第20話 生徒失格

「だから、私はキミを殺せない。そんなことをして、自分の概念を殺すようなことはできない。たとえ、そのせいで嘉村鈴子が死んでしまうとしても、できないものはできないのよ」


「怖く、ないんですか? その、殺されることが」

 何を聞いてるんだろう。


「そうね……あくまで感覚なんだけど、私は人としての存在より、概念としての存在のほうが大事なんでしょうね。人間としての死を迎えても、概念が死ぬわけじゃないから」


「悔いとか、ないんですか……?」

 だから、何を聞いている。


「もちろん、まだまだ《女教師》として多くの人を堕としたい気持ちはあるけど、そこまでの悔いはないわね。ただ、そっち方面にばかり力を入れちゃってたから、特定の男とは少し遊び足りなかったかな」


 くすり、と嘉村は妖艶に笑って。


「キミ、なかなか可愛い顔をしているし、どう? 私を殺す前に」


「そうやって、俺を堕とすつもりですか?」


「あら、堕ちてくれるの? 純粋に、最後のお願いなのだけど。……ダメかしら?」


「――何を、考えてるんですか」


「だから、何も考えてないわよ。疑り深いわね、殺し屋は。キミ、これから私を殺そうっていうんだから、このくらい聞いてくれたっていいでしょう?」


 かつかつと床を鳴らし、近づいてくる嘉村。

 いつの間にか、もう彼女は目前にまで来ている。


 冷たい瞳を湛えたままの悠の頬に、そっと、冷たい手を添えて。

 自分より背の低い悠の顔を覗き込むように、わずかに首を傾けて。


 嘉村は。

 唇を重ねてきた。


「――――」


 触れ合う音は、ひどく小さく。

 数瞬の後、すぐに離される。


「――——っ」

 まさかのびっくり体験に、悠は思考を奪われかける、が。


「…………生徒と関係を持っても、《女教師》でいられるんですか?」


「だって、そのほうが――萌えるでしょ?」


 悠は答えず。

「―――じゃ、要望も聞いてあげましたし、殺しますよ」

 そう、告げた。


「ちょっと残念だけど、仕方ないわね」


 嘉村は嫣然と微笑んでいる。

 そこに諦観の色はない。

 言うまでもなく、恐怖もない。


 そして、彼女は——


「どうしたの?」

 手を握って、指を絡めてきやがった。


「――まだ、萌えさせようとしてるんですか?」


「だったらいいんだけどね。萌えてくれないでしょ? 殺し屋くん」


 その言葉に頷き返し、

「そうですね。さよならです」

 言って、悠は。

 ナイフを腹に、刺し入れた。


「……容赦、ないなぁ」


 銃から一瞬で持ち替えられたナイフの刃が、腹部に深く沈んでいる。悠の左手を握る嘉村の右手にぎゅっと力がこもる。


「でも、ありがと……最後のお願い、聞いてくれて」


「それが、自分を殺した人間に言う言葉ですか?」

 そのまま、下腹部を切り裂いた。

 身体のラインを主張する白いブラウスが朱に染められていく。


「う、く………っ」


 嘉村がよりかかってくる。悠の身体を抱くようにしながら、ずるずると力なく下がっていく。


「変かしら……でも、不思議と、憎くないのよね……。やっぱ、キミが、生徒だから、かな……」

 滔々と血が流れていく。


「私、生徒、好き、だし。誰かに殺される、なら、やっぱり生徒、かな……って」

 苦しげな声を聞き流す。


「でも、うくっ……、キミは、生徒、失格ね……。先生に、こんな、こと……し、て……」


「――――」


 嘉村は、ついに悠の足下に倒れ伏した。

 悠の足首を抱えたまま、ぴくりとも動かなくなる。


 死んだから。

 もう、動かない。


 それは当たり前のことなのに――悠の心には、なにか泥のようなものが残る。


 殺した後は、いつもこんなものが心の奥底に沈殿する。

 得体の知れない、不思議なものが。


 携帯電話が着信を告げても、悠は出る気になれなかった。

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