第32話
「ああ、もう! 本当に勝手なんだから!」
倉林有栖は苛立っていた。自分に厄介事を押しつけてきた相手に苛立っていた。
鏑木撫子。大嫌いな年上の親戚。ろくでもない思い出しかない最低の女。
数年前、年始の親戚の集まりを撫子が出禁になってから直接会ってはいない。
有栖は撫子が大嫌いだった。親戚の集まりで子供たちを集めて賭けマリカを行い子供たちからお年玉を巻き上げるような女を好きになるはずがない。
それなのに撫子はちょくちょく有栖に連絡をよこしていた。なぜだか知らないが撫子は有栖を気に入っているようで、有栖はそのことでかなり迷惑していた。
そんな撫子からメッセージが届いた。何か頼みごとがあるようだった。
だからアリスは「死ね」と返答した。メッセージに「うるさい」「クソ女」「くたばれ」と返信し続けた。
けれども撫子は全く気にしていないどころかアリスの態度を照れ隠しだと勘違いして、さらにウザ絡みしてくる始末。有栖も有栖でさっさとブロックなりなんなりすればよいのだが、やはりそこは高校二年生。まだ子供で意地っ張りな有栖はブロックするのは負けだと余計な意地を張ってしまい、なんとか撫子を負かしてやろうと必死だった。
絶対に頼み事なんて聞いてやるもんか、と有栖は心に決めていた。どうせロクでもないことなんだろうと決めつけていた。
けれど撫子の頼み事は有栖と同じ学校に通っている男子生徒を助けて欲しい、という内容だった。
まさか、と有栖は思った。あの悪魔のような女が人助けをするなんて信じられなかった。
だが、撫子からのメッセージは何度確認しても有栖の通う東高一年生の雑賀草太朗という生徒を助けてあげて欲しい、という内容にしか読めなかった。
何か裏があるのか。もしかして罠か? と有栖は考えた。なので有栖は確認のために同じクラスの友人に草太朗のことについて探ってもらうことにした。
探りを入れてみると撫子のメッセージはおおむね正しかった。友達の知り合いの先輩に草太朗と同じクラスの弟がいる人がいるらしく、その弟から話を聞くことができた。
確かに草太朗という男子生徒はいる。そして、特定の男子生徒たちにイジメられているようだった。
撫子の送って来たメッセージと辻褄が合う。どこで知り合ったかは知らないが、その雑賀草太朗という男子生徒は撫子と何かかかわりがあるのだろう。
さて、どうする、と有栖は考えた。撫子なんかに絶対関わりたくはないが、知ってしまった以上は無視もできない。
いや、無視したくない。イジメられている人がいるという事実を知って、そのイジメが身近にあるとわかっているのに無視はできない。
無視したくないし、無視できない。
無視してもいいだろう。どうせ他人事。自分とはかかわりのないことで、有栖には草太朗をイジメから助け出す義務も責任もない。
だが、知ってしまった。知ってしまった以上は無視できない。無視すれば自分の心に消えないしこりが残るだろう。後悔と言う傷が残るかもしれない。
それは嫌だ。なんでこんなことで自分が傷つかなくてはならないのか。
有栖は優しい人間ではない。強くもない。弱くもない。ただの普通の少女だ。イジメを知ってそれを無視できるほど図太い神経をしていない。無視をすればいつまでも草太朗のことが頭の中に残ってしまう程度には繊細で、無視するような人間にはなりたくないと思う程度に強いだけだ。
だからこれは正義感から来る行動ではなく、ただ自分の心の平穏を守るための行動だ。どこまでも自分本位な行いだ。
「エデンズフォールねえ。まあ、必要な物はあいつが用意してくれたからいいけど」
学校は今夏休みだ。学校が始まる前に一度顔を合わせようと撫子は言っていた。
その会う場所というのがエデンズフォールというゲーム内。ゲームに必要なVRヘッドセットやグローブはすべて有栖の家に撫子が送り付けたので問題ない。
今すぐにでもゲームを始められる。けれども、嫌だ。撫子と一人で会いたくない。
「そう言えば莉緒がやってるって言ってたっけ」
