第28話
「君夜? 本当に君夜なの?」
雪奈は酷薄な笑みを浮かべている君夜に訝しげに恐る恐る尋ねた。
「ひどいわ雪奈さん。こんなわずかな時間で親友を忘れたのですか?」
確かに外見を見る限りでは君夜本人なのは間違いない。色白の顔に刻まれた無数の切り傷や、純白の上着が汚れているのが何よりの証拠であった。
「う、うん、ごめんね。少し確認しただけよ。それよりも無事で本当によかったわ。あなたまで〈鬼〉に食われたかと心配していたのよ」
嬉しさを口に出した雪奈だったが、それとは別に妙な違和感を覚えていた。
何故、中型タイプの〈鬼〉に連れ攫われたのに毅然としているのだろう。それに死体が散乱している境内の様子にも特に驚きを感じていない。
そのとき、力強い篝火の炎を大きく揺らす強風が吹き荒れた。
雪奈は咄嗟に前髪を押さえる。突如として吹き荒れた強風のは境内に充満していた血臭を何処かへ瞬く間に運んでいく。
だが、どんなに匂いが払拭されても死体は依然として残されている。中型タイプの〈鬼〉に生きたまま食われたであろう惨たらしい死体の数々が。
やがて強風が緩やかな微風に変わったとき、君夜は鳥居の支柱に預けていた背中をそっと離した。鋭角に吊り上げていた口元から「ふふふ」と声を漏らす。
「まったく、やはり〈鬼〉は〈鬼〉ですね。あれほど死体は上手に隠すか残らず平らげるか命令したのに微塵も理解していなかった。まったく本当に使えない」
一瞬、君夜の口から出た言葉の意味を雪奈は理解できなかった。
「ど、どういうこと? まるでこの惨状を作ったのは自分だと言わんばかりよ」
「そう聞こえませんでした? じゃあ今度ははっきりと言いますね。この境内を警備していた人間たちを殺すように〈鬼〉たちに命じたのは私です」
「なっ!」
雪奈は自分でも意識しないうちに後ずさっていた。信じられない告白である。
「ちょっと待って、君夜。〈鬼〉に命令して皆を殺したって……そんなことできるはずないじゃない」
そう雪奈が声を張り上げたときだ。
またしても君夜は笑った。先ほどのように無邪気な笑みではない。まるでこれが自分の正体だと言わんばかりの背筋が凍りつくような暗い笑みであった。
「そうですね、ちょっと語弊がありました。正確に言うと〈鬼〉に命じたのは私ではなく九十九君です。私は〈鬼〉を操るように九十九君に頼んだだけ」
「九十九に頼んだ?」
雪奈は現在の九十九の姿を脳裏に過ぎらせた。
背中から不気味な漆黒の翼を生やし、まるで中型タイプの〈鬼〉に転生してしまったかのような九十九の姿を。
「ええ、そうですよ。私は九十九君が私に抱いていた感情を逆手に取って彼を利用した。その結果、九十九君は大型タイプの〈鬼〉へと変貌した。ですが彼も本望でしょう。密かに恋心を抱いて私に利用されたのですから」
大型タイプの〈鬼〉。
聞き間違いではない。今、確かに君夜は九十九が大型タイプの〈鬼〉だと言った。
「九十九が大型タイプの〈鬼〉? そんなはずはないわ」
そうである。雪奈は秀柾や左衛門から大型タイプの〈鬼〉の特徴を聞かされていた。
大型タイプの〈鬼〉とは中型タイプの〈鬼〉以上の巨躯を誇り、かつ小型タイプの〈鬼〉のように人語を巧みに喋る。ならば先ほどの九十九の特徴とは一致しない。
しかし、君夜の返答は否であった。
「本当ですよ。大型タイプの〈鬼〉とは禍々しい意識の集合体……いえ、怨念の塊と言った方が分かり易いですかね」
君夜は落ち着き払った口調で訥々と語っていく。
