震だ。

 しかし、強震は三十秒ほどで治まった。幸いなことに誰一人として大きな怪我は負わなかったものの、その後の余震は数分間も断続的に続いた。そして最初は雪奈たちもただの地震だと思ったのだが、ただ一人だけそれに異を唱えた人間がいた。

 犬のように鼻をひくつかせた人間――ピンハートである。

「どうしたの? ピンハート」

「今の地震の後にいきなり〈フリークス〉どもの数が爆発的に増えやがった!」

 二人のやりとりを聞いていた竹彦がピンハートに詰め寄った。

「おい、それは一体どういうことだ?」

  肩口を摑んでピンハートから事情を訊き出すと、ピンハートの口から出た言葉に竹彦だけでなく雪奈の顔からも血の気が引いていく。同時に先ほどから押し黙っていた君夜が夜空に人差し指を向けながら叫んだ。

「あれを見て!」

 君夜が指で示した方向を見ると、雪奈の視界には異様な光景が広がっていた。

 一本の巨大な塔のような光が、地上から夜空に向かって堂々と突き出ていたのだ。

  方角からして光の発生源は三番目の〈結界柱〉――商店街の近くにある竹林の中に存在していた〈結界柱〉辺りだと予測がついた。

「何が起こったっていうの」

 雪奈には訳がわからなかった。自分たちはこうしてすべての〈結界柱〉を回り、すべての結界強化に成功したはずである。しかしピンハートが言うには、それでも島内からさらに多くの〈鬼〉たちが現れ始めたのだという。

  何かが起こっている。雪奈は両手の拳を握りつつ竹彦と君夜に言った。

「何かとんでもなく嫌な予感がするわ。竹彦、君夜、ひとまず私たちはあの光の正体を確かめましょう」

 雪奈の言葉に竹彦は頷いたが、君夜だけは思いつめた表情で首を左右に振った。

「雪奈さん……私は一度家に戻ります。自分でも分からないけど、何故かお父様の安否が気になるのです」

 どうしたのだろう。君夜はここにきて雪奈たちと別行動を取りたいと口にした。

  それに関しては雪奈も些かな不安はあったものの、誰かが現状を秀柾に話しに行かなければならないことは事実だった。その役目が娘である君夜ならばそれ以上の適任者はいないだろう。それに竹彦とともに今まで自分の側で〈鬼治め〉を見てきた人間だ。電話で誰か違う人間に事情を説明に行かせるよりも確実に要点が伝わるだろう。

「でも君夜一人だけを行かせるのは……」

 それだけが気がかりだった。雪奈たちと別行動を取るということは、君夜一人だけを九頭竜神社に行かせるということだ。

  現在、雪奈たちがいる小島から九頭竜神社までは軽く五キロはある。そんな道中に〈鬼〉と遭遇しないわけがない。あまりにも危険すぎる。

 それでも君夜は行くの一点張りであった。普段の大人しい君夜にしてみれば珍しいことである。だが君夜だけにしか分からない〝何か〟を感じ取ったのかもしれない。

「それならばいい方法があります」

 と言ったのは竹彦である。

「ちょうど私たち以外に護衛に最適な人間がいるじゃないですか」

 そう言うと竹彦はピンハートの肩を叩いて「よろしくな」と言った。

「おいおい、俺たちはボディガードじゃねえぞ」

 最初はピンハートも戸惑っていたが、ケリーの「分かりました。任せてください」の言葉であっさりと二手に分かれることが決定した。

 三番目の〈結界柱〉へ向かう――雪奈、竹彦の組。

 九頭竜神社へ向かう――君夜、ピンハート、ケリーの組。

 しかし、君夜は秀柾に事情を説明したらすぐに雪奈たちと合流すると約束した。

 午前一時四十二分。

 親友である君夜と別行動を取った雪奈は己の中で一つの確信を抱いた。

  本当の〈鬼溢れ〉はまさにこれから始まるのだということに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る