第13話

「〝口寄せ〟というと他者の念や霊を己自身に憑依させる術ですな。だが、それが〈結界柱〉とどういう関係が?」

 桑田が質問したことは他の人間も問いたかったことらしい。左衛門を除く全員の視線が秀柾に集まる。

 ごほん、と秀柾は一度だけ咳払いをした。

「桑田さんが仰られたとおり、東北地方で盛んなイタコの〝口寄せ〟は神霊や死んだ人間の魂を術者自身の身体に憑依させ、その対象の言葉を聞くことができる術のことです。これは言ってみれば、対象者と自分を同調させなければできないことです。しかし雪奈は違います。雪奈が同調できるのは〈鬼〉だけです。そして、ここからは数々の文献を読んだ私の仮説なのですが〈結界柱〉とは〈鬼〉によって作られたものかもしれません。いや、もっと厳密に言えば〈鬼〉の身体を何らかの術で凝縮させて作られた代物ではないかと考えています」

 しん、と仮設テントの中が静まり返った。

  秀柾の仮説はあまりにも突拍子もない話でありながら、それでいて的を射ているようにも聞こえた。ただ雪奈の考えはどちらかと言うと後者のほうであった。

  雪奈は両腕を組むと、難しい顔をして虚空を見上げた。

  改めて振り返ってみると、雪奈はこれまで戦ってきた〈鬼〉たちと〈結界柱〉を触ったときの感じが微妙に似ていたことを思い出した。

  今まで特に気にしたことはなかったが、言われてみるとそんな感じであった。匂いというか雰囲気というか何か似ていたのである。

「確信は持てませんが概ね当たっていると思います。そして、もし〈結界柱〉がすべて同時に弱まれば私でも対処に追いつけない。だからこそ、雪奈にはすべての〈結界柱〉の場所に赴いてもらい同調してもらいたいのです」 

 ここまで秀柾が説明すると、雪奈や他の人間たちもようやく理解した。

 つまり秀柾が言うには、〈鬼〉の身体で作られたかもしれない〈結界柱〉の力が弱まるにあたり、〈鬼〉と同調できる雪奈に結界強化を手伝ってほしいということなのだろう。

「となると誰が雪奈の代わりに陣頭指揮を執るんだ。すべての〈結界柱〉に足を運んで結界を強化する雪奈には、陣頭指揮と結界強化は同時にはこなせんだろう?」

 一本目の煙草を吸い終えた左衛門が呟くと、皆の視線が一斉に左衛門に集中した。

「…………わしか?」

 二本目の煙草を取り出そうとした左衛門が渋面になった。

「お願いします。こうなっては左衛門さんが一番適任です。ただし、表向きは雪奈が陣頭指揮を執っていることにしてほしいのです」

 言ったのは秀柾である。

「〈結界柱〉の力が弱まることを周囲に悟られないようにするためだろ。分かってるよ。だがな、年を食ったわしはそんなに的確に指示は出せないからな」

「構いません。今回の〈鬼溢れ〉での最優先事項は結界の強化に当たることです。上手くいけば雪奈の力により今後の結界の力が強まるかもしれません」

「上手くいけば、だろ?」

 煙草に火を点けた左衛門は、ちらりと腕時計を見て現在の時刻を確認した。アナログ式の腕時計の短針は十二に、長針は十一の場所を示している。

「そろそろですね」

 秀柾の言葉で場の緊張が一気に増大した。

  話に夢中になっていたが、数分後には〈鬼溢れ〉が始まってしまう。だが、さすがにこの場に集まっていた人間たちは特に動揺はしておらず威風堂々と構えていた。今更どう狼狽したところで何も変わらないことを骨の髄まで知っているのだ。

