第17話

 九頭竜神社から一つ目の〈結界柱〉に向かう途中、雪奈たちは普段の倍以上の〈鬼〉たちに遭遇した。

 落差二十メートルほどの滝――〝光陰滝〟の滝壷の近くである。そしてそこには畑から盗んできた野菜を食べながら談話している小型の〈鬼〉たちの姿があった。

 小型の〈鬼〉たちは外見的には小動物とあまり区別がつかない。それに人語を喋り、畑に侵入しては農作物を美味しそうに食べるだけで凶暴性はあまりなかった。

 それ故に雪奈は特に警戒心を持たずに小型の〈鬼〉たちに近寄った。

 外見的には猿に似た小型の〈鬼〉――猿鬼たちにである。

「ちょっといい?」

 雪奈が顔見知りのような口調で猿鬼たちに話しかけると、猿鬼たちは一斉に「人間だ」とか「野菜一緒に食べる?」と人語を発した。

  初めて彼らと喋ったときは驚きよりも可愛いと思ってしまったが、彼らも間違いなく〈鬼〉なのである。だからこそ彼らの力も時と場合によって必要になってくる。

「野菜はあんたたちで仲良く食べなさい。それよりも教えてほしいことがあるの。この近くに悪い奴らがいるわね? どんな奴らか知っている?」

 雪奈の問いに大根をかじっていた一匹の猿鬼が答えた。

「教えてあげてもいいけど、この野菜の持ち主には黙ってくれる?」

「ええ、もちろん。絶対に持ち主には黙っていてあげる。だから教えて。この近くにあんたたちよりも大きくて凶暴な悪い奴らはいる?」

  猿鬼たちは雪奈の言葉を信じたのだろう。自分たちが知っている事柄を何の惜しげもなく話してくれた。

「何かね。この近くに自分たちの仲間が閉じ込められているんだって。その仲間を助けてから人間に復讐するんだって凄く怒ってたよ」

 雪奈はさらに問いかける。

「どんな奴らか分かる? それと姿形やできれば数も知りたんだけど」

「野菜をもっとくれるなら教えてあげる」

 そう猿鬼の一匹が物々交換を持ちかけてきた。

  無論、雪奈の返事は是である。畑の持ち主には後で自分が謝りに行こうと思い、雪奈は猿鬼たちから他の〈鬼〉たちの情報を収集した。

  数分後、雪奈は森の中で待機していた君夜と竹彦の元へ戻った。

「どうでした、お嬢」

 心配そうに声をかけてくる竹彦に雪奈は頷いた。

「あの子たちの情報によれば付近を徘徊している中型の〈鬼〉は全部で四体。すべて陸戦タイプらしいわ。それならやってやれない数じゃない」

「そうですね。私たち三人で一体ずつ倒していけばそれほど苦になりません。ただ、あの小型の〈鬼〉たちを全面的に信頼した場合ですけど」

「大丈夫、あの子たちの言っていることは本当よ。一応、〈合鬼〉を使ってみたけど嫌な感じは全然しなかったから」

「ごめんなさい。雪奈ちゃんの力を疑っているわけじゃないの」

 君夜は申し訳なさそうに顔を落とした。

「ううん、いいのよ。それよりも早く〈結界柱〉に向かいましょう」

 貴重な情報を得た三人は再び薄暗い森の奥へと足を踏み入れた。

「お嬢、私が先頭で走りますから離れないようについてきてください」

  方向感覚が抜群であった竹彦を先頭に真ん中が雪奈、そして最後尾に君夜という縦一列で三人は木々の合間をすり抜けていく。

  森の中は月明かりすら満足に届かないほど暗かった。

  それに何時どこから中型の〈鬼〉が飛び出てくるか分からない。だからこそ三人は辺りを警戒しながら小走りで目的地へと進んでいった。

  五分ほど経っただろうか。先頭を走っていた竹彦が急に動きを止めた。

「どうしたの?」

「いえ、少し気になるものを見つけたもので」

 竹彦は猟銃を構えながら三メートルほどの距離を慎重に進んでいく。やがて地面に片膝をついて何かを調べ始める。

「お二人ともこれを見てください」

 何かを調べ終えた竹彦は二人を呼んだ。雪奈と君夜は駆け足で近づいていく。

「これって……」

 竹彦の場所までやってきた雪奈は、地面に広がっている光景に注目した。

 眼前の地面には薄茶色の土塊が形成されている。

「〈鬼〉の成れの果てですね。しかも土塊の大きさから見て中型タイプでしょう」

