血のつながらない姉(オスカー視点)

「サイラス様、水をお持ちしました」


 共同の井戸から汲んできた水筒を手に声をかけると、馬車の荷台で休憩していたサイラスがこちらを向いた。温厚そうな笑顔を浮かべながら、水筒を受け取る。

 俺は彼の下座を選んで荷台に座った。

 サイラスはこっそり頭を下げる。


「オスカー様……騎士団長様の御令息に水汲みをさせるなど、申し訳ありません」

「偽装のためだ、気にするな。もともと、使い走りは騎士見習い時代にさんざんやっている」


 人質にされたコレット姫を救出するため、俺たちは隊商を装ってイースタンに侵入していた。

 年かさのサイラスが裕福な商人役、彼よりやや若いオズワルドが御者役、そして最年少の俺は護衛兼下働き役だ。

 元が下級騎士のサイラスは命令するたびに恐縮しているが、当然の配置だろう。

 すでに成人して正式な騎士に叙任された身だが、自分がまだ十代なのは事実だ。彼らを従えて他国を歩くのは不自然だろう。

 この役回りも悪いことばかりではない。護衛役であれば下働きの格好でも腰に剣をさげられる。異国の地で武装を手放さずにいられるのは、ありがたかった。


「この程度のこと、苦労のうちにも入らん。……人質に取られているコレットに比べれば」


 この先の王城に閉じ込められているはずの幼馴染を思う。

 結婚式の当日に婚約者に裏切られるなど、あってはならないことだ。

 彼女はどれほどショックを受けただろう。

 その上幽閉され人質にされ、どれほど心細い思いをしているか。


「コレット様について、うかがってもよろしいですか?」

「うん?」


 サイラスの唐突な問いに、俺は顔をあげた。


「私どものような下級の身分では、王城の奥に守られている姫君にお目にかかることはありませんので」


 商人に擬態した老兵は苦笑する。


「肖像画でお姿は確認しておりますが、それ以外……お人柄などは存じ上げません。お救いするにあたり、どのような方なのか、事前に詳しくお教えいただければと」


 幼馴染なのですよね? と問いかけられ、俺はうなずく。


「コレットとは俺が三歳の時からのつきあいだ。幼いコレットの遊び相手として、父が俺を王城に連れていったのが出会いだな」

「オスカー様が三歳というと……コレット様は」

「ちょうど、四歳になったころだ。生まれ年は同じだが、コレットのほうが半年ほど誕生日が早い」


 そして、その半年が致命的だった。


「当時のコレットには、産まれが半年遅く、小柄だった俺がずいぶん幼く見えたようでな。一目で俺は『弟』に認定されてしまった」

「おとうと?」


 大柄な今の俺と『弟』の単語が結びつかなかったらしい。

 思わず単語を繰り返してしまったサイラスに、俺は深くうなずく。


「……ちょうど、体調不良を理由にコレットの母君がこれ以上子供は作らないと宣言した直後だったのも間が悪かったらしい。弟か妹か、ともかく下の兄弟がほしかったコレットに、『お姉ちゃん』と呼ぶようにとお願いされてしまったんだ」

「権力にものを言わせた王族のワガママ、というには微妙な内容ですな」

「所詮四歳の子供の言うことだからな。言われた俺もまだ三歳で、父も当時の国王夫妻と仲がよかったから、家族ぐるみのつきあいのひとつ、ということで容認されたらしい」


 自分自身、十歳くらいまではコレットのことを離れて暮らす姉か何かだと思っていた。

 彼女の身分や立場を正確に把握したのは、騎士見習いの修行を始めてからだ。


「とはいえ、姉だからといってそれ以上何かを強要されたことはない。むしろ、弟だからと何かと面倒をみられることが多かった。王城に上がれば必ず菓子でもてなしてくれたし、並んで本を広げれば文字を読み聞かせてくれた。伸び悩んでいると聞けば、励ましてくれた」


 成長が遅く、少年期までは細かった自分にとって、コレットの応援がどれだけ励みになったか知れない。

 そこは感謝している。


「王家の中では末の娘のはずなんだが、なぜか俺のように自分より幼い者や、年若い者の世話を焼きたがるんだ」

「お優しい方なのですね」

「……そうなんだろうな」


 俺はため息をついた。

 弱者を労わる。それは姫君として必要な気質のひとつなんだろう。

 しかし、彼女の思う『弱者』は範囲が広すぎた。


「一度弟と認定したら最後、背が伸びようが、厚みが増えようが、同年代で一番強くなろうが、あくまで守るべきものとしか認識しないのはどうかと思う」

「オスカー様、もしかしてコレット様は……」

「嫁にいく直前でも、まだ俺の世話を焼こうとしてたんだよ、あの血のつながらない姉は!」


 ちゃんとごはんを食べろとか、しっかり寝ろとか、そんな言葉をかけるのは、普通見送る側ではないのか。というか、これから花嫁になるというのに、他家の男を心配するんじゃない。

