第22話

 転送までのカウントダウンが始まった。


「参加者を締め切ります。『蟲毒の大穴』内部への転送開始まであと59、58、57――」


 ボス戦まで残り時間は1分もない。サイゾウは緊張のあまりごくりと息をのむ。


「い、いってきます」

「はーい、いってらっしゃい」

「おみやげは忘れないでくださいよぉ。んほほ」


 メフィストと剛三郎は気楽なものだ。しかし、サイゾウはそんな二人に怒ったり苛立ったりはしていない。むしろ安心している。二人の態度から、これはゲームなんだ、と改めてサイゾウは実感することができたからだ。


「――3、2、1、0。転送します」


 転送が始まってすぐに終わった。世界が一瞬真っ白になったかと思うと一瞬で視界に色が付いた。それとは反対にサイゾウの頭の中は真っ白になっていた。


「なんだ、あの、黒い……」


 蠱毒の大穴のなかは思っていたよりも明るかった。周囲を見渡して何があるかわかる程度には明るい。


 サイゾウの背には壁がある。大穴の絶壁だ。


 サイゾウの視界には白と黒がある。黒い大穴の壁面と白い地面。地面の白はすべて骨だ。様々な獣の骨と人の骨が大穴の地面いっぱいに敷き詰められている。


 そして、その大穴の中央には黒い巨大な卵があった。卵は白骨の地面から1メートルほど宙に浮いている。

 

 違う。明らかに違う。リックルフィンの言っていた巨大な木のモンスターはどこにもいない。


 何かがおかしいとサイゾウは感じていた。そんなサイゾウの耳にいつもの声が聞こえてきた。


「条件を満たしました。特殊クエスト『成就』を開始します」

「特殊クエスト? 成就って」


 質問になど答えてはくれない。それはただの自動で流れるアナウンスだ。


 そして、そもそも質問しているヒマなどなかった。


 巨大な黒い卵が音を立てて割れ始めたのだ。 


 それは卵の殻を破り現れた。


 それは『悪魔』だった。


「あ、あ、ああ……」


 先ほどまで、ここはゲームの世界だと思っていた。そして、今もその事実は変わらない。


 これはゲームだ。ゲームだとわかっていても目の前に現れた悪魔にサイゾウは死の気配を感じ意識を失いそうになっていた。


「な、なん、と、トレント、大きな、木……」


 調子に乗っていた。もしかしたらなんて考えていた。自分の持っているスキルは樹木系のモンスターに対して無敵の力を持っているのだから、もしかしたらボスも倒せるかもしれないなんて、そんなことを考えていた。


 だが、違う。そんなに甘くはない。


 そこにいたのは木のモンスターではなく悪魔だったのだから。


 生命の悪魔。レベル不明。HP不明。能力を看破するスキルを持っていないのでサイゾウにはその悪魔のステータスを詳しく見る事ができないが、明らかに倒せる敵ではないだろう。


 その悪魔の見た目は本当に悪魔だった。その体躯は見上げるほどに大きく、背中には蝙蝠のような黒い翼があり、その頭部はねじれた太い角が生えたヤギ、体には真っ黒な濃い体毛が生えている。


 そこまではまだ普通の『悪魔』だ。そう上半身は普通の悪魔のような姿だった。


 悪魔の下半身。それは一言で言うとタコだった。20本以上の太く黒いタコ脚が生えていた。


 だが、それならまだ許容範囲だ。異様なのはそのタコ脚にある大きな吸盤がすべて人の顔をしていたことである。


 タコ脚に張り付いている人面。そこから呪いの声が発せられている。


「苦しい」

「いたい」

「たすけて」

「たすけて」

「たすけて」

「たすけて」

「たすけて」


 悪魔が殻を振り払って白骨が敷き詰められた地面に立ち、骨が砕けて折れる音と共に歩き始める。その悪魔が這いずるたびに吸盤に張り付いた人面が潰れ、断末魔の声を上げるが、すぐに元に戻り、また潰れ、おぞましい声を上げる。


