第16話
ピンハートと別行動を取ったケリーは、深い森の中を懸命に走っていた。
途中、ケリーは後ろから追いかけてくる犬鬼をちらりと見た。機動力は向こうのほうが断然有利だが、思考能力ならばこちらが数十倍も上手である。
ケリーはわざと狭い木々の間を選んで進んでいくと、後ろから馬鹿正直に追ってくる犬鬼は狭い木々に挟まれその瞬間だけ足が落ちる。そうして彼我との機動力の差を埋めていたのだが、そんな戦法がいつまでも通用する相手ではない。
だが、これはあくまでも戦術の一つであった。
ケリーは深い森を抜けて大きな湖の畔に躍り出た。
極光から降り注がれる光が湖の表面に反射し、幻想的な光景を作り出している。見る人間が見れば一枚の絵画のようにも見えたかもしれない。
それでもケリーはすかさず行動を起こした。
間髪を入れずに森の中から犬鬼が飛び出してくる。
「来なさい、子犬ちゃん」
最初からこのような場所に誘き出すつもりだったのか、持っていた〈ハルバート〉の矛先を犬鬼に合わせてケリーは不敵な笑みを浮かべた。いや、それは挑発であった。
来れるものなら来てみろ、という大胆不敵な挑発である。
明らかに自分が挑発を受けていることを理解したのだろう。犬鬼は大量の涎を垂れ流しながら何の躊躇もなくケリーに突進していく
ケリーの不敵な笑みが一層増した。これを待っていたのである。
木々が密集する森の中ではケリーの〈ハルバート〉は最大限に威力を発揮できない。
最長二メートル近くも伸ばせる〈ハルバート〉では、どうしても周囲の木々が邪魔になり満足に戦えなかった。だからこそ、自在に〈ハルバート〉を使える広い場所まで足を運ぶ必要があったのだ。
次にケリーは胸ポケットから小さな物体を取り出した。
丸い形をした金属性の物体である。するとケリーは突進してくる犬鬼に向かって金属製の球体を投げ放った。
その金属製の球体は吸い込まれるように犬鬼の頭部に接触し、強烈な閃光を放ちながら爆発した。湖の一角が真昼さながらの明るさになり、轟いた衝撃音で森の木々で休んでいた野鳥たちが一斉に飛び立つ。
接触型閃光手榴弾。
従来の安全ピンを引き抜き信管に点火させて爆発を起こす手榴弾とは違い、対象に接触した時点で爆発を起こす手榴弾であった。その際に強烈な閃光も発生させ、対象に二重の損害を与えることができる。ただこれは対〈フリークス〉用の武器ではなく、人間に対しても有効な武器であった。
現に頭部に閃光と爆発を受けた犬鬼は、軽い火傷を負った程度で生命を脅かせるほどの損害は受けていなかった。だが一瞬でも隙ができたのは言うまでもない。そしてケリーはその一瞬の隙を見逃さなかった。
周囲が閃光と爆発に包まれた瞬間、ケリーは〈ハルバート〉を犬鬼の眉間目掛けて一気に突き放った。戸惑っていた犬鬼の眉間に穂先が深々と突き刺さる。
「AMEN」
とケリーは言い捨てると、両手で握っていた柄の部分を右に一回転させた。
回転させた柄の場所から犬鬼の眉間に突き刺さっている穂先まで、何かの力が高速の勢いで伝わっていく。
犬鬼は腹の底から悲鳴を上げた。眉間に突き刺さっていた穂先が高速回転し、頭部に大きな穴を開けたのだ。
頭部の傷口からは大量の緑色の粘液が吹き出てきて、地面を緑色に染め上げた。やがて無残な屍と化した犬鬼は見る見るうちに土塊と化していく。
ケリーは先端が緑色に染まった〈ハルバート〉を縮小させると、血振りの動作で緑色の粘液を払い取った。
『タダイ』が開発した銀槍〈ハルバート〉は、余計な装飾品を一切省いた対〈フリークス〉白兵戦用の特殊武器であった。
柄から穂先まですべて純銀製であり、聖書の一部が文字として穂先に刻まれている。
それだけでも十分に〈フリークス〉には効果があるのだが、その他にも〈ハルバート〉には最先端の技術が惜しげもなく施されていた。
柄の内部には超伸縮性特殊ゴムが螺旋状に取りつけられており、ある場所の柄を回転させると一気に先端の穂先までゴムが捻られる。
すると限界まで捻られたゴムの力が一気に穂先の部分で開放され、モーターのように数十秒間だけ穂先が高速回転するのである。
