獣人(アクセル視点)
「何をするつもりだ?」
俺の問いに、エメルはやはり笑っている。
「アギトにはとっても便利な道具がありますの。スニフ、いらっしゃい」
エメルが声をかけると、神殿の建物の影からぬうっと人影がひとつ現れた。
いや、人影のようなものが現れた。
「なんだ……これは?」
思わずそれを凝視してしまう。
体躯は間違いなく人。
粗末な服を纏って、二本足で立っている。
しかしその頭には獣のような灰色の毛が生えた三角の耳があった。腰の後ろから毛の生えた長い紐をたらしている、と思ったらそれは不意に生き物のように波打った。尻の上から直接生えている、尻尾らしい。
人のようなモノは、首と手に鉄の枷をはめられ、それぞれが鎖でつながれていた。
「北の霊峰に生息している、『獣人』ですわ。人に近い知能を持ちながら、耳と尾に獣の姿を色濃く残す、人間の近縁種になります」
「北にそんな生き物がいるという話は聞いていたが……まさか、本当に存在するとはな」
「彼らは丈夫で身体能力が高く、さらに、おもしろい特性を持っています」
「特性?」
エメルはにこりと笑うと、獣人の首と手を結ぶ鎖に手を延ばす。
びくっ、と獣人が体をこわばらせた。
「スニフ」
「……ウゥ」
獣人はゆるゆると膝を折る。
「井戸を使った者の正体が知りたいの。この中に、あそこの井戸と同じにおいのする者はいるかしら?」
「……ウ」
スニフと呼ばれた獣人は、近衛のひとりに指を向けた。いきなり指さされた近衛はぎょっと顔をこわばらせる。
「そいつはいい。ついさっき井戸の中を調べていた奴だ」
「わかりました。スニフ、他には?」
ゆるゆると獣人は首を振る。
「いないのね。……じゃあ、コレと同じにおいはある?」
エメルは懐からハンカチを一枚取り出した。はっきりとした意匠を好むエメルの持ち物にはそぐわない、春の花を細かく刺繍したかわいらしい品だ。
スニフはくんくん、とハンカチのにおいをかいだあと、今度は井戸を指さした。
「そう……井戸から」
「エメル? そのハンカチは何なんだ」
「コレット姫の私物ですわ。塔に残されていたものを、持ってきていたのです」
持ち主の名前を聞いて、納得する。
やはりこの道を通ったのはあいつなのだ。
「獣人は人間が使うような技術に恵まれないかわり、産まれながらにユニークギフトと呼ばれるスキルを獲得します。このスニフのギフトは、『嗅覚』。ありとあらゆるにおいをかぎ分けます」
「獲物を追う猟犬のようなものか」
「人語を理解するぶん、犬より少し便利ですわね」
じゃら、とエメルは獣人の鎖をたぐりよせた。
「スニフ、そのにおいの人物は、井戸から出てどこに行ったの?」
「……ウゥ」
獣人はふらふらと歩き出した。井戸の周りのにおいを入念にかいでいたかと思うと、すぐとなりに建てられた小屋へと向かう。
「ウゥ」
今度はカリカリと小屋のドアを爪でひっかき始めた。
「開けてやれ」
俺が指示すると、近衛のひとりがドアを開けた。
朽ちているとばかりに思っていた小屋の中は、きちんと整備されていた。傷んだ外観はカモフラージュだったらしい。おそらく、逃げてきた王族が一旦身を隠すための場所なのだろう。
床には女ものらしい小さな足跡が二種類と、ネコのような獣の足跡がいくつも残っていた。
「少しドロがついています。火事のあった日は、夜中から雨が降っていたので、ここで雨宿りをしていたのでしょうね」
「小癪な……!」
逃げ出しただけでも腹立たしいのに、わが国の王族のためにに用意された設備を利用するとは。厚かましいにもほどがある。
「他には、何かないの?」
エメルに尋ねられて、獣人は首をかしげる。
しばらく小屋の周りをうろうろと歩いたあと、茂みの奥の地面を掘り始める。
「今度は何だ」
手元をのぞき込んでみると、掘った土の間から黒い何かが出てきた。
焦げて縮れた、何かの繊維のようだ。
「動物の毛か? なぜこんなところに埋まってるんだ」
「アクセル様、これは人間の髪の毛ではないでしょうか」
「髪?!」
エメルの白い手が、焦げて灰になった髪を拾い上げる。
「コレット姫の最大の特徴は、あの派手なストロベリーブロンドですわ。捜索隊も、まず第一に長い金髪の少女を探しています」
実際、手配書にも豪華な金髪が特徴として記載されている。
「彼女は金髪が逃亡の邪魔になると思い、ここでばっさり切っていったのではないでしょうか。そして髪型を変えたことがバレないよう、残った髪を焼いて土に埋めた」
「は? 髪を……女が? バカな、髪だぞ?」
思わず繰り返してしまう。
貴族の女が自ら髪を切るなど、ありえない。
しかし土から出てきた繊維はどう見ても焼けた髪だ。
「道理で見つからないわけですわ。彼女はもう『金髪の少女』ではないのですから」
「だったらどうする。さすがに瞳の色は変えられないだろうが、緑の目の女など星の数ほどいるだろう」
「ご安心ください。見た目が変わっているのなら、それ以外の特徴で追えばいいのです」
エメルはほほ笑むと、ふたたび獣人を縛る鎖に手を延ばした。
「スニフ、この髪の持ち主が次にどこに行ったか、案内しなさい」
しばらく辺りのにおいをかいでいた獣人は、神殿の外へ向かって歩き出す。
エメルは悠然とその後を歩き出した。
「コレット姫は私が追いますわ。アクセル様は、ご自分のお仕事に集中してくださいませ」
「……任せた」
俺はエメルと別れ、戦争の準備にとりかかった。
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