第32話 無茶苦茶
「……有井さん」
悠は忌々しげに、ヨーヨーを放った《天使》の少女の名を呼んだ。
「――ど、どいてよっ!」
「おわ?」
と、悠が有井に気を取られている隙に、我に返った七瀬は脱出を試みた。口を押さえていた悠の左腕を振り払い、身体を掴んで傾ける。
「ちょ、ちょっと?」
左腕に傷を負っていたこともあり、過度にバランスを崩した悠は、七瀬と密着するように倒れてしまった。
「あ―――」
柔らかい。そして、温かい。
鼻先に触れた髪からは、あの時の匂いが漂ってくる。
ちょっと、どうしていいか分からない。
「んっ、どいてってば……。引っぱたくよ?」
いちいち宣言してくれるあたり、結構いい子だと思う。七つも年上の人に対して、子とか言うのは失礼かもだけど。
「はい……」
悠は素直に従った。七瀬は立ち上がると、まだ悠を警戒しながら後ずさる。
ああ、あそこで首を絞めればよかった、と今にして思う悠だが、もう遅い。
というか、そんなことをしたらまた邪魔されそうだけど――なんて空を仰ぐと、有井が白い目で見ていた。それは《天使》のイメージカラーに由来するものではなく、単純に軽蔑の眼差しだった。
「今のは不可抗力ですよ」
「何ですか、私たちを殺すのは平気なくせに、エッチなのはいけないという自覚はあるんですね」
「この下衆野郎!」
「あ、七瀬さんドサクサに紛れて酷い!」
「酷いのはどちらですか、悠さん」
有井は宵闇の空から降りてきて、七瀬の前に着地した。
「あんなナイフで、七ちゃんに何をするつもりだったんですか。怒らないから言ってみなさい!」
「もう怒ってるじゃないですか。それよりも有井さん、あの技は何ですか?」
「え? 超天使ヨーヨーのことですか?」
「……なんか、そこはかとなく昭和のロボットアニメ的なセンスを感じるんですけど」
「超電磁ヨーヨー?」
「言っちゃった! なんで知ってるの!」
「パパ……父の影響です。悠さんこそ、中身おっさんですか?」
「そ、そんなわけないでしょう!」
「動揺してる……?」
「いやいや。てか、いいんですか? 技の名前がパクリだなんて」
「失礼だなぁ! パクリじゃないよっ!」
「何で七瀬さんが怒るんですか」
「あれは私と七ちゃんとファン投票で決めた技名なんですよ」
ん? ファン……なんて?
「そうよ。それにパクリなんて言いがかりだよ? オマージュとかさぁ、せめてリーパクと言ってほしいな」
「業界風に言ってるだけじゃないですか……って、じゃあ名前はいいですよ。それよりも有井さん、ヨーヨーの名手だったんですね」
あの距離からぶつけて、ナイフを吹っ飛ばすんだもんなぁ。
「もしかしてスケバン刑事も齧ってます?」
と迂闊に言ってから、悠はしまったと思った。また年齢詐称疑惑をかけられてしまう。有井さんもキルア推しですか? とかにしておけばよかった。でも天使が暗殺者を参考にはしないか……。
「……いや、あのねぇ。優可ちんは、べつにヨーヨーが上手いわけじゃないんだよ?」
「ええ。私は単に重力の制御が行えるだけです」
……は?
「そっちのほうがすごいじゃないですか。無茶苦茶だ」
「そうでしょうか。だって、天使は空に浮けますし、この頭の天使の輪っかも浮いていますし、重力と仲良くやっていくのは概念構成上、大前提なんですよ。ですから、ヨーヨーにかかる重力に干渉するくらいたいしたことじゃないです」
ああ、そうですか……。
と、悠は気の抜けた声で、胡乱な返事をするしかなかった。
かたや、不死・飛行・重力制御といった能力を有する《天使》。
かたや、概念支配下指定を可能としている《ナース》。
絶望できるだけの条件はそろっている――が、殺ってやろうじゃないか。
相手にとって不足はない。
悠は拳を握りしめる。
「いいでしょう、有井さん、七瀬さん、あなたたちは必ず俺が殺します」
言って、夜空を見上げた。
ほんのちょっぴり現実逃避し、危機的状況に酔いしれる。
……そういうお年頃なのだった。
が、そんな悠の決意を有井は横暴に踏みにじる。
「……悠さん。もう、無理しないでいいですよ。自分に正直になっていいんです。
悠さんは、本当は――人を殺したくないんでしょう?」
「―――――は?」
「もう、やめましょう。そんなことやめて、私に萌えてください。悠さん」
有井が近寄ってきて、悠の身体を抱きしめる。
ふぁさ、と天使の両翼が広がった。
「な……にを、言って……」
この前のように有井の首を絞めて言葉を封じようとするが、身体に力が入らない。
何で。何でだ。
「悠さんは、本当は殺したくないのに殺してる。それで心を痛めてる」
……おい。黙れ。
「ねぇ、悠さん。あなたは、本当は――」
やめろ。それ以上言うな。黙れ。
黙れ。
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ――――――――――――――――っ!
悠は知らず駆け出していた。
有井を突き飛ばし、その温もりを拒絶し。
逃げ出していた。
ふざけるな、と歯を食いしばり。
初夏の夜が更けていく中。
ふざけるな、と怒りに燃えて身を焦がし。
独り、知らない街を走り続ける。
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