第32話

(まずい!)

 刹那、雪奈は自分の戦法が看破されたことを察した。咄嗟に足を踏ん張り、加速がついていた身体を止めようとする。が、すでに遅かった。

 黒い閃光が迸り――大気が咆哮を上げ――境内に強震が沸き起こった。

 境内に敷かれていた石畳の一角が大きく穿たれ、土煙が周囲を覆い尽くしていく。

 雪奈は咄嗟に両腕を顔の前で×字に交差させ、穿たれた衝撃で散弾銃のように飛来してきた石畳の破片を防御した。

 数秒後、雪奈は両腕をゆっくりと下ろした。

  同時に激しい後悔の波が押し寄せてくる。細かな破片から守るために両目も閉じていたのだが、完全にその行為が裏目に出てしまった。

 雪奈は周囲の状況を隈なく確認する。境内全体が濃厚な土煙に覆われていたため、君夜の姿を寸毫も確認できなかったのだ。土臭い匂いのせいで嗅覚は軽く麻痺し、衝撃の残響音により甲高い耳鳴りがしている。

 完全にやられた。その場に足止めを食らった雪奈の右手には、全長十五センチ程度の棒手裏剣が握られていた。

 棒手裏剣とは忍者などが使った投擲武器の一つだ。忍者の手裏剣というと一般の人間は十字型や卍形などの車手裏剣を思い浮かべると思うが、実際の忍者は先端が尖っている棒状の手裏剣――棒手裏剣の方をよく使用していたという。

 雪奈はそんな棒手裏剣を常にポケットに忍ばせておき、〈鬼還し〉などの有事の際には使用するようにしていた。これも善弘の教えである。

 基本的には大東流合気柔術は素手で相手を制する技法に重点を置いている。だが実戦において相手は素手とは限らないし、武器を持っている可能性のほうが圧倒的に高い。そういう困難な状況をいかに打破するのかを突き詰めて発展してきたのが武術である。

 大東流合気柔術もそうであった。

  神通の領域にまで達したと言われる明治初期の武人――武田惣角が武田家に伝わっていた大東流柔術を元に中興し、柔術と銘打ってはいるが姿勢や体捌きは剣術が元になって工夫されたと言われている。

 その大東流合気柔術の師範である善弘は、愛弟子の雪奈に柔術はもちろん剣術や武器術も熱心に指導していた。中でも遠距離用の武器でもあり、傍目には無手と思わせられる手裏剣術に重点を置いて修練させていたのは言うまでもない。

 自分よりも格上と思しき相手にはまず手裏剣などの遠距離用の武器で機先を制し、日頃から培ってきた巧みな歩法により一気に間合いを詰める。

  そして間合いを詰めたら当身を食らわせて体勢を崩し、すかさず投げや関節技で相手を制する。これが柔術において理想的な戦法だと雪奈は骨の髄まで教えられてきた。

 雪奈はその教えを忠実に実行しようとしたのだ。

 そのためにはできるだけ君夜に近づく必要があった。弓ほどではないにせよ棒手裏剣も投げる瞬間は無防備になってしまう。

  だが、君夜ほどの使い手がその一瞬を見逃すはずはない。だからこそ君夜が矢を放てないタイミングを狙ったのだが、それすらも君夜には逸早く看破されてしまった。

  それだけではない。君夜は〈鬼飛ばし〉により石畳の一角を粉砕し、あたかも煙幕のように土煙を境内に蔓延させたのだ。

 故に君夜の姿は完全に視界から消え失せていた。雪奈は目線だけを左右に動かして君夜の居場所を特定しようとしたものの、姿どころか気配すら完全に絶たれていたために居場所の見当すらつかない。

 自分の親友はこれほどの技量を持った相手だったのか。改めて君夜の戦闘能力や戦闘思考力に心胆を寒からしめた雪奈は、すかさず〈合鬼〉の力を使って君夜が矢の代わりに使用している〈鬼〉の意識を捉えようとした。

 君夜自身の気配を特定できないのならば、彼女に纏わりついている〈鬼〉の意識を捉えることで君夜の居場所を特定できると判断したからだ。

  しかし、雪奈の考えなど君夜には範疇のうちだったのだろう。

(くっ、〈鬼〉の意識もまったく感じられないじゃないの)

