第12話

  飄々と肌寒い風が吹いていた。

  草木が揺れ、大気が啼いているようにも聴こえる。その中で篝火の焚かれる音だけが異様に強く感じられた。

  風に揺られても消えることがない篝火の炎。その光に導かれるように、その場所には数十人の人間たちが緊張した面持ちで集まっていた。

  九頭竜神社境内。

  普段は参拝や行事の際に島内の人間たちが集合する神聖な場所であったが、その場所に散らばっている人間たちの手には物々しい武器が携えられていた。

  狩猟用に使う猟銃を始め、刃引きされていない本物の日本刀。木の柄の先端に怪しく光る穂先をつけた槍。そして中には農具である鎌や鉈を持っている人間もいた。

  午後十一時十二分。

  すでに決戦の一時間を切っているということで、集合していた人間たちは緊張や興奮で落ち着かない様子だった。

  煙草を延々と何十本も吸っている人間。ぶつぶつと自分に何か言い聞かせている人間。手にしている武器の調整を丹念に行っている人間など実に様々である。

  そして時刻が十一時十五分を過ぎたとき、境内の一角から太鼓の音が響いた。

  正確に三回だけ鳴らされた太鼓の音で、境内に散らばっていた人間たちが一斉に拝殿のほうへと集まり出す。

「皆様、よくお集まりくださいました」

 拝殿の前に佇んでいた秀柾が仰々しく頭を下げると、集合した六十人近くの人間たちも頭を下げた。

「この鬼啼島に〈鬼〉が現れてから数百年。我らは偉大な先祖が残した力と知識を駆使して〈鬼〉を異界へと還してきました。その過程で何百、何千の命が犠牲になったのかは見当もつきません。ですが、それでもこの島に生を受けた人間は〈鬼〉と戦わなければならない。これは宿命なのです」

 秀柾の言葉を集合した島民たちは黙って聞いている。

「例え貴重な知識が失われ、異能の血が薄まろうとも〈鬼〉と戦い続ける。そうしなければこの島だけではなく、日本全体に〈鬼〉の脅威が広がってしまうことでしょう」

 にわかに島民たちが騒ぎ出した。秀柾の言葉に感化され、気持ちが異様に高ぶってきたのだろう。先ほどまで緊張していた人間たちも、今では自分たちがこの日本を密かに支えているのだという使命感に燃えていた。

 秀柾の話は淡々と続く。

「そして今日は今まで還された〈鬼〉どもが一斉に決起する日です。日頃から〈鬼還し〉に参加されている方達のなかでも経験したことがない人もいるでしょう。その方達に忠告しておきます。覚悟しておいてください。三十年に一度の大厄災は間違いなくこれから訪れるのです」

 再び場が静まり返った。集まった島民六十人の中でも、三十年前の〈鬼溢れ〉に参加した人間は十人前後であった。その他の〈鬼溢れ〉に参加した人間たちは、戦える状況にないほど負傷したか命を落としたかのどちらかの運命を辿っている。

 突如、境内を照らしている篝火の炎が激しく揺れた。秀柾の〈鬼溢れ〉の話に風さえも恐怖しているようである。

「ですが、いかに〈鬼溢れ〉が恐ろしい大厄災だとしても我らはその度に必死に抵抗して乗り切ってきました。もちろん今回もそうです。決して〈鬼〉どもにこの島を蹂躙されるわけにはいかない」

 秀柾は右手を本殿に続く小道に向けて差し出すと、島民たちの間から感嘆の声が沸き上がった。本殿に続く小道の奥からは清楚な巫女装束に包まれた二人の少女が現れる。

  一人は君夜である。九頭竜神社の娘である君夜の巫女装束姿は珍しくないが、もう一人の少女である雪奈に島民たちは驚嘆と感嘆を入り混じらせた声を上げた。

  長い流麗な黒髪をうなじの辺りで縛り、純白の白衣に緋色の袴姿という出で立ち。

  上半身に着ていた白衣の両袖がばっさりと切り取られ、動き易いように雪奈が自分自身で切り取ったことが誰の目にも明らかであった。

「今回の〈鬼溢れ〉で私に代わり陣頭指揮を執る御神雪奈です。ご存知の方も多いと思いますが、彼女は近年稀に見る特異な能力の持ち主です。彼女が今回の〈鬼溢れ〉に参加すれば被害は最小に抑えられるでしょう。しかし彼女はまだ若輩です。どうか皆様、この御神雪奈に何卒ご尽力ください」

