第23話 スカウト
どれくらいそうしていただろう。
悠は力なく、有井の首から手を離す。
有井は少しむせた後、襟もとを直しながら断言した。
なぜか、哀しそうな眼で。
「悠さんが泣いているのは、心を痛めているからですよ」
だけど、天使じみた優しい口調で。
「心が、痛む?」
心が、痛む………。
俺の心が痛むことなんて、あるのだろうか。
殺し屋の心が、痛むことなんて。
………いや。
最初は。
最初は、痛かったはずだ。
そうだ。
殺し屋になる前の、俺の心は――
――馬鹿みたいに、痛がっていた。
◇
思い返すのは、始まりの記憶。
家族全員が殺された、今の自分にとっての原初の記憶。
一家で隣の市のショッピングモールに来ていた。
父がいた。母がいた。妹がいた。さらに言えば、多くの人で賑わっていた。
――あの、爆発事故が起きるまでは。
何の前触れもなかった。
突如として鳴り響いた轟音と、突如として吹き荒れた爆風。
吹き抜け構造の五階建て建築物は、赤子の手によって積み木が崩されるかのごとく瞬時にして半壊、最上階の駐車場が全焼して壊落した。
内包している複数店舗が改装期間中であったこと、さらに開店時刻から一時間程度しか経っていなかったことが被害を軽減させたとも言われるが、それでも死者47名、負傷者24名を出す大惨事となった事故である。
施設内で死亡した人々の多くは即死であり、悠の家族もそうだった。家族より階段十段分ほど高い位置にいた――階段の踊り場付近にいた悠だけが助かった。そのわずか階段十段分の差が残酷に生死を分け、悠を施設内での数少ない生き残りとした。
悠が八歳の時である。
地獄とは、何も遠いところにあるものではない。こんなにも些細な日常の傍らに、何食わぬ顔で潜伏しているものなのだ。誰でもわずかに歯車が違えれば、呆気なく到達できるものなのだ。
極度の喪失感を抱いたまま、悠は叔父の家に引き取られ――そして知る。
あの事故が、ひどく人為的な事件であったことを。
それを悠に教えたのは、初老前後といった歳の頃合いの髭の似合う紳士だった。
身元を偽って叔父の家を訪れた彼こそ『関東殺し屋友の会』会長を自称する大久保何某その人である。自らを大久保卿と呼べ、と強いる彼の風貌はパッと見偉い人であろうとの想像はついたが、まさか殺し屋界の偉い人だとは悠でなくとも推し量れなかっただろう。
当時九歳を迎えたばかりの悠に対し、大久保は包み隠さず事実と要点を述べ、事件発生に至るまでを追った独自捜査資料——それが
なんでも殺し屋は人手不足であり、昨今は被害者遺児を積極的に勧誘しているのだという。それは後進を育成するためであり、会長自らも青田買いに奔走しているとのことだった。……本当に人がいないらしい。
一方、真実を知った悠はすぐに殺し屋となることを決意する。
あの事故が萌義党の内部抗争に起因するものであり——
そして、萌義党を潰すための組織が殺し屋だというのなら。
その手段が
俺は、その全員を殺してやろうじゃないか——。
復讐なんて、そんな単語は思い浮かべすらしなかった。
ただ自然に、許せなかった。
家族を奪った、その存在が。
父を、母を、妹を殺した、そいつらが憎くて仕方なかった。
憎まないと、心の痛みに耐えられなかった。
あの頃は、まだ殺し屋じゃなかったから。
だから、心が痛かったんだ。
――だけど、今の俺は殺し屋だ。
殺し屋の心が痛むなんて、どうかしている。馬鹿げている。
(俺は――心を痛めてなんか、ない)
否定を強く胸に抱く。
(これからも殺し屋として生きることで、これからも
返り血もすっかり消えた右手の甲で、頬をぬぐう。
そこには、渇いた感触があるだけだった。
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