第6話 見ていいですよ

「さっき、みんなは暇じゃないと言いましたけど、じゃあ、有井さんはどうなんですか? 暇なんですか?」


「うっ……」


 痛いところを突いてしまったようだ。


「そ、そうですよ。どうせ私は暇ですよ。悪いですか?」


 ……開き直りやがった。拗ねているようでもある。


「別に悪くはないですけど。俺はそんなこと言ってないでしょう」


 めんどくさい子だなぁ、と思いながらも一応フォローしておく。


「そうですよね、私は悪くないんですよ。だって天使ですし。天使は人を傷つけたりできないから、みんなのようにいかないだけです。れっきとした役割分担なんです、これは。その結果、たまたま私にできることが限られてしまうだけです。何も私だって、好き好んで破竹さんを誘惑しに来たんじゃないんです。ちょうどこれしかなかったんです。私向きのが」


「私向き、ですか……」


 確かに――殺されないのであれば、そうかもしれない。殺し屋にぶつけるには最高のカードだ。


「うーん、しかし、人を傷付けられないと言いましたよね?」


「はい。天使は人を傷付けられません。天使が人を傷付けるなんて、そんなのおかしいでしょう? そんなことをしたら、天使じゃなくなっちゃいますよ」


「なら、有井さんは何のためにここに来たんですか? 殺し屋を排除する――殺られる前に殺るためではないんですか?」


「ですから、最初から私に萌えてくださいと言ってるでしょう! 私は破竹さんを萌えさせるために来たんです。萌えさせれば、もう私に逆らえないんですから」


 …………馬鹿だ。

 いや、言っていることは合っている。まったくもって正しい。


 ある《萌え》の概念に萌えてしまえば、人はその瞬間に、その《萌え》概念に囚われる。いわゆる《堕ちた》状態になり、堕民と呼ばれ、金輪際、逆らうことができなくなる。そうすればもう、その《萌え》概念持ちの言いなりだ。


 たとえば《天使》に萌えてしまった人間は、《天使》の概念持ちタイトルホルダーである有井優可への絶対的な服従を余儀なくされる。それはどう考えても強制的な隷属にしか見えないが、萌えてしまった堕民たちは、全員が全員とも自らの意思で従っているのだと口にする。


 概念持ちタイトルホルダーたちは否定するだろうが、それは洗脳という言葉が最も近い。


「べつに私は自分自身に自信がなかったわけじゃありませんが、天使関連の書籍やブルーレイなども持ってきました。これを見て、どうぞ思う存分に萌えてください」


 有井がネグリジェの裾を掴んでふわさ、と空気を孕ませると、どさどさ、と音がして、彼女の足もとに本やらブルーレイディスクやらが散らばった。


 ……この収納術はどんな天使理論に拠るものなのだろうか。

 新雪のように白いネグリジェの丈は脛の辺りまであるが、あれらを収納するための内ポケットが付いているとは考えにくい。


「どれでも好きなものを見ていいですよ。もちろん、私を見てくださっても構いませんけど……きゃっ」

 照れたように両の手で顔面を覆う有井。


「…………」

 悠は冷めた目線を彼女の足もとに投げていた。


 活字でもイラストでも映像でも……そうなのだ。

 小説でも漫画でもアニメでも実写でも、そこで天使に萌えてしまえば、その時点で有井優可に囚われる。媒体は問われない。ただ天使に萌えたという事実だけがあればいい。


 そして言うまでもなく――天使の概念そのものを取り込んだ、《天使》の概念持ちタイトルホルダーである有井優可自身に萌えてしまっても同じことだ。


「いや、だから俺は萌えませんって。いろいろ出されても見るわけないですし。ブルーレイなんて再生環境ありませんし。ちゃんと片付けといてくださいね」

 食べ終えたカップラーメンの容器を捨て、箸を流しで洗う。


 そ、そんな、見てくださいよ、という抗議の声が聞こえたが、そのまま歯を磨き、補助照明のみを残して明かりを消し、横になった。


 声はまだ聞こえてくる。

 どうして見てくれないんですか、お願いですよ、面白いですから! とか言っている。


 ……心を鬼にして寝た。


 まどろむにつれ、声は遠く聞こえなくなり。

 だから、彼女が泣いているのかは分からなかった。

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