虹瑪瑙
「猫ちゃん、どうしたんですか?」
興味をひかれたイーリスも、ディーの前に来てしゃがみこむ。
一緒に旅をするルカはともかく、すぐに別れる予定のイーリスには、ただの猫のふりを貫くつもりらしい。ディーは猫っぽいしぐさで彼女の前に箱を落とした。
拾い上げて開けてみると、そこにはペンダントがひとつおさめられている。
ペンダントトップには、複雑な虹色の光を持つ大粒の宝石があしらわれていた。
「これ……」
「以前お父様にいただいたアクセサリーですわ。イリスアゲート、といってとても珍しい瑪瑙なのだそうです。猫ちゃんは、これが欲しいんですか?」
ディーはペンダントをくわえると、今度は私の膝の上にぽとんと落とした。
「……自分が欲しいのではなく、コレット姫にさしあげてほしいの?」
イーリスの問いに、ディーは丸い頭をこくりと下げる。
どうやら本気でこのペンダントが必要だと思ってるみたいだ。
理由を求めて、私は運命の女神を見た。ディーがしゃべれない以上、彼女の答えを聞くしかない。
「監禁部屋を出るときに、どれくらい奇跡の力が使えるか、直感的にわかるアイテムがほしいって言ってたでしょう? 何もないところから物質を作るのは難しいけど、すでにある物に機能を付与するのはコストがずっと低いんです。その虹色の瑪瑙は強い力を持っているから、素材にぴったりなんですよ」
なるほど、新規アイテム追加のためか。
まだまだ奇跡の力は温存しておきたいもんね。
私と女神のやりとりなど気づかず、イーリスはおっとりとほほ笑む。
「じゃあ、これはコレット姫にさしあげます」
どころか、彼女はペンダントを私の首にかけてくれた。
「いいんですか? とても珍しい石なんでしょう」
「でも猫ちゃんがそうしたいのなら、きっと理由があるんでしょう。あなたのために役立ててください」
「……ありがとう」
私は胸元で光る宝石を握りしめる。
「お礼は必要ありませんよ。そもそも、今の状況は私の兄の愚行がもとなんですから。妹として罪滅ぼしをさせてください」
言ってることはわかるけど、それはそれで、心苦しい。
アクセルの親族であっても、彼女自身は軟禁されただけ。
自分では何もしてないんだから。
「無事サウスティに戻られましたら、ジルベール様にも、せっかくのご縁が結べなくなってしまって申し訳ありません、とお伝えください」
「イーリス姫は、ジル兄様との結婚を受け入れていたんですね」
「もちろん、こんな良縁他にありませんから」
イーリスは、壁の肖像画のひとつに目を向けた。そこには、金髪碧眼の優し気な青年の姿が描かれている。私の二番目の兄、ジルベールだ。
「王家に産まれた者にとって、結婚は責務です。必要とあれば、どんなにお年を召した方とも、またどんな幼子とも結婚しなければなりません。たった五歳差の、見目麗しい殿方と結ばれるなんて、幸運以外の何物でもありませんわ。ジルベール様からいただいたお手紙も、知的で落ち着いていて……こんな方と添い遂げられたら、どんなに幸せだろうか、とずっと楽しみにしておりました」
イーリスの目に涙が浮かぶ。
「こと、ここに至っては、もはやジルベール様とつながる縁はないでしょう」
彼女の認識は正しい。
本人の気持ちはどうあれ、イースタンは偽の花嫁を送りつけ、妹姫を人質にした。
裏切られたサウスティは決してイースタンを許さない。
戦争の問題が解決したとしても、イーリスを王子の花嫁と迎えることは、絶対にない。
ふたりの縁は、切れたのだ。
「お幸せに、と……お伝え……」
「イーリスも一緒に来る?」
泣くのをこらえているのが見ていられず、私は思わずそう言っていた。
だってかわいそうすぎるじゃない。
兄のせいで、望んでいた結婚が破談になって、その上、国はアギト国に洗脳されて孤立無援って。
彼女が今いる場所は、私以上の崖っぷちだ。
しかし、イーリスは首を振った。
「お気持ちはうれしいのですが」
「でも」
「私はこの国の王族ですから、国と民に責任があります。ここに残り、兄たちを止めるのが私の役割でしょう」
「それは……そうなんだけど」
「やめとけよ、コレット。裏切った国の姫だぜ? サウスティに連れていったって、居場所なんかねえって」
ルカの指摘は、残酷なほどに正しい。
自分の言ってることが、甘っちょろい幻想なのは、自分でもわかってる。
でも、絶対に沈むってわかってる船にひとり残していくには、彼女は優しすぎた。
「……じゃあお礼だけはさせて!」
私は代わりに、イーリスの貴重品が入っているチェストに向かった。
「ねえ、この中でイーリスが気に入ってて、普段から身に着けられるアクセサリーってある?」
「ええと……これでしょうか」
イーリスは、小さなサファイアの飾りのついたネックレスを手にとった。私はディーを振り返る。
「お願いがあるんだけど」
子ユキヒョウは、真顔のままぴんと耳をたてた。
「小さな力でいいの。ちょっとだけ助けてくれる……お守りみたいなものでいいから、何か付与してあげられない?」
何もないところに魔法のアイテムを作るのは無理だけど、すでにある宝石に何か少し付け加えるのは、可能なんだよね?
ディーはしばらく私を見つめたあと、人間くさくため息をついた。
うう……やっぱダメかあ。
彼女に何か残してあげたいって気持ちは、完全に私の自己満足だもんね。
どう説得しようか、と思っていたら、唐突に女神が笑い出した。
「くっ……ふふふふ」
いきなりどうした。
「そんな顔しなくていいですよ。ディーが仏頂面なのは、さんざん力の残量がどうこうと言いすぎたせいで、いざという時にあなたに素直に頼ってもらえなかったのが、不満なだけなので」
「えー」
それは本人の前でバラしていいものなの。
つい、と視線をそらしたディーの隣でまた女神が笑う。
「あなたが一番やりたいことなのだから、その程度は遠慮しなくていい、そうです」
ディーはイーリスに近づくと彼女の手の上にあるネックレスに、ちょいちょいと前脚で触れる。サファイアは、一瞬だけ淡く光ったあと、またすぐに光を失った。
「コレット姫?」
「あまり深く聞かないで。私もうまく説明できないから」
そして、敵地に残るイーリスは、下手に詳しく知らないほうがいい。
「でも、このネックレスにはあなたを守る力がある。きっと助けになるから、持ってて」
「お気遣いありがとうございます。大切にしますね」
イーリスもまた、サファイアのネックレスをぎゅっとにぎった。
「……金と荷物は手に入ったけど、こっからどうやって逃げ出す?」
私たちのやり取りの横で、黙々と荷造りをしていたルカが、現実的な問題を口にした。
物資があっても、城門から出られないんじゃ、意味がない。
そろ……と運命の女神が手をあげた。
「あの~……ディーがですね……この際だから、思い切り仕返しをしてやりましょう、と……」
「え」
子ユキヒョウは、耳としっぽをぴんとたてて目を光らせた。
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