第7話

 二人の目の前には不思議な空間が広がっていた。

  身体を半身にしないと歩けない竹林の中にぽっかりと開いた丸い空間。そこだけは植物が一切生えておらず、陽光が真上から神々しく降り注いでいる。

  雪奈は竹林の中からその空間に足を踏み入れた。すでに竹林から出ていた君夜は、ある一点を尊い眼差しで見つめている。

  その空間の中心には、六メートルほどの高さの石が垂直に立っていた。

  先端は測量したかのように綺麗に尖っており、全体的に黒色で薄っすらと光沢すら浮かんでいた。見た目にはとても石には見えない。よもすれば金属に見える。

〈結界柱〉であった。

  異能の力を持った術者がこの鬼啼島に送られた際、〈鬼〉を閉じ込めるために作り上げたとされる呪石である。原理は今でも一切不明だったが、一説には〈鬼〉の身体から発せられる〝気〟に反応して自動的に結界を発動させるのだという。

 雪奈は〈結界柱〉にそっと近づいた。二回礼をして二回柏手を打つと、最後にもう一度だけ礼をする。

「雪奈さん。神棚ではないんですから、そんなことをしてもご利益なんてありませんよ」

〈結界柱〉を拝んでいた雪奈は君夜の指摘を受けてはっと我に返った。ありがたいと思った代物は拝んでしまう雪奈の癖である。

「でも、これのお陰で〈鬼〉は島内に出られないんだからある意味それがご利益なんじゃないの?」

 続いて雪奈は注連縄が巻かれている〈結界柱〉の全体に視線を彷徨わせた。

〈鬼〉が出現する直前になると鈴を鳴らしたような澄んだ音色を響かせ、巨大な結界を作り出す〈結界柱〉。その結界はあたかも夜空に浮かぶ極光のように輝き、現世に出現した〈鬼〉たちをその内に閉じ込めてしまう。

「ねえ、君夜もそう思うでしょ?」

 同意を求めようと君夜に視線を向けた雪奈だが、肝心の君夜は何も答えず〈結界柱〉を食い入るように見つめていた。

 そして――ぼそりと呟いた。

「こんなもの消えてしまえばいいのに」と。

 だがすぐに雪奈の方を向くと、「そうですね」と笑顔を向けた。

 その瞬間、雪奈の肌が粟立った。一瞬、君夜の横顔がひどく冷たく見えたからだ。

 普段の君夜は誰にでも優しく、決して笑みを絶やさない持ち主だった。だからといって辛い顔や悲しい顔をしないというわけでない。子供の頃からの付き合いだ。そんな顔は何度も見たことがある。

 しかし、あんな冷たい顔は初めて見た。本当に君夜かどうか疑ってしまうほどに。

「で、でしょう? 君夜もそう思うよね。じゃあ、さっさと終わらせましょうか」

 見間違いだ。そうに違いない。雪奈は一瞬でも君夜の人格を疑った自分を戒め、すかさず懐から小さな物体を取り出した。

 勾玉である。

  翡翠や水晶で造られたC字形の勾玉は、古墳時代から権力の象徴として崇められ、母体の中にいる胎児の形を模しているなどの諸説がある装身具の一つであった。

 ただし雪奈が取り出した勾玉は黒々と表面は艶だっており、黒曜石で造られたように鮮やかな色を放っていた。前もって秀柾に渡された勾玉であったが、材質は〈結界柱〉と同じ材質らしい。つまり、何の物質で造られたものなのか不明という勾玉だ。

 雪奈は勾玉を持って〈結界柱〉に近づいた。近づくとよく分かるが、注連縄に巻かれた部分の上のほうに小さな窪みがあった。その窪みはちょうど勾玉と同じ形をしている。

「君夜、お願いね」

 勾玉をその窪みに嵌め込むと、雪奈は〈結界柱〉から離れた。入れ替わりに君夜が〈結界柱〉の前で君夜は姿勢を正す。

 不意に周囲の空気が一変するような感覚に陥った。

「掛けまくも畏き、伊邪那岐大神、筑紫の日向いの橘小戸阿波岐原に……」

 君夜の口から美しい旋律のように祓詞が発せられると、〈結界柱〉に嵌められた勾玉自体が意思を持っているかのように輝き出した。

  これは〈鬼還し〉の前にも同様に行われる結界強化の儀式であり、〈結界柱〉自体に力を注ぎ込むのは九頭竜神社の巫女である君夜の役目と決まっていた。

  だが今回は特別である。君夜の祓詞も普段よりも強い言霊が籠められ、近くで見ているだけで全身に鳥肌が立ってくる。

 さすが君夜だ。雪奈は君夜の力を間近で見て深々と感心した。

 君夜は親友の自分から見ても文武両道、才色兼備、温厚篤実と三拍子が揃った完璧な人間であった。親友と見ている一方、君夜のことを羨望の眼差しで見ている自分がいる。

 もちろん、それでもいいと雪奈は思っている。

  そんなことを差し引いても君夜は無二の親友なのだ。これから何十年と経っても二人の関係は色褪せることはない。

  雪奈は結界の強化に努めている君夜の背中を頼もしく見守っていた。

  しかし、その二人の姿をこっそりと覗き見ていた人物がいた。

 上空から照りつける日差しを遮断するほどに密集している竹林の中。二人に気づかれないように小さく舌打ちした人物は、苛立ちを抑えきれずに金色の髪を捲し上げた。

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