「お、いたいた!」
風に煽られた髪をケリーが押さえたとき、森の中からピンハートが姿を現した。
「あら、無傷じゃない。てっきり貴方のことだから遊びが過ぎて怪我でもしているんじゃないかと思ったんだけど……残念」
「おいおい、パートナーを組んだばかりのチェリーじゃねんだ。あの程度の〈フリークス〉にやられる俺じゃねえよ」
大きく両手を広げてピンハートはケリーに近づいていく。途中、土塊と化した犬鬼を見てピンハートは癖である口笛を吹いた。
「さて、これからどうする? 関わっちまった以上無視するわけにもいかねえが、この国の〈フリークス〉は一定の時間になったら消えるのかね?」
ピンハートは空を見上げると、ケリーは眉根をよせて複雑な顔をする。
「それも調べる必要があるわね。でも一つだけ分からないことがあるわ」
あん? とピンハートは自分たちが〈領域〉と呼んでいる紫色の極光からケリーに視線を転じた。ケリーの碧眼とピンハートの黒眼が交錯する。
「だってそうでしょ。ここは隔離された島なのよ。そんな場所に〈フリークス〉が出るというのにこの島の住民は普通に日常を過ごしていた。存在を知らないはずがないのに」
「じゃあ何か? この島の人間は〈フリークス〉と一緒に仲良く暮らしてるってか。そんな馬鹿な話があるか。そんなことをすれば一夜で全滅だ」
鼻で笑ったピンハートとは対照的にケリーはより複雑な表情を作った。
ピンハートの言う通りだ。この島の住民と〈フリークス〉が共存していることは万が一にもありえない。だが、何かが引っかかる。
「どうする? やっぱり今からでも帰るか?」
別に俺はどちらでも構わないとばかりにピンハートは笑みを浮かべたが、本心ではもう少し戦いたいと思っていることをケリーは看破した。
「帰る? いえ、その逆よ。この島に残りましょう。これは私の勘なんだけど、この島は何かおかしいわ。住民たちも〈フリークス〉について何か知っているような節があった。もしかすると、私たちすら把握していない情報があるのかも……」
そこまでケリーが言いかけると、ピンハートは右手を突き出して制止させた。鼻を犬のようにひくつかせ、ピンハートは首を周囲に動かし始める。
何も知らない人間が見たら滑稽に映るかもしれないが、ケリーは真剣な顔でその行為を見守っていた。
「おいおい、マジかよ」
ピンハートは先ほどの楽天的な顔とは一変して渋面になった。それに気づかないほどケリーの感受性は鈍くはない。
「どうかしたの?」
一応、ケリーは訊いてみた。返ってくる答えは大体予想はついていたが。
「少なくても数十匹単位で〈フリークス〉どもが現れやがった。匂いの濃さからするとそうヤバイやつらばかりじゃねえが、それでも一度に数十匹なんて信じられねえぜ」
匂いの濃さ。これはピンハート独特の言い回しで、本人曰く〈フリークス〉の強さはその身体から漂ってくる匂いの濃さで判別できるらしい。
少し気になる程度の匂いの〈フリークス〉は問題なく倒せるのだが、アンモニア臭のような強烈に鼻につく匂いを発する〈フリークス〉は危ないのだという。
「でも、それは数だけでまだ倒せる範疇の〈フリークス〉なのね?」
「わからんぜ。一夜でこんなに〈フリークス〉が出てきたなんて報告は聞いたことがねえ。この島に残るのなら相応に覚悟しないとな」
しばしの沈黙の後、ケリーは大きく深呼吸をした。心身ともに澄み切った夜風で覚醒させると、ピンハートの隣を通り過ぎる。
「おいおい、どこ行くんだよ」
「まずは島の住民に詳しく話を聞くわ。その途中〈フリークス〉に遭遇したら迷わず倒す。作戦はそれで行きましょう」
再び森の方へと歩いていくケリーの背中を見つめながら、ピンハートは自分の額に愛銃をコツン、と当てた。
(さてさて、どうなることやら――)
森の中に入っていくケリーに続き、ピンハートも歩き出した。
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