異変

 テレサの姿は、すぐ見つかった。

 ちょうど別の仕事に向かうところだったんだろう、他の侍女と離れてひとりで歩いている。いいタイミングだ。

 私はディーに視線を送り、彼がうなずいたのを確認してから、物陰から出る。


「テレサ?」


 声をかけると、侍女はゆるゆるとこちらを振り向いた。

 コレットの知るテレサは、キャリア十五年を数える有能侍女だ。

 私の輿入れ先が決まると同時に、結婚後も侍女として仕えると宣言した。

 まだ国交が発達していないこの世界では、一度他国に出ればそうそう戻ることはできない。

イースタンでは私もテレサも異分子だ。

王子と結婚する私はともかく、侍女のテレサにパートナーなどそうそう見つからない。

彼女は異国の地で独身を貫き通すことになるだろう。

 そんなリスクを負ってまでついてきてくれた、忠臣の中の忠臣なのである。

 だから、より一層彼女の行動が信じられない。


「……これっと、サマ?」


 私の姿を認めて、テレサはかくっ、と首をかしげた。

 その瞳は焦点があっているようで、あってない。

 なんだろう、これは。

 見知ったはずの顔なのに、知らない人間に見える。


「テレサ、あなたどうしたの?」

「ドウ、シタノ?」


 何かがおかしい。

 ざわざわとした違和感が背筋をはい登ってくる。

 思わず身を引こうとした瞬間、テレサは私の腕を掴んできた。


「きゃーあああぁァァア! これっとサマがああぁぁ!」


 ぐいぐいと腕を引っ張りながら、腹の底から叫び声をあげ始める。

 その姿は、とても正気には見えなかった。


「テレサ! テレサ、落ち着いて!」

「ほら言わんこっちゃない!」


 ルカとディーが飛び出してきて、私をテレサから引きはがそうとしてくれる。しかし、渾身の力で私の腕を掴むテレサの手は固い。そう簡単に外れそうになかった。

 そうこうしているうちに、あちこちから足音が聞こえ始めた。

 やばい、見つかる。


「テレサ、放して!」

「きゃあアアあぁ!」

「メイ!」


 ディーが鋭く叫ぶ。

 その声に反応して、女神が横から飛び出してきた。


「コレットさんを離しなさいっ!」


 すぱーん! とテレサの頭をハリセンで一撃する。

 なんでそこでハリセンツッコミ。

 いや、そんなことはともかく。

 私とディーにしか認知できない女神の一撃ってきくの?


「……アッ……あ……」


 ぐるん、とテレサの黒目が回転し、全身から力が抜けた。

 地面に膝から崩れ落ちる。


「テレサ? 大丈夫? しっかりして!」

「コレット、様?」


 返事をしたテレサの顔は、私がよく知る侍女のものだった。


「私がわかる? 一緒に逃げましょう」

「ダメです」


 侍女は私の手を振り払った。


「頭が重くて……うまく、言葉が……浮カびません。今にも……意識が……飛び……ソウ……デ……」


 話している間にも、テレサの顔からはどんどん表情が抜け落ちていく。

 あまりにも異様な光景だった。


「私、ハ……足でまといに、なります。……これっと、サマ、だけでも……逃ゲ……」

「そんなこと……」

「言ってる場合かよ!」


 ぐい、と腕が引っ張られた。

 振り向くと、私の手を引くルカと、必死にスカートの裾を咥えているディーの姿が目に入る。


「……絶対、助けに戻るから!」


 私は身を翻して、走り出した。


「だから言ったろ!」

「それは本当にごめん! でもあんなになってるなんて、思わないじゃない!」


 テレサの姿は異様だった。

 絶対によくない何かが起きてる。

 あれはきっと、私が知っておくべきことだ。


「ディー、次はどこに逃げればいい?」

「待ってください……」


 子ユキヒョウが逡巡する。

 この世界の情報を持っている彼でも、追手の数が多すぎて対処しきれないのだろう。

 でも、このまま捕まるわけにはいかない。

 逃げ場を求めて、私も辺りを見回した時だった。部屋の窓がひとつ、すっと開かれた。

 そこからひょこっと栗色の髪の少女が顔を出す。


「来てください、かくまってさしあげます」


 少女の声に誘われるようにして、私たちはその窓に飛び込んだ。

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