 しかし雪奈だけは違った。微妙に身体を震わせている。武者震いではないだろう。

「緊張するな、雪奈。普段通りにしていろ。そうすればすべて上手くいく」

 左衛門の呼びかけで雪奈はようやく緊張の糸が解れてきた。

 そうだ。堂々として自分のできることを精一杯しよう。自分の両頬を叩いて雪奈は気合を入れると、秀柾が広げている地図の一角を指差した。

「雪奈、まずはここの〈結界柱〉に向かうんだ。案内は君夜にさせる」

 秀柾が示した〈結界柱〉の場所は、九頭竜神社から北の方角にある奥深い樹林の中心地であった。近くには観光スポットの一つである〝光裏滝〟が存在する。

「分かりました。では、失礼します」

 集まっていた人間たちに一礼した雪奈は、早速とばかりに踵を返して歩き出した。仮設テントから出ると、鳥居の場所に待たせていた君夜と竹彦に近づいていく。

 同じ巫女装束姿の君夜の手には朱色の弓が握られ、背中には数十本の矢が入っている矢筒がかけられていた。

 竹彦は黒地のTシャツにジーンズ姿。そして手には狩猟用の猟銃が握られていた。

  体格に見合わず気弱そうな印象を相手に与える竹彦だったが、実は左衛門に続くほどの猟銃の名手なのだ。

「どうでした?」

 君夜の訝しげな問いに雪奈は首肯すると、仮説テントの中での経緯を手短に話した。すると見る見るうちに君夜と竹彦の顔が蒼白になっていく。

「まさか、そんなことになったとは……」

 これから始まる〈鬼溢れ〉に一抹の不安を抱いたのか、竹彦がこめかみの部分を指で抑えて唸った。同様に君夜も顔を落として押し黙る。

「大丈夫、絶対に何とかなるから!」

 突如、雪奈は喉が張り裂けんばかりに声を出した。

「今更不安になっても何も始まらないわ。それよりも私たちができる最善を全力で尽くしましょう。それが結果的に〈鬼溢れ〉を乗り切ることになるのよ」

 大いに胸を張った雪奈に対して、不安を抱いていた二人は雪奈の活力ある言葉に感化されたようだ。

「ふふ、雪奈さんにそう言われたらやるしかありませんね」

 君夜はちらりと竹彦を見ると、竹彦も君夜を見つめ返した。

「そうですね。お嬢の言うとおりです。今は我々にできることをしましょう」

 やる気が出てきた二人に雪奈は満足げに親指を立てた。

「よし、二人ともその意気よ。じゃあ、まずは〝光裏滝〟の近くにある――」

 そこまで雪奈が口にした時点で境内に異変が起こった。いや、正確には境内の中だけではない。それは鬼啼島全体に起こり始めた。

 地震である。

  激しい地鳴りとともに足場が立っていられないほどに震え出した。だが境内にいた人間たちは騒がず慌てず、地震が治まるのをじっと耐え続ける。

 地震は一分ほどで治まった。震度で言えば三ほどだろうか。この程度ならば実質的被害は少ないだろう。しかし、そんなものはこれからのことに比べれば微々たる事柄だ。

 やがて境内にいた誰かが夜空を指差しながら叫んだ。

「来る……〈鬼〉が来るぞ!」

 男の叫びが境内に波紋のように広がると、皆一斉に夜空を仰いだ。

 月は暗色の雲に翳ってその姿を見せてはいなかったが、夜空には月の光を上回る幻想的な光が広がっていた。

 巨大な紫色の極光である。

「いよいよ始まるのね」

 雪奈は夜空に浮かび上がった極光がいつもよりも濃密だと感じた。

  普段の〈鬼還し〉ならば最初は向こう側の星が見えるほど薄いのに、今回の極光は向こう側が一切見えないほどに濃い光だったからだ。

「時間が惜しいわ、二人とも一刻も早く現場に行きましょう!」

 雪奈は自慢の俊足を駆使して走り出す。続いて君夜と竹彦も颯爽と走り出した。

 日付が変わる午前零時。

 ついに三十年に一度の周期で訪れる大厄災――〈鬼溢れ〉

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