「三十年に一度の〈鬼溢れ〉で必ず出現すると言われる大型タイプの〈鬼〉。おそらく目撃者が毎回少ないことと、小型タイプ、中型タイプとは一線を隠す強大な災いを恐れて実際とは違う特徴を当時の人間たちは後世に伝えたのでしょう。それはそうですよね。大型タイプの〈鬼〉とは実際には人間の心を食らう実体の皆無な〈鬼〉なんですもの。それも犠牲になるのは一人だけじゃない。文献によれば少ないときには五十人。多いときだと二百人近くの人間が大型タイプの〈鬼〉に心を食われたそうですよ」
雪奈は君夜の言葉を呆然と聞き入っていた。
君夜の話はにわかには信じられない内容であった。
大型タイプの〈鬼〉とは人間の心を食う実体がない〈鬼〉。
本当にそれが大型タイプの〈鬼〉の正体ならば、はっきり言ってまったく手も足も出せない。それこそ目の前の空気を素手で摑むようなものである。
だが、ここで雪奈の脳裏に様々な疑問が浮かび上がってきた。
「どうして君夜はそんなことを知っているの? それに九十九が大型タイプの〈鬼〉と化したのが貴方のためってどういうこと? 貴方が言うように多くの人間の心を食う〈鬼〉が存在するのなら、九十九もここにいる人たちも心を食われているはずでしょう」
心を食われるということが実際にどういうことかは分からない。ただ語感から察するに極度の重圧状態に陥ってしまうのではないかと雪奈は思った。
現代でも極度の重圧により心身が疲労し、不眠症や胃潰瘍などの症状を発する人間も多いと聞く。中には精神的に鬱状態となり自殺してしまう人間もいるという。
ならば〈鬼〉に心を食われた人間たちは、簡単に死を選ぶほどの重圧を精神に受けるのではないか。そう思ったものの、雪奈はすぐに自分の考えが甘いと痛感した。
(でも、それだと君夜の話と噛み合わない)
そうである。もしも心を食われることが自殺願望を引き起こすと仮定すると、君夜の話とは大きく矛盾してしまう。
それだけではない。なぜ心を食われた九十九は異形の存在へと変貌したのか。そして異形の存在と化した後にも君夜の命令を忠実に実行したのか。
脳内で色々と思考した直後、君夜は苦悩する雪奈を見て嬉しそうに微笑を浮かべた。
「とてもいい質問です。では順を追って答えますね」
君夜はおもむろに人差し指を一本立てた。
「まず一つ。大型タイプの〈鬼〉の正体を知ったのは本当にごく最近。〈鬼溢れ〉が始まる一週間ほど前のことです」
続いて君夜は中指を立てた。
「二つめ。九十九君が異形の存在と化したのは〈結界柱〉の結界強化を担っていた勾玉を破壊しようとしたからです。もちろん生半可な武器では〈結界柱〉と同調した勾玉に傷一つ刻むことはできない。故に私は九頭竜家に伝わる宝刀を彼に与えました。〈闇烏〉という名の〈結界柱〉と同じ材質で鍛えられた短刀でしてね。〈鬼〉の強制命令と遠隔操作を行えるという作者不明の短刀です。無論、そう九頭竜家の文献に書き記されていただけで実際に試したことはありませんでした。ですけど効き目は重畳でしたね」
すべての事柄を話し終えた君夜は、肩の荷を降ろしたように顔をほころばせる。
「その〈闇烏〉という短刀は今どこに?」
と尋ねようとした雪奈だったが、口を開く前に答えは相手から提示された。
君夜は空いていた右手を懐に差し入れると、黒鞘に納められた全長三十センチほどの短刀を懐から出して見せたのだ。
「これが九頭竜家に伝わっていた宝刀――〈闇烏〉です。先ほど九十九君に返還されました。やはり予め〈闇烏〉に特別な呪を施していたことが効果を発揮したようです。彼が異形と化した後もこうして私の元へ返ってきたのですから」
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