一人で会うのは絶対に嫌だな、と考えていると友人の一人の名前が思い浮かんだ。普段ゲームなんてやらないのに珍しいと思っていたから頭の中に残っていたのだ。推しの配信者が同じゲームをやっているからという理由で始めたらしいのだが、面白くてハマってしまったらしい。
ならそれなりにゲームに詳しいだろうと有栖は考えた。莉緒を誘って撫子に会いに行こう、とそう考えた。
「えー? いいよ。やろうやろう。あたしが教えたげるよ」
と莉緒に相談すると彼女は快く引き受けてくれた。それから莉緒の手を借りてゲームのセットアップを行い有栖はエデンズフォールを始めたのだ。
「やっほー」
「……莉緒、だよね?」
ゲームの中で有栖は莉緒と再会した。のだが、莉緒は現実の莉緒と性別以外はまったく違う姿をしていた。
「ああ、本名ダメね。ここじゃリオウだから」
リオウ。確かにリオウという名前がぴったりの容姿をしている。
その容姿を簡潔に説明すると黄金の毛並みをした身長二メートル越えの筋骨隆々な獣率高めの虎の獣人女性である。その体は脚はムキムキ、腹筋もバキバキ、肩幅も広く、そして胸がものすごくデカい。その背中には鉄の塊のような分厚くてデカい大剣を背負っている。
「莉緒だからリオウ。ふーん」
「ほーう? なんですか馬鹿にしてますか? 引き千切っちゃうぞ」
見た目は全く莉緒に似ていない。だがその声は確かに知っている莉緒の声だ。
「そっちの『クラリス』だってあたしと似たようなもんじゃん」
「なんでもいいでしょ、別に。思いつかなかったんだから」
「まあ、本名でやるよりはいいけどさ。……クラリス。ぷふふ」
「笑うなぶち殺すぞ」
リオウは構わず笑っている。そんなリオウをキッと睨みつけた後、有栖改めクラリスは自分の姿を確認する。
「あのさ、冗談じゃなくて、私変じゃない?」
「んー? 普通じゃない? というか同じじゃん。あたしみたいに別人にすればよかったのに」
別人。クラリスは現実の有栖とよく似た姿をしている。というかそのままだ。エデンズフォールではプレイ開始時に自分が操作するキャラクターの容姿を選ぶことができるが、カメラで自分の顔を撮影すると自動で自分と同じ顔をキャラメイクしてくれる機能もある。クラリスはその機能を使い自分と同じ顔のキャラクターを作り出し、髪と目の色をシルバーブロンドに変えてキャラを作った。背格好もリアルの自分と同じだ。
対してリオウのほうは完全に別人だ。現実の莉緒は身長が2メートルもないし、筋肉ムキムキでもない。
「この世界は別世界。リアルとは違う自分になれるんだからそっちが楽しいじゃん?」
「そう? 自分のまま異世界に来たみたいで私はこれでもいいと思うけど」
さてゲームの中で再会した二人はとりあえずクラリスのためにゲームの世界をまわって見る事にした。
「そうそう、今イベント中なんだ」
「イベント? ライブでもすんの?」
「違う違う。まあ、実際に見てみたほうが早いか」
リオウはクラリスを連れて町の広場に向かう。そこには宙に浮かぶ巨大なスクリーンがいくつもあり、そこにはある場所の光景が映し出されていた。
「盛り上がってますねぇ、さすが初日」
今日は夏イベント第二弾の初日。イベント開始と共に各チーム入り乱れての戦闘が始まっていた。
「今回は陣取り合戦。たくさんの砦を落として占拠したチームが勝ち」
「ふーん」
「興味ない?」
「まあ、そんなには」
クラリスは興味なさげにスクリーンに目を向ける。
「で、どこが優勢なの?」
「赤チームかな。炎竜の牙って言う団の団長がリーダーのとこ。さすがガチガチの戦闘集団。って、とこなんだけど……」
リオウは説明の途中で言葉を濁す。
「なに? なんかあるの?」
「ちょっとねぇ……」
歯切れの悪いリオウは一枚のスクリーンを指さす。
そこには異様な光景が映し出されていた。
「なにあれ、地獄?」
スクリーンには火の海とそこに立つ白い人影が映し出されていた。
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