第15話
全身を覆っていた黒い体毛は炎のように逆立っており、双眸は闇の中で不気味に輝いて見えた。それに長い顎から覗いている牙の間からは涎が地面に滴り落ちている。
外見的には犬に似ているだろうか。だが体格は牛よりも一回りは大きく、人間の二、三人くらいは前足の一薙ぎで絶命させることが可能だろう。
明らかに地球上の生物ではない。
「やっぱりどこの国でも〈フリークス〉の姿は似たり寄ったりなんだな。ワークスが言うように世界中に出た〈フリークス〉たちは本当に同じ世界に住んでるのかもな」
シリンダーに銃弾を再装填させると、ピンハートは銃口を二匹の犬鬼に向けた。
森の中で対峙している二人の人間と二匹の犬鬼。お互いの距離は約八メートル。どちらも有している能力を駆使すれば相手に致命傷を与えられる距離である。
その中で先に動いたのは犬鬼たちであった。強靭な脚力を有して影のような速度で猛然と襲い掛かってくる。
「右は俺がやる」とピンハート。
「じゃあ、私は左ね」とケリー。
一言で互いの標的を見定めると、ケリーとピンハートは落ち葉で埋め尽くされた地面を蹴って左右に分かれた。それに乗じて犬鬼たちも片方ずつ別れ、自分の餌だと見極めた人間のほうに向かっていく。
「HAHAHA――ッ!」
ピンハートはケリーと別行動を取ると、不規則に並んでいる木々の合間を器用に駆け抜けていく。その動きには一切の無駄がなかった。
今は昼ではない。月明かりも乏しい深夜である。
いくら夜目が効く人間だとしても、数メートル手前も満足に視認できない森の中を明かりなしで進むのは無謀以外の何物でもない。ましてや走るのは論外であった。そんなことをしたらたちまち転倒し、手酷い痛手を負ってしまうだろう。それでもピンハートは明かりも持たずに全力疾走していた。しかもサングラスをかけたままである。
そろそろか。森の中を走っていたピンハートは不意に立ち止まると、一際太く育っていた樹木に背中を預け、駆けて来た方向に愛銃の〈マテバ6U〉を構える。
「いやはや、やるね」
ピンハートは軽やかに口笛を吹いた。
犬鬼は追って来てはいなかった。いや、途中までは追って来ている気配は感じていた。しかし、今は来た道から犬鬼が追ってくる気配はない。
周囲は微妙な静寂に包まれ、緩やかな風に乗って木の葉が頭上から舞い落ちてくる。虫の鳴き声が聞こえ、風により落ち葉がカサカサと音を立てていた。
ピンハートは深く息を吸った。五十メートルほどの距離を全力で走ってきたが、それぐらいの距離を走った程度ではピンハートの呼吸は乱れない。
それでもピンハートは大きく深呼吸をして呼吸を整えた。深く鼻から酸素を取り込み、口からゆっくりと時間をかけて吐き出す。
時間にして一分。ピンハートの鼻がひくひくと動いた。
「いくら気配を消しても匂うんだよ!」
背中を預けていた樹木からピンハートは一足で離れた。
突如、真上から巨大な黒い塊が木の葉とともに落下してくる。
犬鬼であった。犬鬼はピンハートを後ろから追うのを止めると、気配を消して樹木の上によじ登り、ピンハートの真上へと忍び寄っていたのである。
ピンハートはその犬鬼の匂いを自慢の異常嗅覚により鋭敏に嗅ぎ取っていた。だからこそ犬鬼が落下してきた際にその場を離れ、すぐさま攻撃に転じることができた。
勝負は一瞬でついた。ピンハートは地面に転がりながら銃を撃つ曲撃ちであったが、見事に犬鬼の眉間に四発の銃弾を命中させていた。
数秒後、眉間に撃ち込まれた銃弾が瞬く間に爆発し、犬鬼の頭部を粉々に破裂させた。頭部からは緑色の粘液が飛散し、犬鬼の胴体は平衡を崩して地面に大きく倒れる。
やがてその身体は無残な土塊と化していった。
「やっぱ俺ってサイコーじゃん」
撃った分の銃弾をすぐに再装填させたピンハートは、自分たちが〈フリークス〉と呼んでいる魔物に軽やかな足取りで近づいていく。
すでに半分以上が風に乗ってその姿を留めていなかったが、確実にその場に存在していた異形の生物。その魔物を倒せることができたのも、ピンハートが生まれ持った異常に発達した嗅覚と、『タダイ』から支給された特殊弾丸のお陰であった。
ローマに現れた〈フリークス〉はただの銃弾や刃物では倒せない。
それはイタリア政府が〈フリークス〉相手に軍の特殊部隊を派遣したときに発覚した。なので〈フリークス〉の対処をイタリア政府はカトリック教会に託したのである。
カトリック教会には過去に同様の事件を処理した経験があった。現在から百年以上前の話だったが、そのときにも夜空に浮かび上がった極光の夜に魔物が出現したという。
そのときからカトリック教会は密かに魔物を調べ上げて対抗策を考えていた。
ピンハートが使う銃弾もその対抗策の一つであった。
対〈フリークス〉用特殊44マグナム爆裂弾。
これは目標に命中すると爆発的に変形するエクスプローダーという弾丸をモデルに、弾芯を覆う金属を純銀九十五%、亜鉛五%の合金製にした改造弾であった。
コストはかかるものの、この改造弾は〈フリークス〉に多大な被害を与えられる。
それこそ今のピンハートのように命中させれば二、三発で確実に倒せるのだ。
もちろん弾丸が優れているとはいえ、〈フリークス〉と対峙できる勇気と実際に〈フリークス〉の身体に命中できるほどの技量がなければ宝の持ち腐れである。
その点、ピンハートはその二つを兼ね合わせていた希少な人間であった。
再び鼻をひくつかせると、ピンハートは遠くから漂ってくる匂いを嗅ぎ取った。甘い香水の匂いと死臭をより強力にしたような不快な匂いの二つである。
「さて、援護にでも向かうかな……まあ、俺が追いつく頃には終わってると思うけど」
土塊と化している犬鬼から踵を返すと、ピンハートは相棒であり上司でもあるケリーの元へと走り出した。
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