絶好のカモ
「なん……ですか?」
私は突然目の前に現れた男を見上げた。
ガラが良くないのが、一目でわかる風体だった。髪は汚れて、ひげも伸び放題。身に纏う安物の服は、垢じみて色が変わっている。体格だけは恵まれていて、頭ふたつぶんは私より上背がある。
「馬車を探してるんだろ? 俺が案内してやるよ」
言葉は親切そのもの。
しかし、その視線はなめるように私の体をなぞる。
ぞわっと一瞬で全身に鳥肌が立った。
「必要ありません。自分で探します」
私はルカの手を取ってその場から離れようとした。
しかし、男はその大柄な体を使って、すぐに回り込んでくる。
「おっと、待ちなよ。あんたこの辺じゃあ見ない顔だ。街のことに詳しくねえんだろ? 手を貸してやるって言ってんじゃねえか」
「必要ありません」
別方向に逃げようとしたら、またひとり男が立ちふさがった。
「人の親切をむげにしちゃあいけねえなあ」
男は、最初に立ちふさがってきた男と同じ、いやらしい笑顔をこちらに向ける。
ふたりの様子を見て、私はやっと自分の犯した失敗に気づいた。
ここは平和な現代日本じゃない。
腕っぷしがモノをいう治安最悪のファンタジー異世界だ。
子猫を連れた若い姉妹なんて、襲ってくれと言ってるようなものじゃないか!
しかも、私もルカも身なりがいい。イーリスが譲ってくれた服は、デザインは地味だけど仕立てがいい。それを着ている私たちの体も、荒れたところがない。
絶好のカモ、だ。
「……っ」
振り向いて、反対方向に逃げようとしたら、そこにも別の男が現れた。
いつの間にかガラの悪い男たち以外の人影が通りから消えている。
私たちは気づかなかっただけで、とっくの昔に彼らの包囲網の中にいたらしい。
「通してください」
「まあ聞けよ、いい働き口を紹介してやるから」
「毎日ベッドに寝てるだけでいいんだぜぇ?」
下卑た男たちの笑いが響く。
ろくでもない働き口なのは、聞かなくてもわかった。
女神を見ると、彼女は青い顔で首を振った。
「力は増えてきてますけど……運命係数の高い人間に直接作用するには、コストがかかります。この人数をすべて処理するのは……!」
女神の奇跡もあてにならないと。
「あん? どこ見てんだ?」
男が私に手を延ばしてきた。
私はルカを背にかばいながら、一歩さがる。
追いかけようとした男の前を、白いものが横切った。
「いってぇ! この猫ひっかきやがった!」
フシャアッ! とディーが声をあげる。彼は全身の毛を逆立てて、男たちの前に立ちはだかった。
一瞬、ほっと息を吐くけど、安心はできない。
どんなに頼もしく見えても、ディーの見た目は猫でしかないからだ。
「邪魔なんだよ!」
男のひとりが、ディーを蹴っ飛ばした。
小さな体はあっけなく吹っ飛ばされ、路地の奥に消える。
「ディー!」
「てめぇの猫のせいで、怪我したじゃねえか!」
ディーに手をひっかかれた男が、私の腕を掴み上げた。
「いっ……!」
関節が逆方向に曲げられる痛みに、思わず声が出る。
「お姉ちゃん!」
「あなたはさがって!」
男に抵抗しながら、前に出てこようとするルカを押さえる。
ルカはまだ十歳の子供だ。
細くて軽い体は、私よりずっと脆い。
男に殴られたらひとたまりもないだろう。
従者をすべて取り上げられた私たちに、保護者はいない。
「あなたは、私が守る」
立ち向かえ。
戦え。
私は、お姉ちゃんなんだから。
「この……っ」
一か八かで、荷物の入っていたカバンを振り上げる。
この一撃で、男が手を放してくれれば……!
「お? がんばるねえ」
しかし、男は軽々と私のカバンを受け止めた。
そのままカバンを後ろに放り投げる。
持ち物まで取られて、私の手には本当に何もなくなってしまった。
「お姉ちゃん、いいから!」
「前に出ちゃだめ!」
それでも、ルカを前に出すわけにはいかない。
体ごと、背中にかばう。
この子は私が守る。
絶対に
「はなして……っ!」
「へっ、誰がきくかよ。来い!」
男が手に力をこめる。
引っ張られる、と思った瞬間、ごっ、と男の脳天に何者かの一撃が落とされた。
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