 秀柾に改めて紹介された雪奈は深々と頭を下げた。隣に連れ添っていた君夜も同じく頭を下げる。

 数分後、場は一時解散となった。だが解散といっても多数の人間はこの境内から一歩も出ない。これから一部の人間たちによる本格的な打ち合わせが行われるからだ。

 そして雪奈は境内の一角に建てられていた仮設テントに向かった。今、仮設テントの中には秀柾を中心に〈鬼溢れ〉に参加したことがある経験者たちが集まっている。

「失礼します」

 雪奈が声をかけながら仮設テントの中に入ると、長方形の机の上に並べられた機械が真っ先に視界に飛び込んできた。十台近くある小型のモニターには島中に設置された監視カメラからの映像が映し出され、通信機は各主要施設からの情報を絶えず傍受している。

「お、きたか」

 テントに入ってきた雪奈に声をかけたのは左衛門であった。

 一切の頭髪がない禿頭に無数の皺が刻まれた相貌。曲がった猫背のせいで百六十センチの身長が余計に小さく感じられる。しかし年齢の割には心身ともに健康であり、言葉使いも力強くはっきりとしている。本人曰く、「生涯現役」なのだそうだ。

「今日はよろしくお願いします」

 普段から目上の人間に敬意を払う雪奈も、この日だけは余計に畏まっていた。丁寧に両手を重ね、仰々しく頭を垂れる。

「ふむ、さすが旅館「神風」の看板娘。これは将来が楽しみだ」

 肩に猟銃を掲げながら左衛門が快活に笑った。左衛門は過去に二度も〈鬼溢れ〉に参加した経験がある歴戦の猛者で猟銃を扱わせたら島内一と評判の武人である。

 だからなのか左衛門からは独特な雰囲気が漂っていた。

  緊張し過ぎず弛緩し過ぎてもいない。酸いも甘いもすべてを噛み締めたことがある経験者だからこそ、この一見すると余裕とも取れる雰囲気が出せるのであろう。

 見習わなければならない。雪奈は目の前で煙草を吸っている左衛門を尊敬の眼差しで見つめていると、ほどしばらくして奥にいた秀柾が雪奈と左衛門に声をかけてきた。

「雪奈、左衛門さん。こちらに来てください。これから綿密な打ち合わせに入ります」

「あいよ」

 左衛門は紫煙を吐き出しながら奥の方へ向かい、雪奈も左衛門を追い越さないように注意して目的の場所へ歩を進めていく。

 奥の方には秀柾と数人の人間たちが集まっていた。四角形の机の上に広げられていた鬼啼島の全体図を眺めている歴戦の猛者たち。

「これで揃いましたな」

 合計六人の人間が机を囲むように集まると、地図を見ながら〈鬼溢れ〉にどう対処するかの具体的な話し合いが始まった。

「それで、具体的に今回はどうする?」

 最初に口火を切ったのは左衛門であった。顎先を擦りながら秀柾に視線を向ける。

「実は悪い話が一つあります。先ほど拝殿の前では言えませんでしたが、今回の〈鬼溢れ〉には雪奈の力が陣頭指揮とは別に必要になりました」

 秀柾は隣の位置にいた雪奈をちらりと見ると、先ほど拝殿前に集まっていた島民たちに言えなかった事実を話し始めた。

  それは今回の〈鬼溢れ〉では〈結界柱〉の力が極端に落ちてしまい、そこを〈鬼〉たちが狙ってくるという信じられない内容であった。

 これには集まった人間たちも驚愕の表情を隠せず、雪奈の背中にも戦慄が走った。

〈結界柱〉は〈鬼〉たちをこの島内に留めておく極めて重要な役割を担っている。

  それ以上に〈結界柱〉は普段は眠っている島民たちの異能の力を最大限に引き出してくれる効果もあった。

  一般的には左衛門や君夜のように弓、刀、槍、銃などの普段愛用している武器の特性が格段に跳ね上がるのが典型である。その他にも予知能力や軽い治癒能力に目覚める人間もいたが、それらは例外なく〈結界柱〉が発動しているときでないと使用できない。

  その中でも雪奈の〈合鬼〉は特別であった。

〈鬼〉の〝気〟と自分の〝気〟を強制的に同調させ、対象者である〈鬼〉の身体を操作できた雪奈は今までの〈鬼還し〉で実に七体の〈鬼〉たちを単独で還してきた。

  だが、これはあくまでも戦闘用に使った場合である。雪奈の〈合鬼〉の力は単なる戦闘用に特化した力だけではない。

  雪奈の〈合鬼〉について秀柾の口から皆にも説明された。

「雪奈の〈合鬼〉は〈鬼〉だけではなく、実は〈結界柱〉とも同調できるのです。これは一般的に言えばイタコが使う〝口寄せ〟の部類に入ると思います。ですが、その力は〝口寄せ〟の比ではありません」

 そのとき一人の壮年の男が小さく挙手をした。桑田という名前の熊のようにがっしりとした体格の持ち主である。

 が始まった。

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