第21話

「そうね。まずは〈結界柱〉の場所まで行きましょう」

 雪奈を先頭に二人は正面の道を突き進んでいく。

  正面の道は何の舗装もされていない砂利道だ。そんな砂利道の両脇には壁のような木々が生い茂り、今にも〈鬼〉が飛び出てきそうな異様な雰囲気があった。

  だが、先ほどから雪奈はもっと妙な気配を感じていた。中型タイプの〈鬼〉の気配にも似ているが、それとは別な不快な気配が漂っていたのである。

 中型タイプの〈鬼〉の気配は肌に火を近づけられる熱さにも似ていたのだが、今感じている気配は分厚い氷塊を近づけられているような冷たさがあった。

 それでも今は深く考えている暇はない。懸命に足を動かしていた二人は、〈結界柱〉が存在する場所に数分で到着した。

 円形空間の中心に堂々とそびえ立っている〈結界柱〉。しかし全体が僅かながら紫色に輝いて見えるのは他の〈結界柱〉と共鳴しているからだろうか。

〈結界柱〉を正面に雪奈と君夜は円形空間に足を踏み入れた。そして雪奈は周囲を見渡しながら竹彦の姿を探したが、竹彦はおろか人間の姿は皆無であった。

「まったくどこ行ったのかしら。戻ってきたらお灸を据えてやらないと」

 ぶつぶつと文句を垂れつつ雪奈は〈結界柱〉に近づいた。両の目蓋を静かに閉じ、自分の意識を〈結界柱〉の意識と同調させる。

 リーン、リーンと鈴の音が響き渡った。その澄んだ音色に呼応するように、〈結界柱〉自体が徐々にはっきりとした紫色に輝いていく。

 一分ほどが経過すると、次第に〈結界柱〉の光が薄まり始めた。

  やがて完全に光が消失したとき、無事に最後の〈鬼治め〉が終了した。

「雪奈さん、ご苦労様です。これですべての結界が強化されました」

「そうね。後は島に残っている〈鬼〉たちを還せば今回の〈鬼溢れ〉も終わ――」

 雪奈が〝り〟という言葉を発しようとした瞬間、それは唐突に襲い掛かってきた。

 木々の上で羽を休めていた野鳥たちが一斉に空へと飛び上がる。それが合図だったように空から何か黒い物体が雪奈たち目掛けて急降下してきたのだ。

「君夜、危ない!」

 その気配をいち早く察知した雪奈は、君夜を庇いながら場を離れた。

 ほぼ同時に空から急降下してきた黒い物体が地面に突き刺さった。凄まじい轟音が響き渡り、物理的な攻撃力を有した衝撃波が放射状に広がる。

 その衝撃波により二人の身体は数メートルも吹き飛ばされた。強風に煽られた木の葉のように地面を転がっていく。

「げほっ、げほっ……な、何が起こったの」

 ようやく身体を止めた雪奈は、君夜の安否を気遣いつつ周囲を見渡す。辺りには土煙が濃密な霧状に広がっていた。

 だがその土煙が徐々に晴れていくと、空から訪れた脅威の正体が視界に入った。

 中型タイプの〈鬼〉だ。

  鶴のような頭部に細長い胴体。背中には合計四本の翼が広がっており、白と黒のコントラストだけを見るとシマウマと見間違えてしまう。

 陸戦タイプではなく、宙を自在に飛翔する飛行タイプの〈鬼〉であった。細く長い嘴は槍を想起させるほど不気味に黒光りしている。

 雪奈は今の状況に苦々しく歯噛みした。

 完全に不覚であった。飛行タイプの〈鬼〉が上空で待ち構えていることに気がつかなかったのである。いや、その気配は少なからず感じていた。だが、それが飛行タイプの〈鬼〉の気配だと予想できなかったのだ。

  最後の結界強化が成功したことで、心のどこかに油断と隙が生じたことも気配を捉えられなかった要因の一つだっただろう。 

(あの馬鹿……何でこんな時にいないのよ)

  飛行タイプの〈鬼〉――鶴鬼と対峙しつつ雪奈は心中で悪態を吐いた。

  その直後である。極度の緊張感に包まれていた円形空間に二発の銃声が轟いた。

 高速で撃ち出された二発の弾丸は鶴鬼の頭部に命中。脳漿の代わりに〈鬼〉の血液とも呼べる緑色の粘液が周囲に飛散する。

(ここが好機!)

