第19話 夕暮れの対峙

 久我が便箋を投函した翌日。この日から中間考査の1週間前となり、基本的に部活動は休みに入る。放課後の喧騒は早めに落ち着き、生徒たちの多くが下校したことを示していた。


 ——夕刻。

 斜陽に染め上げられた特別棟の一室。

 日常的な学生生活とは縁のない、利用頻度の限りなく低い多目的ルーム。


 机も椅子もない殺風景な室内には、教卓だけが取り残されたように置かれている。


 そこに——《女教師》嘉村鈴子の姿はあった。


(いくら自らのホームであろうと、少々無防備すぎる気もするが……いや、ホームだからこその隙なのか?)


「……あら? どうしたの? こんなところに」


「先生こそ」


 さりげなく室内に踏み入った悠だが、さすがに気付かれないわけはない。元よりこっそりと入るつもりもなかったし、仮にそうしていたとしても普通に気付かれただろう。しかも、相手は来客を待っている身なのだ。


「君は誰? 久我君は?」


 悠の姿を見て、嘉村が訝しげに問う。悠は後方の扉から入り、そのまま教室の後ろの方を歩く。嘉村から一度も視線を逸らすことなく、廊下側から窓側へ——その途中で悠は足を止めた。一般的な教室でいうなら、一番後ろの真ん中の席といったところ。同じ縦軸の教室前方――教卓の傍らには嘉村が立っている。


「彼が心配ですか? 気分が悪くなったそうなので、代理で来たんですよ」

「……無事、なんでしょうね」

「もちろん無事ですよ。びっくりするほど無傷です。俺の狙いは先生ですから」


 そう、と嘉村は息を吐いた。


「驚かないんですね。もっと取り乱すかと思ってました」


 意外そうな悠の右手を見て、嘉村はふっと笑う。

「泣き叫んで助けを求めるとでも思った? そんなことしたら、キミ、それを乱射してすぐ片を付けちゃう気でしょ?」

 突きつけられている拳銃を一瞥し、嘉村が腕を組む。


「ええ、そうですね」

 視線の先で、悠が薄く笑った。


 しかしそれはハッタリだ。この銃は連射が可能な仕様ではない。ただ、中距離から相手の動きを止めるだけの銃。即死させるほどの威力は期待できない。狙うのも、的が大きな胴体と決めている。悠は射撃が得意なわけではないが、この距離なら当てられるし、足止めさえできればいい。己が凶器の本命は――使い慣れているナイフだ。


 冷徹に向けられた銃の先端を見咎めて、嘉村が興味を示す。


「あ、それ知ってるわ。サイレンサーってやつでしょう。銃声が鳴らなくなるのよね」


 サイレンサー、あるいはサプレッサー。銃口に取り付け、銃声を抑制する装置。


「よくご存知で。でも、音がしないわけじゃないですよ。亜音速弾なんで、それなりには抑えられますけど」


 ふうん、なんて適当な相槌を打ちながら、嘉村はじろじろと悠を観察していた。

 そしておもむろに、

「キミ、見たことないけど、ここの生徒……よね? 制服着てるし」


「一応、そうですね。あまり登校してませんけど」


「そっか。そうよね」

 嘉村の眼鏡が光った気がした。


 悠はチョークでも放たれるかと嘉村の挙動に注目するが、放たれたのは意外な言葉だけだった。


「じゃあ、私にキミは殺せないや」


「……え?」

 一瞬の硬直。だが銃口は逸らさない。


 嘉村が続ける。

「教師が生徒に暴力を振るったら、教師でいられなくなっちゃうもの。私が《女教師》である以上、それだけは破れないのよね」


「他の、人を殺すのはいいんですか?」


「うん。そうよ」

 さも当然とばかりに頷く嘉村。


「殺人者だからって人間である資格まではなくならないでしょ? でもね、教師は生徒に暴行した瞬間に、教師としての資格を失うの。《女教師》は、その瞬間に死んでしまうのよ。たとえば、もし《聖女》なんて概念持ちタイトルホルダーがいたら人を殺せないかもしれないけれど、私は《女教師》だからね。

 だから、生徒を守るためなら人殺しだってするかもしれない」


 ……うわ、と悠はちょっとシビれてしまった。

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