  君夜は〈鬼〉の意識すら完全に消し去っていた。となると残る手段は闇雲に探すか土煙が完全に晴れるまで待つかの二択しか残されていない。

  徐々に雪奈の全身には緊張という名の鎖が蛇のように巻きついてくる。

  動きたくても動けない状況を君夜に作らされていた。それに四方八方すべてに意識を向けても生きた人間の気配が感じられない。せめて殺気の一つでも放ってくれれば居場所の特定が可能だったのだが、自分に対する殺気も感じられないのではお手上げである。

(焦るな、御神雪奈。こういうときこそ考えるのよ)

 時間にして十秒ほどが経過した後、生唾を飲み込んだ雪奈は自分が君夜の立場だったとしてどういう攻撃を自分に対して行うかリアルに予想してみた。

 まず、もう〈鬼飛ばし〉は使わない。

〈鬼〉の意識を矢の形状に変化させるということは、〈鬼〉と同調することが可能な自分に居場所を教えるようなものだ。至近距離ならば撃ち起こしの途中に気配を察知され、相手から思わぬ反撃を被るかもしれない。

 ならば一度この場から立ち去るか? いや、例え本気で逃げなくても境内から十メートルほどの距離を取れば、〈鬼飛ばし〉を使っても反撃を受ける可能性は低いだろう。

 でも、と雪奈はすぐに脳内で首を振って二つめの予想を否定した。

  現在、君夜は境内の一箇所に留まり完全に気配を絶っている。

  それは何故か? 虎視眈々と狙っているのだ。おそらく君夜には近距離から相手を攻撃できる秘策があるに違いない。

  雪奈は脳を高速回転させて思考した。

  一体、君夜はどんな秘策を持っているのだろう。気配を殺したまま自分に攻撃できる方法が〈鬼飛ばし〉以外に果たしてあるのだろうか。

  雪奈が考えている間にも徐々に土煙が夜風により晴れていく。

  それでも雪奈の心は依然として晴れない。額から浮き出た汗は頬を伝い、やけに喉が渇いて仕方なかった。自分の心臓の鼓動が通常よりも大きく聞こえる。

  細い呼気を吐きながら、雪奈は自分に「落ち着け」と言い聞かせた。そして周囲に視線を彷徨わせることを止め、頭を真っ白にして単純に考えてみる。

 今、君夜が着用している衣服は純白の上着に緋色袴、白足袋に草履という歴とした巫女装束だ。では、この衣服の中に何か武器になるような代物はあるだろうか。 

  答えは否である。巫女装束の中に武器の代わりになるような代物はない。

(もっとよく考えろ。本当に今の君夜は近距離で有効な武器を持ってはいないの)

  雪奈はさらに考えを深め、土煙に紛れる前の君夜の姿を鮮明に脳裏に浮かべた。

  そのときである。雪奈は意外な盲点に気がついた。

  あった。今の君夜には近距離でも有効な必殺の武器を文字通り持っている。

 不意に境内の中を強風が襲った。徐々に晴れていくはずだった土煙が、自然の気紛れとも言うべき強風により一気に吹き飛ばされる。

 瞬間、雪奈の左斜め後方から土煙を掻き分けて伸びてくる物体があった。

 雪奈は正面を向いていたため直にその物体を目視できなかったが、その物体が何なのかは寸前に予想することができた。

 両膝の力を瞬時に抜いた雪奈は、上半身を屈めて石畳の上に片手をつける。

  刹那、頭の上を何か赤い物体が高速で通り過ぎていく。直撃こそしなかったものの、髪の毛が何本か中空に舞い上がった。

  雪奈は身体を屈めていた状態のまま、左斜め後方に顔だけを振り向かせた。

  そこには悔しそうに歯噛みしている君夜の姿があった。そして、君夜の両手にはしっかりと朱色の梓弓が握られていたのだ。

  そうである。よく考えてみれば答えはすでに出ていた。

  武器になりそうな代物など何一つ身に纏っていなかった中、すでに君夜の両手には鉄製の鏃や〈鬼〉の意識を飛ばすために必要な武器を持っていたではないか。

  矢を飛ばすために弦が張ってある梓弓自体である。武器の性質上どうしても矢のほうに注目してしまうが、弓自体も使い方次第では立派な武器になるのだ。

 三枚打弓という弦側の部分にまで竹が貼られていた梓弓を使用していた君夜は、その弓の両先端――本弭と末弭の部分に鏃の形に見立てた金具をつけていた。

 雪奈は装飾品の一つだと思っていたのだが、実はこのようなときにこそ役に立つ武器だったのである。それに君夜の使っていた梓弓は全長二メートル近くもあったため、先端が尖っていれば手頃な槍と化す。