「んギャアオオアアアアアア!!」


 悪魔が啼いた。悪魔が声を上げて泣いた。その叫び声は母を求めて泣きわめく赤子のような声だった。


「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 これはゲームだ。これはゲームだ。実際に死ぬわけじゃない。目の前のものは現実じゃない。

 

 そのはずだ。そのはずなのに。


「来るな! 来るなあああああああああ!!」


 サイゾウはパニックに陥っていた。これがゲームなのだと言うことも忘れて錯乱していた。


 逃げたいのに足がうまく動かない。何の状態異常も受けていないはずなのに動くことができない。


 断末魔と共に地面を這いずって悪魔が近づいてくる。足が動かないサイゾウは持っているチェーンソーを振り回すだけで他に何もできなかった。


 もちろんスキルなど通じない。そもそも持っているスキルはすべて戦闘スキルではないのだ。


 だが、そんな中で一つだけ効果を発したスキルがあった。


「『浄化』!」


 浄化のスキルだ。穢れを払い、汚れをきれいにするだけのスキルだ。


「浄化! 浄化! 浄化! 浄化!」

 

 ダメージエフェクトが発生し悪魔の体の一部が削れる。しかし、すぐに悪魔の体は元に戻ってしまう。そして、ダメージエフェクトはあるがどれだけのダメージを与えられているかはわからない。


