第27話
「ここから少し先にある本殿です。そこには君夜のお父さんが――」
そこまで言いかけたとき、雪奈は本殿の屋根の上に何かを見つけた。遠くからでも一目で分かるほど人型に翼を生やした異形の物体を。
「九十九!」
雪奈が腹の底から叫ぶなり、その場にいた全員が本殿のほうに視線を集中させた。
本殿の屋根の上に九十九が佇んでいた。本殿の入り口に設置されていた篝火の光に照らされていたため、全身に濃い影が纏わりついているのが視認できた。
「何だありゃ? 人間か? それとも〈フリークス〉か?」
「武舎九十九という名前の少年だ。お嬢や私たちの知り合いでもある」
「ふ~ん、お前らの知り合いね」
鼻をひくつかせたピンハートは、九十九から漂ってくる匂いを鋭敏に嗅ぎ分けた。
雪奈と竹彦はケリーからピンハートの異常嗅覚の能力は聞かされている。だからこそ、ピンハートの様子が急変したことにも気づいた。
ピンハートは九十九を人間か〈鬼〉なのかを判別するのに悩んでいた。唇を尖らせて渋面で唸っているのだ。
そんなピンハートにケリーが詰め寄る。
「ピンハート、はっきり言って。あの男は人間なの? それとも〈フリークス〉?」
ケリーの質問にピンハートは首を傾げた。正直、どちらなのか判別できないという。
「でも普通の人間でもなさそうね」
そこでケリーは雪奈たちが思いもよらぬ大胆な行動に出た。首を傾げていたピンハートにすかさず指示を送る。
「一発撃ってみて。ただし当てないでね。掠らせるようにでも撃って反応を見るのよ」
「なるほど……了解!」
ピンハートは同意した直後、〈マテバ6U〉の銃口を九十九に差し向けた。
四人がいた位置から本殿までは約二十メートル。本来、拳銃はリボルバーだろうとオートマチックであろうと射程が十メートルを超えると命中率が激減すると言われている。
だが、ピンハートは陽気な外見とは裏腹に屈指の拳銃使いであった。
傭兵として培われてきた技術や経験に加えて、ローマで〈フリークス〉と戦ってきた経験も本能や肉体に刻み込まれている。それによりピンハートはハンドガンで実に五十メートルの距離でも弾丸を命中させることができた。
愛用している〈マテバ6U〉ならば尚更だ。
自分好みにカスタム化していることも大きな要因だったが、どちらにせよ二十メートルの距離はピンハートにとって必中できる距離であった。
照準を九十九の左腕付近に定め、ピンハートは躊躇わずに引き金を引いた。
空気を磨り潰すような銃声が周囲に轟く。銃口から発射された特殊弾丸は九十九の左腕を掠めるように撃たれたはずであった。
しかし――。
「〈フリークス〉ね」
ケリーが苦々しい表情で呟くと、ピンハートは一度だけ口笛を吹いた。驚いたときや嬉しいときによく出てしまう彼の癖である。
そして雪奈はケリーが口にした「〈フリークス〉ね」という言葉に心中で同意した。
なぜなら、九十九は象の頭でさえ撃ち抜ける威力がある44口径の弾丸をあろうことか素手で掴み取ったのだ。
それだけではない。九十九は自分の力を誇示するように弾丸を粉々に握り潰した。もはや完全に人間の所業ではない。
ピンハートは硝煙の匂いが漂う銃口に息を吹きかけると、上司であり相棒であるケリーに嬉しそうに尋ねた。
「で、どうする? このまま放っておいてもロクなことにならねえぞ」
ケリーはピンハートの問いに答えず、雪奈と竹彦の顔を交互に見た。
「あの男はあなたたちの知り合いなのよね? だからこそ訊いておくわ。かなり手荒なことをするけど覚悟してもらえる?」
雪奈はケリーの瞳の奥に異質な輝きを感じた。柔和な笑顔などはすでに消えている。