 頭部に弾丸を食らった鶴鬼は空気を切り裂くほどの悲鳴を上げた。そんな鶴鬼を目にした雪奈は、相手との間合いを詰めながら自分の〝気〟と鶴鬼の〝気〟を同調させていく。

〈鬼〉との同調。それは感覚的には〈結界柱〉との同調とは似て非なる行為であった。

〈結界柱〉との同調は大海原を彷徨いながら一つの小さな玉を攫むような感覚であったが、〈鬼〉との同調は数十本近い手拭いのようなものを摑む行為に似ていた。

 雪奈は目の前に漂っている二枚の手拭いを握った。瞬間、相手の意識が自分の中に光の奔流として流れ込んでくる。

 その光の奔流を今度は両手でしっかりと押さえつけると、雪奈は普段習い覚えている技を忠実に再現した。

 相手の両手を摑んでいるイメージを保ちつつ身体を反転。すかさず両手を大きく振りかぶり、今度は切り下ろすように相手を後方に倒す。

  すると、雪奈の動きと合わせて鶴鬼の巨体が大きく後方に倒れた。もちろん、このとき雪奈と〈鬼〉の身体はまったく接触していない。

  次の瞬間、凄まじい破裂音が周囲に響いた。

  鶴鬼の頭部が〈結界柱〉に突き刺さり、爆裂四散したのである。傍から見れば鶴鬼が自分から反動をつけて頭部を〈結界柱〉に叩きつけたように見えただろう。

  やがて鶴鬼は自分の故郷である異界へと還っていった。魂を喪失した肉体は見る見るうちに土塊と化していく。 

  途端、雪奈は地面に四つん這いになった。

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 心臓の位置を押さえながら雪奈は必死に呼吸を整える。

 このとき、雪奈の心身ともにかなりの負担が掛かっていた。

〈結界柱〉と同調した後に中型タイプの〈鬼〉とも同調したのだ。それは百メートルを全力疾走した直後、休憩を挟まずに再び百メートルを全力疾走したようなものであった。

「大丈夫ですか、雪奈さん!」

 真っ先に雪奈に駆け寄ったのは君夜であった。

「はあ……はあ……も、もう……大丈夫」

 雪奈は何とか呼吸を落ち着かせると、膝に手を当てて立ち上がった。

 続いて遠くの森林へと視線を向ける。雪奈たちがいた場所から二十メートルほど離れた位置に、片膝を立てた状態で猟銃を構えている竹彦の姿があった。先ほどの狙撃は間違いなく竹彦が行ったのだろう。

  だが鶴鬼の頭部に命中した弾丸は二発だった。竹彦の猟銃は連続で弾丸を発射することができない。ならば残りの一発を撃った人間は誰だったのか。

「雪奈さん、あの人達は例の外国人たちではありませんか?」

 君夜が戸惑うのも無理はなかった。猟銃を構えていた竹彦の隣には、長身の黒人が銃口をこちらに向けている姿があったのだ。

  それだけではない。黒人の後方には金髪の女性も確認できた。

  雪奈と君夜はお互い顔を見合わせながら動揺していると、動揺させた張本人たちがこちらに歩いてきた。竹彦も二人の外国人の歩幅に合わせて近づいてくる。

「HEY、そこのプリティガール! 今のは最高だったぜ!」

 黒人の男は苛立つほどに陽気な口調で話しかけてきた。源五郎が言っていたチリチリ頭とはドレッドのことだったらしい。雪奈も直にその髪型を見たのは初めてだったが、見ようによってはチリチリに見えなくもない。

「ピンハート、少しは静かにしなさい。二人とも戸惑っているじゃない」

 金髪の女性は黒人の男とは違い、陽気な面は微塵も見られなかった。まるで一流企業の社長秘書を務めているような高貴な雰囲気さえ感じられる。

「ちょっと竹彦。これはどういうこと? あの外人たちは何?」

 戻ってきた竹彦の腕を引っ張ると、雪奈は本人たちに聞こえないよう小声で尋ねた。

「あ、え~と実はですね」

  最初こそ戸惑っていた竹彦だったが、元より雪奈には隠し事ができない性分だったため正直に話し始めた。

「まず黒人の男の名前はピンハート・ランジェルド。そしてこちらの女性はケリー・ロレンツォさんです」

「おいおい、何で俺だけ呼び捨てなんだよ。タケヒコ」

 ピンハートは竹彦の首に腕を回すと、もう片方の手で竹彦の頭をぐりぐりと弄り回す。まるで長年の友人に対する接し方であった。

「やめろ、ピンハート。相変わらず鬱陶しい」

 竹彦はピンハートを強引に引き剥がした。だが竹彦の顔を見ると心底嫌がっている風には見えない。悪友の悪戯を少々咎めた程度くらいだろうか。

「ちょっと待って。二人は知り合いなの?」

「知り合いと言えば知り合いですが……少々、特殊な事情がありまして」

 珍しく言葉を濁している竹彦とは打って変わり、ピンハートは一本だけ突き立てた人差し指を左右に振りながらチッチッチッと舌を鳴らした。

「知り合い? そんなライトな付き合いじゃないぜ。何たって俺たちはジブチでともに戦った戦友だからな」

「せ、戦友?」

 首を傾げる雪奈に竹彦は仕方ない様子で事情を説明した。

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