 悪魔にダメージを与えられているかもしれない。だが、それは悪魔の歩みを止められるほどではなかった。


 サイゾウの前に悪魔が立ちはだかる。悪魔の顔がゆっくりとサイゾウに近づいてくる。


 悪魔がサイゾウの顔の前で息を吐く。その息からは臭いも熱も感じないが、サイゾウの全身に怖気が走り全身の血の気が引くのがわかった。


「成った」


 悪魔はサイゾウを見てそう言うと、ニンマリと笑った。


「成った、成った、成った、成った、成った」


 悪魔が大きく口を開く。そして、サイゾウはその中に見た。


 大きく開かれた悪魔の口の中に蛇の目と鱗を持つ真っ白い人間がいた。


「わたしが」


 そこでサイゾウの視界は真っ黒になった。


 一方、別の場所、限られた者たちしか立ち入れない空間でもパニックが発生していた。


「悪魔の実装はまだ先のはずだ!? 誰だ! あそこの管轄は!」

「デルタですね」

「クソッ! あの女は一体何を考えているんだ! おい! あいつはどこだ!」

「休暇の申請がされてます。家族でグアムに2週間」

「連絡しろ!」

「無駄だと思いますよ。あの人、休暇中は絶対に連絡つかないですから」


 そこはゲームの運営しか立ち入れない場所。そこで数人の運営管理者が映像を見てパニックになっている。


「ダメですね。連絡つきません」

「ふざけるなよあの女!」

「そんなに慌てても仕方ないですよ、ガンマさん。一旦落ち着きましょう」

「落ち着いていられるか! あの女はゲームをめちゃくちゃにしようとしてるんだぞ!」

「落ち着いてガンマ。今のところバグは出てないし、ここは『イクサ』に任せて様子をみよう」


 そこには三人の運営管理者がいた。ベータ、ガンマ、そしてイプシロンだ。


「ベータ、アルファと連絡は?」

「会議中」

「そうか。なら戻ってくるまで我々で対処するしかないか」

「クソッ、あの女。絶対にクビにしてやる」

「無理だと思うよ。あの人いないとゲームが成り立たない」

「そうだな。我々が運営できているのも彼女が設計したイクサのおかげだ。彼女をクビにするのは難しいだろう」

「クソッタレ……!!」


 ガンマは苦々し気に毒づく。相当頭にきているようだ。


「イクサ! そもそもなぜ止めなかった! 明らかに実装計画から外れているだろう!」

「人工知能にあたらないでよ」

「そうだ。AIに頼り過ぎてチェックを怠った我々が悪い」

「チェックはしたはずだ! あの女が何か細工を」

「まあまあ、怒るのは後にして今はこの状況をどうにかしないとじゃないかな」


 この状況。次の大型アップデートで実装予定だった『悪魔』の無断実装。これをどうにかしなくてはならない。


「今すぐ緊急メンテナンスのアナウンスを出すぞ!」

「なに? ロールバックでもする気ですか? やめてよ。そこまでする状況じゃないでしょ」

「そうだな。幸い、悪魔を見たのはサイゾウ一人だ。大勢のプレイヤーに目撃されていたら問題だが、今なら彼の口を封じておくだけでどうにかできる、と思う」

「ではこれをこのままにしておけというのか!」


 ガンマが激怒してもおかしくはない。工程を無視しておそらく個人の意思で勝手にボスを実装したのだ。しかもかなり重要なボスをである。

 

「大丈夫だよ。倒さなければ問題じゃない。この戦いが終わった後にこっそり修正してなかったことにすればいいさ」


 そう、倒さなければどうということはない。今後実装予定のボスを正式実装前に見てしまったプレイヤーが一人いるという状況でおさまる。


 治まるはずだ。事実、サイゾウは抵抗虚しく悪魔に敗北しようとしている。


 敗北しようとしている。


「……なぜ戦闘が終わらない」


 蟲毒の大穴での戦闘はすでに終了しているはずだ。サイゾウが悪魔に食われて戦闘不能になりリスポーン地点に戻って終わり、そのはずだ。


 なのにまったくその気配がない。


 異変に気が付いた三人。そこへ新たな一人が現れる。


「状況は?」

「遅いぞアルファ!」


 運営管理者『アルファ』。運営管理者をまとめるリーダーである。


「見ての通りさ。デルタの仕業」

「時間がない。ログを確認しながら説明する」


 ベータとイプシロンはアルファに状況を説明すると同時にサイゾウと悪魔の戦闘ログを確認する。


「やはりまだ戦闘は継続中だ」

「どういうことだ! あいつはアレに食われて」

「食われたからだよ。腹の中でもがいてる」

「腹の中で!?」


 アルファたちはサイゾウと悪魔の戦闘ログに目を通す。そこには確かにサイゾウが体内に飲み込まれ、悪魔の体内で生存しているという記録が残っていた。


「浄化のスキルを発動して瘴気によるダメージや状態異常を無効化している。これなら生存するだけなら可能だ」

「ふざけるな! 浄化は汚れた武器や汚染された素材をきれいにするだけのスキルのはず」

「そうだよ。サイゾウは自分の体をきれいにしてるだけ。だから悪魔にダメージを与えられていない。エフェクトは出てるけど」

「……そんな設定をしたか?」

「なんの?」

「エフェクトが出るように設定したのか、という話だよ」


 イプシロンの言葉にベータがハッとする。


「デルタの仕業か?」

「いや、それはない。我々でチェックはしたはずだ」

「彼女のいたずらは巧妙だからね」


 アルファは思案する。ベータとイプシロンも考える。そしてガンマは怒りに震えている。


「あの女、あの女のせいで台無しだ。私の、私たちの作品が……!」

「そう怒るなよ。血管切れるよ? ただでさえストレスで頭が吹っ飛びそうなのに」

「うるさい! 無駄口をたたいてるヒマがあるならこの事態をどうするか」

「静かにしろ、ガンマ」


 激昂するガンマをアルファがいさめる。


「しかし」

「イプシロン、バグは?」

「今のところは」

「バグが出たらすぐにイクサが修正してくれるよ」

「イクサ、か……」


 イクサ。その存在にアルファは疑念を抱く。


「今は事態を見守ろう。ただし、すぐに対応できるように準備はしておいてくれ」


 アルファは疑問を抱く。本当にイクサを信頼していいのか、と。


「アルファ、動き出した」


 全員の視線が映像に向けられる。だが、映像に動きはない。動きが現れたのは戦闘ログだった。


 サイゾウが、戦い始めた。

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