最終話

「やはりここでしたか、お嬢」

 拝殿の入り口には紺色の作務衣を着用していた竹彦がいた。

「もう〈鬼流し〉は終わったの? それとも勝手に抜け出してきた?」

「後者です。私用だと言って抜け出してきました」

 雪奈は腰に手を当てながら歩き出した。拝殿の入り口に立っていた竹彦に近づくと、顔を上げて鋭い眼光とともに人差し指を突きつける。

「あれほど来るなって言ったでしょう。何でノコノコとついて来たの?」

「そ、それは……」

 顎先を掻き始めた竹彦は、罰が悪そうに視線を彷徨わせた。

  その瞬間、雪奈の視線が左右に動いた。先ほどまでは感じなかった人間の気配が唐突に現れたからだ。人数は二人。敵意は感じられない。

「タケヒコさんを責めないであげてください、ユキナさん。私たちが無理を言って連れてきてもらったのです」

 姿を現した最初の人物は、拝殿の外ではなくすでに拝殿の中にいた。和風の空間には似つかわしくない黒のスーツドレスを身に纏った金髪の女性である。

「まあ、タケヒコが断ったとしても勝手に来てたけどな」

 と陽気な口調を漏らしながらもう一人の人物が姿を現した。乳白色のスーツを着た長身の黒人である。

 バチカン市国から仕事で来日したというケリーとピンハートであった。

 雪奈はケリーとピンハートの顔を交互に見る。

「そう言えば帰るのは今日でしたね。どうでしたか? 何か収穫はありました?」

 雪奈はケリーに視線を合わせた。ケリーたちは〈鬼溢れ〉が終了してからもこの鬼啼島に留まり、独自の調査を行っていた。その間、二人の面倒を看たのは雪奈である。経営していた旅館「神風」に二人を宿泊させていたのだ。

「ええ。貴方のお陰で一通りのことは知ることができました。〈結界柱〉と呼ばれる謎の石がローマに出現したモノと同じだということも分かりましたし、貴方たちが〈フリークス〉たちを封じることができる手段など非常に興味深かったです。本来ならば教会に詳しく報告して大規模な調査隊を派遣してもらうのですが……」

 ケリーは両腕を緩く組みながら、雪奈が出てきた隠し扉のほうに目を馳せた。

「どうやら調査隊の派遣はいらないようですね。この鬼啼島には教会の情報通り〈フリークス〉は出現したが脅威というほどでもない。故に大規模な調査の必要もない……と、上司には報告するつもりです」

 雪奈はケリーの心中を理解すると素直に「ありがとう」と頭を下げた。

  カトリック教会の中で特殊な仕事に就いていたケリーたちは、世界中に出現したという〈フリークス〉――雪奈たちが〈鬼〉が呼んでいる存在の調査や討伐を行っている。

  そして外国で〈フリークス〉の情報を掴んだ場合、その国の政府関係者に話を通して大規模な調査を行うのだという。

  この話をケリーの口から聞かされたとき、雪奈は間髪を入れずに断った。個人の調査ならばまだ許せるが、政府が介入してくるのだけは絶対に避けたかったからだ。

  政府が介入してくるということは、鬼啼島の秘密が外部に漏れることを意味する。

  例え今の日本政府が秘密を厳守すると約束したとしても、人の口には絶対に戸は建てられない。それに近年では情報メディアが著しく発達し、情報漏洩の脅威さが昔とは比較にならないほど進んでいる。そうなれば〈鬼〉の存在が世間に露見するのは時間の問題になってしまうだろう。

  だからこそ雪奈はケリーたちとある交換条件を交わした。

  それはこの鬼啼島の秘密を教える代わりに、今後一切この島には干渉しないでほしいという条件であった。そのために雪奈は二人を旅館「神風」に無料で宿泊させ、調査の協力までしていたのだ。

  ピンハートは色つきサングラスの体裁を人差し指で整えた。

「安心しな、譲ちゃん。俺たちは一度交わした約束は必ず守る。それに調査隊を派遣したとしてもこの島に出現する〈フリークス〉のことは何も分からないだろうしな。〈フリークス〉を一定期間だけ留める〈領域〉――この国では〈結界〉って言うんだっけ? 凄すぎだぜ。あんな巨大な〈領域〉は俺らでは絶対に作れねえし理解できねえ」

 ピンハートは両手を広げてお手上げのポーズを取った。ケリーはお手上げのポーズこそしなかったものの、気持ちはピンハートと同じだった。東洋の〈領域〉発動理論は独特だとは教会から聞いていたが、直に目にして認識を改めた。

