第30話 病院

 なぜ気付かれたのだろう、と思いながら、悠は七瀬と距離を取る。左腕に刺さったナイフを抜いて、地に捨てた。


「ん……ていうか、子供じゃないの! とすると、そうかぁ。……ふぅん、優可ゆかちんが言ってた殺し屋中学生ってわけね。えーと、確か……ユウくん、だっけ」


 マイペースな七瀬の態度に、悠は様子見として質問を投げる。

「……なんか、狙われ慣れてます?」


「おいおいユウくん。私を誰だと思ってんのよう! 殺し屋は情報の共有とかしないわけ?」


「あなたにたどり着いた殺し屋がいたってことですか。……で、七瀬さんは、その人をどうしたんですか?」


「あっ」


「殺しちゃったのなら、情報の共有も何もできないんですけど」


「や、やだなぁ。殺してないよ? ちょっと瀕死になっちゃってたとか、そんな感じだったけど……うん」


 ……殺したんだな。

 組織に《ナース》の情報はなかった。何かしら残っていれば、沢津はあんなに苦労しなかっただろう。


「ま、まぁいいじゃない! そこは。私たちもあんまり情報交換とかしてないしさ。仲いい子とだけだよ、ホント」


「……俺が怒るとしたら、情報が得られなかったことじゃなく、同志を殺されたことに対してだと思いましょうよ」


「あ、そこ怒る? だって、私を殺そうとしたんだよ? 正当防衛だよー」


「そうかもしれませんね。だから、それについては追及しません」


 人の気配を感じ、悠はナイフを仕舞う。通りすがりの人に、それを見咎められないように。


「それにしても、よく気付きましたね。それに、すぐ殺し屋だって分かったみたいですし」


 離脱か再度の攻撃か――行動のギアはニュートラルに。どちらにも動けるようにしておきながら、悠は探りを入れてみる。


「そりゃあね。衣擦れの音だけがしたからね。ご丁寧に足音や呼吸音まで隠蔽して近付いてくるストーカーはいないだろうし」


 ふふん、と七瀬は女性らしい胸を張り、

「私、耳いいのよ。頑張れば離れた心音だって、聴診器なしで聴けちゃうわ」


「――うわ、さすが《ナース》ってところですか」


「まぁね。いやぁ、でもカズくん帰しといてよかった。気付いたのギリギリだったもん。なかなかの尾行だったわよ」


 あ、そこからバレてたんだ。


「一人になれば、仕掛けてくると思ったし――ところで、ユウくんとやら」

「はい、なんでしょう」


「どうして私が悲鳴を上げないか分かるかな?」

「…………」


「どうして私がメスを持っていたか分かるかな?」

「…………さっきの、あれ」

 メスだったのか。


「答えをあげましょう」


 悠が思考をまとめるより早く、七瀬はきっぱりと言い放った。


「――なぜなら、ここは病院だからよ」


 瞬間、悠の選択肢から離脱が消えた。


「――ま」

 まさか、とも発音させてもらえずに。


「概念支配下しはいか指定してい―――《病院》」


 七瀬の言葉が、悠の認識を塗り潰す。

 それは言ってしまえば誘導に過ぎない。ただし、あらぬ方向への有無を言わせぬミスリード。ここが住宅街だという認識は完膚なきまでに破棄され、病院だと改められる。

 今や悠の五感の一切合切が、自分は病院にいるのだと告げている。


(ああ――、ここは。

 ——)


 悠は認めざるを得なかった。

 ブゥン、という音とともに、周囲の光景は病院内のそれとなる。

 だから、認めざるを得なかった。


 それは間違いなく幻覚であるが――見えて触れる幻覚を、はたして幻覚と呼んでいいものだろうか?

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