第9話 セリフ

「なあ。人生て、こんなおもんないものやったんやな。おれ、知らんかったわ」

お父ちゃんの元気なころ、言ったセリフである。お父ちゃんは、トイレのドアを開けながら、便器に座って小便をし、そう言った。

あれ、お父ちゃんの、何歳のときだっただろう。六十代前半だっただろうか。

お母ちゃんが、居酒屋へ友達と飲みに行っていた日のことだ。ぼくと、お父ちゃんは、家に残され、そうつぶやいた。

ぼくは、うわー!ないわー!わかるけど、めっちゃ、リアルなセリフやなー。ぼく、まさか、こんななりたないわー。と正直、そのとき、そう思った。


現在、ぼく、四十七歳。



お父ちゃんは、そのとき、既に、三人の子どもを生んでいて、嫁はんもいて、仕事は、うまくいってないようだったが、そのセリフが、シンプルすぎるほど、シンプルなゆえ、なんだか、いま、わからないまでもないような気がする。



結婚したところで、子どもがいたところで、仕事に就いていたところで、結局、人生、つまんないものは、つまんないんだろう。

人生、そりゃ、波があるとは言え、実際、ふたを開けてみると、つまんないものは、つまんないものなのかも知れない。



人生がおもんないもの。

端的に、ぼくのなかの確実なセリフとして残り、ときどき、人生の波がつまんない時期にさしかかると、そのセリフが、いつも、リアルに生活のなかに入り込む。



それは、どんな哲学者が、どんな難解なことばで、彩ろうとかなわない。

そのセリフは、シンプルすぎるほど、シンプルで、至極、わかりやすいことばで形成されている。だから、最強のセリフなのだ。



ほんまに、あんななったら、どーしょ。いつも、そう思いながら、生きてきたような気がする。でも、悲しいが、そういう時期って、やって来るんだから、しょうがない。

どんなに、必死に逃れようとしても、カレンダーを赤丸だらけでつぶそうとも、実際、空虚な期間というものは、おとずれる。

そう、お父ちゃんは、その空虚な時間のなかに存在していたのだ。



こればっかりは、だれに助けを呼ぼうが、知らんぷりするもんだろう。だって、理由が、おもんない、なんだもん。

ぼくだって、あんなこと言われたって、どうしようもなかった。おもんない、言われたってな~。って、なるもんだ。

でも、本人は、ひょっとして、救ってほしくってたまらないのかも知れない。おもんないもんは、おもんないもんで、ほんとうに、たまらんぐらい、おもんないもんだ。


お父ちゃん。大変やったなー。

いまは、特別養護老人ホームにいて、おもんないもくそもないようやけど、よう、あのとき、耐えれたなあ。

コツは、やはり、じたばたせんと、テレビ見とくだけか?

あー。テレビ見とくだけか。

ぼくは、音楽でも、聴いて、おもんないの、つぶしとくわ。

人生、おもんないなー、お父ちゃん。ぼくも、いつか、もっと、おもんなくなるやろうけど、お父ちゃんのところまで、たどり着いてみせるから、お父ちゃんは、いつまでも、元気で、生きててやー。

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