女神の使徒

「いったぁ~っ!」


 女神はねこぱんちをくらった頭を押さえながら叫んだ。結構痛かったみたいで、涙目だ。

 え、女神って痛覚あるの。

 いやいやいや、それより今問題なのは、謎の子猫だ。

 女神の話が確かなら、子猫は彼女が作り出した存在のはず。それが攻撃してくるってどうなの。


「いきなり何するんですかっ! なんか見た目もおかしいですし!」

「これはあなたのせいでしょうが」

「わ、私?」

「そうです!」


 子猫はぶわっと毛を逆立てた。

 多分怒ってるってポーズなんだろうけど、ふわふわがさらにふわふわになるとか、何の拷問だ。なでたい。


「あなた、輪廻の輪に戻る神官の魂に祝福を山ほど与えたでしょう。そのせいで、私の顕現に必要な力が足りなくなったんですよ」

「あっ!」

「仮にも女神なら、算数くらい正確にやりなさい!」

「ごっ、ごめんなさーいっ!!」


 バリトンボイスで説教する子猫に、平謝りする女神。

 なんなの、この状況。


「ええと……? あなたが、私のお助けキャラってことでいいの?」

「左様です。私のことは、女神に身をささげた神官の名前を継ぎ、ディートリヒ……ディーとおよびください」


 なんだろう、この既視感。

 やりとりに、妙になじみがある。

 でも現実に体験した会話じゃなくて……そうだ、アレだ。

 いわゆる執事キャラってやつだ。

 こういうの、嫌いじゃないけどさあ!


「ちなみに、ディーは元々どんな姿だったの?」

「ベースにした神官と同じ、成人男性のはずでした」

「ゴリッゴリに紫苑さん好みのイケメンにチューニングしてたんですよ!」


 運命の女神はなぜかそこで得意満面になる。

 好みのイケメン従者がついてくるとか、それどんな乙女ゲームだよ。あ、一応『イデアの前奏曲プレリュードは乙女ゲーだったか。


「しかし、女神が神官に祝福を大盤振る舞いしたために、エネルギー不足が発生。私はユキヒョウ……それも幼体の姿で顕現するのがやっとだったのです」


 子猫、いやユキヒョウの赤ちゃんは、むすっと口をつぐむ。

 かわいい。

 でも、多分ソレ言ったら怒られるんだろうなあ。

 十歳年下の弟(お隣さん)を育てた私は知っている。

 相手が何歳でも、男の子に『かわいい』は禁句なのだ。

 私は代わりに疑問を口にする。


「人間の子供じゃダメだったの?」


 はああ……とユキヒョウは妙に人間くさい表情で重いため息をついた。


「今の力ではせいぜい生後半年の赤ん坊程度にしかなれません。それではあなたの助けにならないでしょう」


 子供のお世話は慣れてるけど、赤ちゃん連れで即死ゲームの攻略は無理だ。


「幼体であっても、自力で歩けて身が軽く、さらに、ツメやキバなどの武器を持つ生き物として、ネコ科の動物を選択しました。」


 それでこの姿、と。

 声だけ低音バリトンなのは、元の姿の影響かな?

 ふわもこ子猫のイケボギャップが余計にツボってしまう。

 ディーはその丸い頭を下げる。


「私は女神の恩寵により生まれた、あなたのための使徒。私の体は血の一滴まであなたのもの。あなたに忠誠を捧げ、生涯……いえ、永遠にお仕えすることを誓います」

「えいえん……?」


 重い重い重い。

 忠誠心が重い。

 私は突然の永遠お仕え宣言に言葉を失った。

 しかし子猫と女神は動じない。というか女神は何かを期待したキラキラした目でこっちを見ている。ディーもまた、頭を下げたまま、じっとこちらのリアクションを待っていた。

 いきなり血の一滴とか忠誠レベルが高すぎませんか。

 ディーの意志とか人権とかないんですか。

 女神の作った存在だからそもそも人権関係ないんですか。

 いきなり人ひとり(猫?)背負うとか、現代日本人には文字通り荷が重いんですが。


「……っ」


 あまりに強い気持ちに尻込みした私は、拒否しようとして……直前でその言葉を飲み込んだ。

 今の私は孤立無援だ。

 平凡な姫君の体に力はなく、優れた頭脳もない。

 死亡フラグがゴロゴロしているこの世界で、絶対に裏切らない味方ほど頼りになるものはない。

 重みは強み。

 責任を負ってでも得るべき、必要な力だ。

 迷ってたって、死亡フラグにつかまるだけ。

 私は意を決して、ディーに手を伸ばした。


「私、コレット・サウスティは、女神の使徒ディートリヒの忠誠を受け入れます」


 ディーは私の指先を小さな舌でぺろりとなめる。ふわふわの毛並みが一瞬淡い光をまとって、消えた。これで契約成立らしい。


「では、早速ご案内を始めましょう」


 子猫はすっと居住まいをただして、私を見上げた。


「私は、あなたのためのナビゲーションシステムです。基礎データとして、アギト国を含む周辺8か国の情勢を把握しています。また、過去に行われた試行結果……いわゆるテストプレイ結果も記憶しています」

「バッドエンドルートを把握してくれてるのは助かるわね」

「ただし、これらのデータは観測時点のものになります」

「観測時……? ゲームプレイ時のデータってことよね。なんでそんなただし書きがつくの?」

「聖女の行動は、運命を変えますから。あなたがシナリオにない行動をすれば、それだけ観測データとのズレが生じます」

「行動すればするだけ、ディーのデータがアテにならなくなるのね」

「申し訳ありませんが」


 ディーはまた丸い頭をさげる。


「謝る必要はないわ。むしろ、行動するごとに手持ちのデータがゆらゆら変動するほうが気持ち悪いから。小さな行動の波紋が広がって、最終的に大きな影響を及ぼすって理屈は理解できるし」

「ずいぶんと話が早いですね」


 人をこの事態に巻き込んだ女神が目を丸くする。


雪那せつなに比べたら全然だけど、紫苑も一応工学部の学生だったからね。一般教養として、カオス理論とバタフライエフェクトについては、概要くらいは習ってるわよ」


 3年生の途中で死んだから、専攻のトップクラス知識までは持ってないけど。

 そんな経歴だから、ファンタジー世界をふわっとした表現をされるより、データや数値で話をしてくれるほうが、わかりやすい。


「私の主な役割は、これらの情報をもとにした、状況分析と行動の提案です。ただし、すべての決定権は、コレット様にあります」

「アドバイスはするけど、決めるのは自分ってことね」


 そう聞いて、少なからずほっとする。

 ゲームによっては、お助けキャラの言うことに従ってイベントが起きるばっかりで、選択肢の意味もマルチエンディングの意味もない時ってあるからなあ。

 せっかく一度きりの人生として体験するんだから、選択の自由度は残しておいてほしい。

 ……って、そもそもこの世界は現実なんだっけ。


「私にはもうひとつ能力があります」


 ディーはぷにぷにの肉球を見せつけるようにして、前脚をあげた。

 本人は手を挙げただけのつもりなんだろうけど、大真面目な顔と肉球のぷに感がアンバランスすぎる。

 おててにハイタッチしちゃダメかなあ?

 ダメだよね?


「……も、もうひとつって何」

「女神の力の行使、いわゆる奇跡を起こすことができます」

「マジで?!」


 奇跡が起こせるとか、チートキャラじゃん!

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