 ちなみに俺の『お姉ちゃん』呼びが廃止されたのもつい最近だ。

 赤の他人が姫君をいつまでも姉と呼ぶのはいかがなものかという話になり、俺の成人と同時にやっと名前呼びが許されたのだ。

 その時のコレットの残念そうな顔は、今でもはっきり覚えている。

 いいかげん気づけ。

 俺はあんたの弟なんかじゃない。

 成人した正式な騎士で、赤の他人だ。

 人が家族以外の存在に見られたくて(他の意味での家族にはなりたいんだが)躍起になっている間に、コレットは国王同士が決めた縁談をあっさり受け入れてしまった。

 本気で完全に弟としか思われてなかったと知って、俺がどれだけ傷ついたと思ってるんだ。

 婚約破棄されたと聞いて、俺がどれだけ後悔したと思っているんだ。


「しかし、敵地のただ中まで助けに来てくれた、と知れば認識も変わるのではないでしょうか」

「何が言いたい」


 サイラスの言葉に含むものを感じて、俺は声を低くした。しかし歴戦の工作員は柔和な笑みを崩さない。


「レイナルド陛下は、コレット様を他国に嫁がせたことを後悔してらっしゃいます。今回の作戦が成功したとして、戻ってきた妹姫をまた別の国に出そうとは思わないでしょう。ご自分の目の届く、国内貴族と結婚させるに違いありません。国の盾となる騎士団長殿の御子息は最も有力な候補のひとつではないでしょうか」

「……っ」

「陛下が、今回の救出メンバーにあなたを選んだのは、その意味もあると思いますよ」

「だと、いいんだがな」


 それもこれも、コレットを無事救出してからの話だ。

 うまく発見し、うまく救出し、うまく連れて帰る。

 すべてうまくいったあとに、訪れるかもしれない未来だ。

 まずは彼女の身柄を確保しなくては。


「サイラス様、オスカー!」


 偵察に出ていたオズワルドが戻ってきた。

 普段通りの様子で街を見に行った彼は、なぜか小走りだ。その顔は真っ青だった。

 何か起きたことを察知して、俺たちは同時に腰を浮かせる。


「どうした?」

「イースタンの王城で、火事が起きたそうです」

「なに……っ!」


 コレットの捕まっている城で火事。

 命に係わる事件である。


「しかも、火が出ると同時に、人質と犯罪者の一斉脱走が起きたそうで」

「……え?」

「半数ほどは捕らえられたそうですが、残りは逃走したようです」

「まさか……コレットは……」

「まだ逃げ続けています」


 オズワルドは俺たちの前に紙を一枚、差し出した。

 そこには名前と身体的特徴が羅列されている。


「イースタンが発行した手配書リストの写しです。先頭にコレット様の名前がありました」

「ストロベリーブロンドに緑の瞳、間違いなくコレットだな」


 よほど彼女を逃したくないのだろう、手配書には高額の報奨金が提示されていた。


「まずいですね……」


 サイラスが顔を曇らせる。


「どうした? コレットがイースタンの手から逃れたのなら、良かったんじゃないのか」

「姫君の現在位置がわからなくなりました」

「あ……!」

「コレット様が王城に閉じ込められているのなら、いくらでもやりようはあったんです。情報を集めて城に忍び込み、幽閉場所から助け出せばいい」

「だが、コレットは逃げてしまった……」


 今から王城に行ったところで無駄足である。


「コレット様は、追手をかわすために人目を避けて移動しているでしょう。イースタン兵も見つけられない相手を、土地勘のない私たちが発見するのは、至難の業です」

「……とにかくまずは情報を集めましょう」


 オズワルドもサイラスも、難しい顔でため息をついた。

 俺は手配書リストに目を落とす。

 深窓の姫君だったコレットが、敵地から自力で脱出できるとは思えない。彼女に手を貸した者がこの中にいないだろうか。

 コレットひとりを探すより、何人かにターゲットを広げたほうが、情報が集めやすいかもしれない。

 上から順に名前と特徴を追っていた俺は、コレットのみっつ下に書かれた名前で目をとめた。


「ルカ・オーシャンティア?」

「オスカー様? オーシャンティアの王子がどうかしましたか」


 サイラスが不思議そうな顔になる。


「……赤毛に緑の瞳で、まだ十歳だそうだ」

「イースタンはそんな年端もいかない者まで、手配したんですか」

「その幼さがポイントだ。彼も一緒に探そう」


 コレットは子供を決して見捨てない。


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