 君夜が低い声で呟いた。雪奈はその場で片膝をつくと、目の前にあった土を手に取って指で擦り合わせる。

 君夜の言う通り、目の前にある土塊は〈鬼〉の成れの果てと見て間違いない。

 そう思ったときである。

「雪奈さん、これを見てください。ここに人間の足跡が残っています」

 後方にいた君夜が地面の一角を指差した。雪奈は振り返ると、君夜が指し示している場所に視線を落とす。

 確かに君夜が指し示した場所には誰かの足跡が残っていた。

「この形からすると底に鉄板が仕込んであるジャングルブーツだな。地面のへこみ具合からして履いていた靴の持ち主は体重七十キロ前後……軍隊経験がある男か?」

 雪奈はキョトンとした顔で竹彦の横顔を見つめた。

「竹彦……あんた足跡一つ見ただけでそんなことが分かるの?」

「え? い、いや、以前に見た探偵映画の受け売りですよ」

 真剣な表情から一変して普段の柔和な笑顔に戻ると、竹彦は頭を掻きながら苦笑した。だが竹彦が言っていることは真実味を帯びていた。何故ならこの島にはブーツを履く人間などほとんどいないからだ。

 だとすると余計に頭を悩ませてしまう。中型の〈鬼〉を単独で還したのは誰だ。

「ねえ、雪奈さん。ひとまずこの足跡の持ち主よりも〈結界柱〉に急ぎません? まだ他の場所にも行かないといけませんし」

 君夜の言葉で雪奈はハッと我に返った。

  つい〈鬼〉を単独で還した人物に意識を奪われてしまったが、自分たちが今やらなければいけないことは他にもあった。一刻も早くすべての〈結界柱〉に赴き、〈鬼〉が溢れ返らないように結界を強化しなければならない。

「そうね。ひとまず今は〈結界柱〉のことだけを考えましょう。竹彦、ここから〈結界柱〉までの距離と方角は?」

「ちょっと待ってください」

 竹彦は自分たちが来た道と周囲の風景、そして夜空に浮かんでいる星と極光を見て瞬時に自分たちがいる場所を測定する。

「ここからだと距離はおよそ一・五キロ。方角は北西ですね」

「よし。行きましょう」

 三人は再び森の奥を目指して走り出した。

  鬱蒼とした木々の間を走り抜けながら十数分後、三人は最初の目的地である〈結界柱〉が埋まっている場所へと到着した。

  そこはとても静かな空間だった。

  綺麗に円形に広がっていたその場所は、測量器で計測されながら伐採されたように一本の樹木も見当たらなかった。それに周りからは虫たちの声も聞こえてこない。この周囲の虫たちだけどこかに引っ越してしまったように静かだった。

  雪奈は静寂に支配された空間の中を突き進み、不意に立ち止まった。雪奈に続き竹彦と君夜もその空間の中に入っていく。

「どうしました? 雪奈さん」

〈結界柱〉から数メートル手前で立ち止まっている雪奈に君夜が話しかける。雪奈は顔だけを振り向かせた。

「数は分からないけど間違いない……いるわ」

 雪奈の言葉を聞いて竹彦と君夜の二人に緊張が走った。

  すかさず竹彦は左側に向かって猟銃を構え、君夜は右側に向かって弓を構えた。中心にいる雪奈を左右から援護できる陣形である。

  三角形のような陣形を取った三人は、〈結界柱〉の前で石像のように固まった。三人とも生唾を飲み込み、額から薄っすらと滲んだ汗が頬を伝う。

  半径二十メートルの空間内はまさに結界であった。

  自由に出入りはできるが、一歩足を踏み入れれば独特の緊張感に身体を支配される。

  それが目の前に存在する〈結界柱〉の影響なのか、どこかで自分たちを狙っている〈鬼〉のせいなのかは分からない。ただ、何時でも危機的状況に対処できる体勢になっていなければ危ないのは確かである。それだけは三人とも言葉には出さないが同意見であった。

  やがて異様な音が三人の耳に届いた。

  ざわざわと揺れる枝葉の音でもない。飄々と吹く風の音でもない。微かに足元から振動が伝わってくるが地震でもない。

「お嬢!」

 叫んだのは竹彦であった。同時に猟銃の発砲音が轟く。

 

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