  あまりにも独特すぎるのだ。カトリック教会はおろか、外国人では絶対に理解や同じ代物を作り上げることは叶わないほどに。

 故にケリーたちは最低限の調査を終えた今、ローマに帰国することを決めた。

「くれぐれもお願いします」

 雪奈は再度、ケリーとピンハートに深々と頭を下げた。

「頭を上げてください、ユキナさん。こちらもそれなりの収穫を頂きました。これ一つだけでも調査隊を派遣しなくてもいいくらいに」

 ケリーの右手には全長二十センチほどの短刀が握られていた。鞘、柄、刀身、すべてが漆黒という九頭竜神社に伝わっていた宝刀――〈闇烏〉であった。

「でも本当にいいのか? それはあんたの親友にとって大事な短剣なんだろう?」

 ピンハートは雪奈に尋ねると、雪奈は頭を左右に振った。

「いいんです。もう……必要ありませんから」

 そうである。〈闇烏〉はもう必要ない。大型の〈鬼〉を操作する刀などはこの島にあってはならない。おそらく、これまでの九頭竜家の当主も力を持て余したに違いない。だからこそ封印し、私用することを避けていたのだと思う。

 暗い雰囲気が拝殿の中に漂い始めると、竹彦は右手首に巻いていた腕時計で現在の時間を確認する。

「お嬢、そろそろ〈鬼流し〉が終了する時間です」

 その言葉を聞いて雪奈は本殿の壁に掛けられていた時計を見た。

 午前八時四十八分。

  普段の〈鬼流し〉はやや時間差が生じるものの、一時間ほどで終了する。今回は八時から始まったのだから、もうそろそろ終了する時間帯であった。となると、管理組合の人間がここに様子を見に来るかもしれない。ならば長居は無用であろう。

 しかし、そう思ったのは雪奈たちだけではなかった。

「じゃあ私たちもお暇させてもらいましょうか」

「だな」

 ケリーとピンハートは拝殿の入り口に向かって歩き出した。

「じゃあな、タケヒコ。気が変わったらいつでもユキナと一緒に『タダイ』に来い。お前たちなら即戦力として活躍できるぜ」

 竹彦の肩に手を置いたピンハートは、歯並びのよい白い歯を見せつける。

「断固としてお断りだ。さっさと国へ帰れ」

  竹彦はすかさず肩に置かれたピンハートの手を払い退けた。

「でも機会がありましたら是非ともローマに来てください。観光案内くらいはできますよ」

 ケリーは雪奈に微笑んだ。魅了されるほどの笑顔であった。

 雪奈は若干照れくさそうに答えた。

「ええ、機会があれば是非お願いします」

 ケリーは頷くと、ピンハートと並びながら雨傘を片手に拝殿から遠ざかっていく。この鬼啼島には専用の船で来たとのことなので、帰りもその船を使って帰るのだろう。

 やがて九頭竜神社の敷地内には雪奈と竹彦の二人だけになった。

「では私たちも帰りましょうか。〈鬼流し〉の後で開かれる宴会の予約も入っていますし」

「そうね」

 脱いでいたスニーカーを履き、雪奈は賽銭箱に立てかけていた和傘を手に取った。さっと広げて外に出ると、油紙製の傘布を無数の雨が叩きつけてくる。

 ここに来るときよりも雨の勢いは幾分か弱まっていた。このくらいの強さであれば、川に流した箱舟は無事に海まで辿り着けるだろう。

「どうしました? お嬢」

 暗色の空を見上げていた雪奈に竹彦が話しかける。

「ううん、何でもない……何でもないわ」

 雪奈は顔だけを振り向かせた。心配そうな表情をしている竹彦に笑顔を見せると、その後ろの拝殿の様子をそっと窺う。

 たった一週間で廃墟のように雰囲気が荒んでしまった九頭竜神社には、神でもなく〈鬼〉でもないもっと別な〝何か〟取り憑かれたような感じがした。

 

 ――君夜、あんたは一体何になってしまったの?


 頭の中で何度も親友に問いかけるが、目の前に本人がいないのに答えが返ってくるはずはなかった。それでも、いつかは聞いてみようと思う。何年かかってもいい。時間というものは良くも悪くも人間の心に何かしらの変化を与えてくれる。

 雪奈はゆっくりと瞼を閉じた。自分の今の心境を表しているような雨音を聞きながら、今まで信じていなかった神様とやらに初めて祈りを捧げる。

 やがて清々しく晴れる雨のように、いつかは君夜の濁った心も晴らしてほしい、と。

 数秒ほど祈った後、雪奈は瞼を上げた。竹彦に満面の笑みを見せる。

「さあ、早く帰って宴会の準備をしましょう。少しでも遅れると初老の人間たちの小言を聞かされるハメになるからね」

 雪奈は足早に歩き出した。竹彦も慌てて雪奈の背中を追っていく。

 午前八時五十二分。

 鬼啼島に降り注いでいた肌寒い雨は、心に染み渡る五月雨のようであった。


                                     〈了〉 

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【完結】鬼の啼く島 ~私たちの住んでいる場所は、海と山に恵まれた魔物が出るだけの離島です~ 岡崎 剛柔(おかざき・ごうじゅう) @xtomoyuk1203

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