  まさに間一髪だった。雪奈は強風が訪れる寸前、君夜が使っている梓弓自体の形状を思い出したのである。

  もしこのことに気づかなかったら雪奈は一巻の終わりだっただろう。間違いなく延髄部分に弓の先端が突き刺さり死んでいたかもしれない。

  雪奈は頭上に静止していた梓弓をしっかりと右手で摑んだ。君夜はまさか避けられるとは思わなかったのか、突き伸ばした梓弓を引くことを忘れて動揺する。

「そ、その手を放しなさい!」

  ようやく君夜は我に返り、雪奈に摑まれた梓弓を取り戻そうと必死に力を込めた。

「嫌よ、絶対に放さないわ!」

 しかし、雪奈は必死になって抗った。鋭利な槍と化した梓弓を奪われまいと渾身の力を込めて握り込む。

「放しなさいと言っているでしょう!」

 激しく抵抗する雪奈に業を煮やしたのか、君夜はすかさず次の手段に打って出た。梓弓から離して右手を懐に差し入れる。

 その瞬間、雪奈は絶好の機会とばかりに大きく目を見開いた。

  雪奈は梓弓から利き腕である右手だけを離した際、君夜が次にどういう行動を取るのかを先読みした。

  それ自体を武器として使用した梓弓が使用不可能になれば、残りは違う武器を使用するか素手で対処するしかない。だが表向き親友として付き合っていた君夜は、日頃から大東流合気柔術を学んでいた雪奈には絶対に素手では敵わないと思ったのだろう。

  そうなると、君夜は新たな武器を使用して雪奈に立ち向かわなければいけない。

  十中八九、懐に忍ばせていた〈闇烏〉で攻撃してくる。

〈鬼〉の強制命令と遠隔操作という二つの特殊能力を有する〈闇烏〉だったが、殺傷能力に優れた短刀と同じ使用が可能なのだ。

  君夜は懐に忍ばせていた〈闇烏〉の柄を逆手で握り、懐から出すと同時に黒鞘から抜き身の黒刀を抜刀する。

(君夜!)

  心中で猛々しく親友の名前を叫んだ雪奈は、君夜が刀身自体も漆黒であった〈闇烏〉を抜くのと同時に梓弓を握り締めている右手に全意識を集中させた。

  それだけではない。雪奈は梓弓を摑んでいた右手を時計回りに捻ったのだ。

  するとどうだろう。未だに左手で梓弓を摑んでいた君夜は、強制的に左手を外側に捻られてしまった。君夜の身体ががくりと左側に傾く。

  このとき君夜は自分が雪奈の術中に嵌ったことを嫌でも知った。それに身体の平衡感覚を崩されたため、〈闇烏〉を抜くタイミングすらも狂わされていた。

  しかし、雪奈の狙いは決して君夜の平衡感覚を狂わすことではなかった。

  雪奈は弓を捻りながら君夜の平衡感覚が崩れたことを確認すると、今度はフッと鋭い呼気を吐いた。そのまま右手で摑んでいた梓弓を腕ごと引き落とす。

  君夜は気づいた瞬間には大きく重心を崩され、両膝が石畳の上に落ちていた。

  雪奈と君夜の視線の高さが直線状に並んだ。君夜は正座のような姿勢にされたのだ。

「だからどうしたと言うんです!」

 物理的にダメージを負わなかった君夜は、自分が座らされた意味も理解せずに〈闇烏〉を懐から抜いた。すかさず逆手持ちから通常の持ち方に変化させて突き放つ。

 このとき、雪奈は迷わずに秘策の準備に入った。

  

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