元婚約者の要求

 こちらの返事を待たず、乱暴にドアを開けて入ってきたのは、元婚約者のアクセルだった。その傍らにはアギト国の姫君エメルが。そして彼らの後ろには武装した騎士の姿がある。


「何の御用でしょうか?」


 私は背筋をぴんと伸ばして、彼らに相対した。

 運命の女神の登場で、意識が花邑紫苑にひっぱられてたけど、今の私はサウスティ王国の王女『コレット』でもある。

 一方的に婚約破棄して、同盟破棄してきた相手に、ひるんでられない。


 アクセルは懐から羊皮紙を取り出した。


「手紙だ、コレット。お前の兄……サウスティ王に、助命嘆願の文を書け」

「あなたの命を助けろと?」


 軽く逆らってみせたら、アクセルにぎろりと睨まれた。


「お前の、命だ。妹の命を惜しいと思うのなら、イースタンの要求に従ってください、と懇願するんだ」


 つまり、命乞いの手紙を書けと。

 現世の私、コレット・サウスティにはふたりの兄がいる。ひとりは、体調の思わしくない父に代わり、二十代の若さで王位を継いだサウスティ王、レイナルド。もうひとりは多忙の王にかわり、外交の任を担う王弟ジルベールだ。


「早くしろ。手紙にお前の指を添えてやってもいいんだぞ?」


 アクセルは懐にさしていたナイフを抜くと、見せびらかすようにして私に向けた。『うるさい』の一言で斬り殺された神官の無残な姿が、脳裏をよぎる。

 でも、まだ大丈夫。

 ここまでのシナリオは覚えている。まだ。


「……人質は、無傷であればこそ、その価値があります。私を髪の毛一筋でも傷つけようものなら、交渉の余地など消し飛んでしまいますわよ?」


 正解選択肢のセリフをそらんじる。それを聞いて、シナリオ通りアクセルの顔がゆがんだ。

 よし、これでこの場での危害は回避できたはず。

 戦うと宣言しても、いきなりすべての国とは戦えない。まずは人質を使って交渉する段取りのはずだ。


「小賢しいことを。今朝までの従順さはどこにいった?」


 そりゃー、婚約破棄されるまでは結婚相手だったからね。なんでも笑って従うように教育されてましたとも。

 でも、今のアクセルは元婚約者で敵対国の王子様だ。

 下手に反発するのもよくないが、へりくだりすぎてもナメられる。

 私が大事な『人質あずかりもの』だと認識を改めてもらわないと。


「脅されなくても、手紙は書きます」


 私はペンを取ると羊皮紙にお兄様あての手紙を書いた。内容はアクセルの要望通り、シンプルな命乞い。

 ここに婚約破棄の経緯とか、細かい情報を暗号にしていれることもできるけど、やめておく。私の記憶が確かなら、暗号がバレて、逆上したアクセルに切り殺されるエンドがあったはず。

 下手な小細工はかえって命取りだ。


「どうぞ」


 最後に署名して渡したら、ひったくるようにして取られた。


「保管しておけ」


 手紙はおつきの騎士の手に渡る。他の手紙と一緒にサウスティに送られるのだろう。


「本気で、三国とことを構えるつもりなのですか?」

「もう冗談ごとですまないことくらい、お前にもわかるだろう」


 隣国から来た花嫁を監禁して、お祝いに集まった各国要人を人質にしたからなあ。いまさら、やっぱやーめた、とはいかないだろう。

 しかし、彼の言う周辺三国との全面戦争も現実味がない。


「三国から……いえ、サウスティからの食糧援助なしに、どう国を成り立たせるおつもりです」


 イースタンの国土のほとんどは山岳地帯だ。土地は痩せ、気候も厳しい。その上、すぐ東には西側諸国を虎視眈々と狙う異民族国家アギト国がある。

 周辺国の支援、その中でも南の食糧庫と呼ばれるサウスティからの穀物がなければ、本来立ち行かない国なのだ。私とアクセルの結婚も、元は両国の関係を強くしたいイースタン側から持ち掛けられたものだ。

 そのことを指摘すると、アクセルは目を吊り上げた。


「お前らはいつもそうだ! 二言目には援助、援助、援助! 食い物を与えたのだから、おとなしくアギト国と戦ってろ! 西側諸国が後方でぬくぬくと暮らす間に、どれだけのイースタン国民が命を落としたと思う」

「確かに、イースタンはアギト国との緩衝地帯として、苦しい立場にあることは承知していますが……」

「緩衝地帯? 異民族を入れないための、生贄国家だろうが」


 バン、とアクセルの拳が壁を叩く。

 その勢いに私は思わず体をすくませる。

 私に危害を加えないよう、進言しておいてよかった。先に釘を刺しておかないと、感情のままに殴られてバッドエンドだからね……。


「お前らに操られ、戦わされるだけの人生なんて、ごめんだ」

「おいたわしい、アクセル様」


 王子の隣でずっと黙っていたアギト国の姫エメルが口をひらいた。柔らかな声音を聞いたとたん、怒りに燃えていたアクセルの顔が緩む。


「ああエメル……俺を気遣ってくれるのはお前だけだ」

「悲しみの歴史は私たちで終わらせましょう」

「そうだな。アギトとイースタンが手を結んだことで、東に敵はいなくなった。共に手をとりあい、俺たちを虐げた三国、いや西側諸国すべてに復讐の鉄槌を下そう。俺たちは大陸を統べる覇者となるのだ!」


 アクセルはくつくつと楽し気に笑う。

 私はたまらず、もうひとつの疑問を彼にぶつけた。


「イーリス様は、あなたの妹君はどうされるおつもりです。私と入れ替わりに、サウスティに入り、ジルベール兄様の妻になったはずでしょう」


 実のところ、私たちの結婚は、兄たちの結婚でもあった。

 お互いに血を分けた大事な妹を嫁がせることで、決して裏切れない絆を結ぶはずだったのだ。


「婚約破棄がサウスティに伝わったら、イーリス様がどんな目にあわされるか」


 兄たちは優しいが、立場は王族だ。妹が虐げられたと知って、相手国の姫君をそのままにしておくとは思えない。家族を生贄にしておいて、何が復讐の鉄槌か。


「妹は、問題ない」


 アクセルはにいっと笑う。

 嫌な表情だった。


「お前には、まだしばらく役に立ってもらう。命が惜しければ、おとなしくしていろ」

「……わかりました」


 私が従順にうなずいたのを見て、踵を返す。エメルもまた寄り添うように彼を追った。

 ばたん、とまた乱暴にドアが閉じられる。次いで重い錠前の音が響き、部屋の前から完全に人気がなくなったところで、私はやっとその場にへたりこんだ。

 入れ替わりに、パーカーデニム姿の女神がひょこっと姿を現す。


「コレットさん、聖女役やれそうです?」

「無理無理無理無理無理! 絶対無理っ!」

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