殺すまではいかないが、それに限りなく近い苦痛を与えて捕らえる。雪奈たちを見つめるケリーの眼差しがそう克明に告げていた。
雪奈は返事に躊躇した。
武舎九十九という男は人間的に好意を抱けない類の男だったが、それでも同じ鬼啼島に生きる住民には違いなかった。確かに今の九十九は人間とは思えない異常な力を発揮しているものの、もしかしたら新種の〈鬼〉に身体を乗っ取られたからかもしれない。
「おい、あんまり考えてる時間はなさそうだぜ」
ピンハートの銃口は未だ九十九の身体に合わされている。
「ええ、私もピンハートと同意見です」
ピンハートの隣にいた竹彦も猟銃の銃口を九十九に寸毫の狂いなく合わせた。二人とも今度は本気で九十九を狙うつもりだったのだろう。
雪奈は九十九の動向をじっと窺っていた。
すると二つの銃口に狙われた九十九は嬉しそうに口の端を吊り上げ、瓦を一撃で踏み割るほどの脚力を有して後方に跳躍。そのまま本殿の裏手の方へと消えていった。
「逃がすかよ!」
最初に動いたのはピンハートであった。舌打ちをしながら九十九の後を追うために走り出す。竹彦も今の九十九を野放しにしていると危険だと判断したのか、ピンハートに続いて本殿の裏手を目指して走り出した。
「私も行くわ」
一メートルほどに縮小していた〈ハルバート〉を握りつつ、ケリーも地面を蹴って駆け出した。そのときには竹彦とピンハートの姿はすでに見えなくなっていた。
「待って、私も――」
行く、と言いかけたところで雪奈は前に出した足を踏み留めた。その間にもケリーの背中は徐々に遠ざかっていく。
雪奈は三人の後を追わずにその場に残っていた。だがそれは九十九の後を追うのが怖かったわけではない。雪奈は目線を縦横無尽に動かし耳を傾けた。
確かに聞こえた。ケリーの後を追おうとした瞬間、誰よりも聞き覚えのある凛とした声が風に乗って聞こえてきた。ケリーは気づかなかったらしいが、雪奈はその声が聞き間違いではないか確かめるためにこの場に残ったのだ。
雪奈はゆっくりと足を踏み出した。その踏み出した足は三人とは違う方向に向かって進んでいく。一歩一歩、地面を噛み締めるようにゆっくりと。
拝殿を背にしながら雪奈は鳥居を潜り抜けた。死体が散乱している境内には未だ煌々と篝火が焚かれ、その光は地面に広がっている濃紺な赤の血を鮮やかな紅に変えていた。
「どこにいるの? いるのなら返事をして!」
境内の中央に辿り着いた雪奈は、影も形もない人間に対して大声を張り上げた。飛行タイプの〈鬼〉に連れ攫われたはずの親友のために。
それから何度も雪奈は境内のあちこちを向きながら叫び続けた。
だが一向に返事は返ってこない。篝火の中で焚かれている生木のはぜる音と、飄々と鳴く寒々しい風の音だけしか聞こえてこなかった。
やはり気のせいだったのだろうか? 雪奈は叫ぶことを止めると、固く握り締めた両の拳を震わせながら呟いた。
「君夜……絶対に無事でいてね」
石段のほうを向いていた雪奈は再び拝殿の方へ振り返った。君夜が境内にいないのならば三人のように九十九の足取りを追おうと思ったのだ。
しかし、身体ごと振り返った雪奈は前方を見据えたまま瞠目した。
雪奈の視線の先には今ほども通り抜けた朱色の鳥居があり、その鳥居の支柱の一本に背中を預けていた一人の少女がいたのだ。
雪奈と同じ純白の上着に緋色袴。右手には鮮やかな朱色の梓弓を持っている。
九頭竜君夜。
境内には顔見知りの人間が死体となって散乱しているというのに、視線が交錯した親友はこれまで見たことのないほど冷酷な笑みを浮かべていた。
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