第16話 蛸化現象
「ちょっと悠ちゃん、何で無視するかな」
おさげの地味な、何の飾り気もない女子生徒が質してくる。
「人違いですよ」
「どう見ても悠ちゃんだよ」
「あなたの知っている悠ちゃんは、もういないんですよ」
「はぁ? また馬鹿なこと言って……。あと敬語やめてって言ってるでしょ」
ぐに、とほっぺを掴まれる。片手で両頬をばくんと挟まれ、悠のほっぺが潰される。
タコのような口になりながら、自分が萌えるとしたらこいつかもしれないなぁ、なんて悠は思う。
でもその場合、何萌えってことになるんだろう。やっぱり幼馴染みか? でも幼馴染みだからってわけでもないしなぁ。いや、でも萌えないけど——。
「タコみたい」
女子生徒が笑う。
「やめれくらたい」
「また敬語」
むっとしながらも、一応手は緩めてくれた。まだちょっと喋り辛いけど。
「うーん、かといって『やめろやブスが!』とか叫ぶわけにもいかないし」
「極端だな。てか、そういうのは心の中で言ってよ……」
「本当にブスだとは思ってませんよ。むしろ見た目は清楚で可愛いほうかと」
「だから、そういうのは心の中で言って」
やっと手を放してくれた。
照れちゃって。
「で、何? 俺、暇じゃないんですけど」
「学校も来ないで暇じゃないって……悠ちゃん、何やってるの?」
「何でもいいでしょう」
「よくないよ」
「しつこい女は嫌われますよ」
「悠ちゃんが私を嫌いになるなんて、あるわけ……ないといいなぁ」
「言い切ったらカッコよかったのに」
「悠ちゃんが私を嫌いになるなんて、あるわけない!」
「遅いです」
「悠ちゃんが私を――」
「早口で言ってもダメです」
「………………」
なんか怒ってる。
「大丈夫、俺が
「うざいとか言うな」
タコの口にされた。
「やめれくらたい」
――しかし、それは真実だ。
《女教師》調査の邪魔をされるのは甚だ迷惑だが、笙子はどちらかというと好きな部類に入る。やっぱり、昔から知ってるし。だから、あまり自分と関わってほしくない。殺し屋なんかと。
それは彼女の身を心配するからでもあり、同時に自分のためでもある。
そう、悠が笙子を嫌いになることなどないだろう――彼女が
もし笙子が何らかの
それでも俺なら殺れる――そう悠は思うが、ハードルは低いに越したことはない。
親しくしていたほうが隙を作りやすい、という殺し屋の諸先輩もいたが、悠はそれを鵜呑みにはできない。
笙子をもう少しでも好きになってしまったら、もしかして殺せなくなってしまうのではないか――。
そんな不安が、悠にはある。
だから、悠は相手が誰であろうとも一定以上に親しくならないように、常に一線を引いている。
わざわざ敬語で話すのも、その一環だった。
「そうら(そうだ)」
ちょうどいいし、笙子に聞いてしまえ。
「しょうほひゃん、かむらへんへいって、ひってまふ?」
笙子は「はぁ?」と言ってから、タコを人間に戻してくれた。
解き放たれた口で悠は言い直す。
「笙子ちゃん、嘉村先生って知ってます?」
笙子は呆れたように、
「悠ちゃん、どんだけ流行に疎いのよ」
「流行って」
「嘉村先生って言ったら、今やこの学校の一大ムーブメントよ? それを知らないとか、私が恥ずかしいわ」
「何で笙子ちゃんが恥ずかしがってんすか。あと、ムーブメントってそういうときに使うんだっけ」
「じゃあ一大スペクタクルでも一大叙事詩でも何でもいいけど、とにかくそれくらいの規模でみんなあの人にゾッコンなのよ」
「ゾッコンて」
「じゃあ……首ったけ?」
「もういいですけど」
やっぱり、この学校はすでにホームと化している。
(灯台もと暗しってやつか)
と、悠はカッコつけてみるが、自分の間抜けさはちっとも拭えない。
自分の通う、というより寄生していた学校が、よもや
確かに、この学校自体への警戒は疎かにしていた。一度異常がないことを確認してからは外に目を向けてばかりで、再度調べ直すようなことはしなかった。そんなことに時間を割くくらいなら、まだ一度も調べたことのない場所を調べたほうがいい――そう思っていた。
さらに言えば、笙子が女性であることと、大抵の女性は萌義党の手で消される心配がないということも、警戒を怠った一因であるかもしれなかった。
萌義党が消そうとするのは彼らの『悪』、萌え属性を持たず、堕民にもならない人々だ。対して、何かしらの《萌え》さえあれば、それだけで正義とされる。
つまり――女性であれば、幼女→女子小学生→女子中学生→女子高生……などというように、ある程度エスカレーター式に何らかの属性が付与されて、正義として扱われる。言ってしまえば眼鏡をかけているだけでもいいのだし、誰か一人でも幼馴染みがいればいい。
それでも、極めて強力な概念を巡る党内抗争に巻き込まれる可能性だけは残ってしまうが、それについても一度調べた場所ということで危険はないものと判断していた。
まったく、油断も隙もない——と、悠がそんなことを思っていると、目の前の幼馴染み——笙子が言った。
「ゾッコンでも、首ったけでも違和感あるなら……あ! フォーリンラブ?」
「だからもういいですって」
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