第7話 殺し屋が殺す理由

 悠は、これまでに二人の概念持ちタイトルホルダーを殺している。

 男女一人ずつ。


 概念持ちタイトルホルダーを殺すのに、何も特別な手段はいらない。

 普通の人間を殺すのと大差はない。


 概念に由来する異能の力を有している概念持ちタイトルホルダーもいるが、隙を突いて殺せばいい。


 それだけのことだ。

 殺し屋とは、そういうものだ。


 ときどき、夢に見る。

 とくに、初めて殺した少女のほうだ。


 しかし、かろうじて性別を覚えているくらいで、その顔や声、名前は思い出せない。何の概念持ちタイトルホルダーだったのかすら忘れてしまった。


 記憶に霞がかかったように。

 ひどく漠然としている。


 それもそのはず。

 人間と概念の合一体である概念持ちタイトルホルダーが人間の死を迎えた場合、それは概念だけの存在となる。


 そして人のみが死に、概念だけとなったその《もの》は、かつて人であった存在を希薄にしてしまう。未だ生きている概念の存在が、もう生きていない人の存在をかき消してしまう。


 概念だけが生きているから、人々の《人だったもの》への記憶は、自然おぼろげなものとなる。


 あー、そんな人もいたような、いなかったような。

 世の人々にとって、その程度の認識にまで貶められてしまう。

 家族にも。友人にも。恋人にも。


 誰にも悲しまれず。

 誰にも悔やまれず。

 誰にも偲ばれず。

 誰にも嘆かれず。


 いなくなっても気にされず。とりわけ思い出されもせず。

 どこまでも、どうでもいい存在になって。

 そうやって、概念持ちタイトルホルダーは死んでいく。


 ただし、人として忘れ去られても、決して概念という存在がなくなるわけではない。

 それだけは、人々の記憶に残り続ける。

 一度でも、萌えてしまえばずっと。


 概念が生きている以上、囚われ続けることに変わりはない。

 ただ、自らを支配しているものが、合一体である概念持ちタイトルホルダーではなく、概念そのものに成り変わるだけの話。


 だから、概念持ちタイトルホルダーを殺したところで《堕ちた》人々――堕民の完全な解放には至らない。

 一度《堕ちた》堕民を救い上げるのは、どうやっても不可能なのだ。


 しかしながら、支配を行うものが概念持ちタイトルホルダーから概念そのものに切り替われば、そこに作為的なものが混入することはなくなる。


 いや正しくは、人とは違って意思を持たない概念自体が、人を支配することなどありえない。

 すなわち、支配されている、という言葉すらすでに当て嵌まらない。


 それはもう単に囚われているという現象にすぎず、好みの問題にすぎず、実害はほとんどないと言えよう。


 実害となってしまうのは、意思を持った概念持ちタイトルホルダーに囚われているからこそである。


 たとえば、概念持ちタイトルホルダーを命じられれば、堕民は喜んでそれに従う。


 極端な例を挙げるなら、概念持ちタイトルホルダーに自害しろと言われれば(そんなことは言わないだろうが)、堕民は迷いもなくそれに従うだろう。


 殺し屋が救いたいとするのは、そういった支配からだ。


 萌義党に奴隷部屋行きを言い渡される一部の堕民のため。

 一方的に『悪』と断じられて粛清される一般人を生かすため。

 派閥抗争に巻き込まれて人々が命を落とす悲惨な事件を防ぐため。


 殺し屋は概念持ちタイトルホルダーを狙い、殺す。


 だが、そして。それ以上に。

 殺し屋は概念持ちタイトルホルダーを許せないから、殺すのだ。

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