第6話
雪奈と君夜の二人は商店街の中を歩いていた。
こぢんまりとした商店街だが、島民の食生活を支えている重要な場所だ。雪奈も君夜も買い物はこの商店街を利用する。というか、ここでしか食材は手に入らない。
まだ昼過ぎということで買い物客の姿は疎らだったものの、商店街の中には忙しそうに駆け回っている島域管理組合の人間たちの姿が見えた。
島域管理組合とは鬼啼島に存在する全組合を合わせた団体のことで、〈鬼〉に関しての情報の整理や伝達、〈鬼還し〉での住民の避難や討伐を主な仕事としている。
だから普段は活動をしていない。農業、漁業、観光業、商業、といったそれぞれの仕事に組合員は従事している。
だが今日はそうもいっていられない。明日の〈鬼溢れ〉に対して今のうちから防護策を取らなければならないからだ。
事実、すでに商店街に軒を連ねる店には〈鬼溢れ〉に対する防護策が見受けられた。
すべての店の壁には結界の役割を果す護符が何十枚と貼られていたのだ。
〈鬼〉に対する護符は〈鬼還し〉のときにも各店の壁に貼られるのだが、そのときは多くても数枚である。数十枚もの護符が貼られるということは、今回の〈鬼溢れ〉がいかに危険なことかを如実に物語っていた。
ただ護符といえども必ずしも万能ではない。小型の〈鬼〉ならば高い確率で侵入を防いでくれる九頭竜神社特製の護符も、中型の〈鬼〉となると二、三回の打撃で破られる確率が高かった。
だが今までは〈鬼還し〉で建物自体に被害があるということはなかった。
それは九頭竜秀柾という有能な人間が陣頭指揮を執っていたからであり、指揮者である秀柾を信じて島域管理組合が力を結集させた結果でもあった。
しかし、今回はこれまでとは事情が異なる。
十六歳の雪奈が島域管理組合を動かす陣頭指揮者なのだ。それも三十年に一度の周期で訪れる大厄災――〈鬼溢れ〉のときに抜擢されることは異例であった。
責任は重大である。今回の〈鬼溢れ〉が無事に済んでくれれば一番いいのだが、もっといいのは被害が最低限で収まることだ。死傷者を出すことは論外、人々の生活を支える家屋や店を破損させることも極力避けなければならない。
雪奈は商店街を見渡しながら決意を新たにすると、八百屋の前を通り過ぎたところで後ろから声をかけられた。
「聞いたぞ、雪奈。今回の〈鬼溢れ〉ではお前が陣頭指揮を執るのだそうだな」
身体ごと振り向くと、雪奈の後ろには灰色のポロシャツに白のズボンを穿いた壮年の男が佇んでいた。年齢は六十代前後、肌は色白で細身の身体をしている。
「青柳先生!」
雪奈は男を見るなり深々と頭を下げた。
青柳善弘。
大東流合気柔術「陽真館」の館長であり、温和な人柄と鬼神のような強さを兼ね備えていることから、周囲の人間たちから「仏鬼」と呼ばれるほどの達人であった。
「もうあれから三十年も経ったのだな。年を取るとあの出来事がつい昨日のことのように思えてしまう。だが、この島に住んでいる限り決して逃れない……これも定めか」
三十年前に訪れた〈鬼溢れ〉を思い出しているのだろうか。
雪奈はこのとき、師である善弘の悲しい過去を思い出した。善弘は三十年前に一人娘を亡くしている。表向きは病死となっていたが本当は違う。
〈鬼溢れ〉である。
人伝に聞いた話によると、善弘の一人娘は大型の〈鬼〉に殺されたのだという。
「あ、あの先生……」
何を言ったらいいか雪奈はわからなかった。
善弘は実力もさることながら、島の顔役の一人として知られていた一角の人物だ。順当からいけば秀柾の次に陣頭指揮を執るに相応しい人間である。
それに善弘は雪奈の武術の師匠でもある。子供の頃は病弱だった自分が今ではこんなに元気になったのも、善弘が幼少期から心身ともに厳しく鍛えてくれたお陰であった。
言わば善弘は雪奈にとって唯一、この世で本当に頭が上がらない人物である。そんな師を差し置いて陣頭指揮を執る自分を善弘はどう思っているのだろう。
言葉を選んでいた雪奈の肩に善弘は手を置いた。
「雪奈、〈鬼溢れ〉で指揮を執ることは並大抵のことではない。お前の選択一つで人間の生死が決まることもあるだろう。それだけは肝に銘じるのだぞ」
その通りであった。指揮を執る者は全体を広い視野で見渡し、的確な判断力と実行力が求められる。だが、その境地には達するには幾年もの経験が必要だろう。
だからといってもう後戻りはできない。ならば全身全霊を懸けて今回の〈鬼溢れ〉の陣頭指揮を執る。口こそ出さないが善弘はそう伝えたかったに違いない。
「はい、肝に銘じます」
雪奈はもう一度、師である善弘に深々と頭を下げた。
善弘は頷いた。教え子の逞しい返事に少し安堵したようである。
ちょうどそこに島域管理組合の人間が走ってきた。大声で善弘の名前を呼んでいる。
「では私はこれで失礼する。今日は会議で徹夜になりそうだからな」
そう言うと善弘は雪奈の頭を軽く叩き、自然体な足取りで島域管理組合の人間たちと合流していく。
「青柳先生も心配していますね。それだけ今回の〈鬼溢れ〉が危険だということですか」
「そうね。でも、任されたからには全力を出して乗り切るわ。そうしないと私を選んでくれたおじ様にも悪いからね」
君夜に精一杯の笑顔を見せた雪奈だったが、それでも一抹の不安は残っていた。
しかし、それを顔に出してしまったら周囲に自分の不安が伝染するような気がした。
だから笑うのである。笑って不安や恐怖を残らず吹き飛ばす。そして〈鬼溢れ〉を全力で乗り切る。それが今の自分ができる最善のことだと雪奈は思った。
「その意気ですよ、雪奈さん」
君夜はぎゅっと雪奈の手を握った。君夜の手を伝って〝元気〟という力が身体中に流し込まれるような気がした。不思議と力が溢れてくる。
「ありがとう、君夜。じゃあ、行きましょうか。私たちには私たちの仕事があるわ」
雪奈と君夜の二人は商店街の一角にあった路地を曲がった。その先は細い階段が続いており、この上には小さな公園がある。
だが二人の行き先は公園ではない。五十段ほどの階段を上がると、車一台がようやく通れるほどの小道が続いていた。
しばらくその狭い道路を歩いていくと、二人の視界には公園が見えてきた。
電灯とブランコと砂場しかない小さな公園。子供の頃に遊んだ覚えもあるが、そのときも君夜が傍にいた。もう十年以上も訪れてなかったが、あまり変わっていない。
懐かしい公園を通り過ぎ、二人はどんどん人気のない場所へと進んでいく。
やがて二人の目の前には竹林が見えてきた。人間の身長を遥かに超える竹は青々と真っ直ぐ伸びており、地面一帯は笹の葉で埋め尽くされている。
「ここって子供の頃は勝手に入って怒られたけど、今って大丈夫なのかな?」
「そんなこともありましたね。でも、あれは雪奈さんが悪かったんですよ。あれほど大人に入っては駄目だと言われたのに無視して入ってしまうんですもの」
などと他愛もない昔話に花を咲かせていると、五分ほど歩いたところでようやく目的地に辿り着いた。
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