第27話 問題発言

 宿直室に帰ってきた悠は床に寝ころぶと、ぼうっと天井を眺めていた。


 何度も何度も思い出してしまう。

 ――有井の一言を。


 ――何で、泣いてるんですか?


 泣いてなんかないよ、と、その度に悠は小さく呟く。


 これは、俺が望んだことだから。

 だから、泣いてなんかない。


 何度も何度も繰り返し。

 見苦しく。

 泣いてなんかないよ、と悠は口にした。


 服や身体に付いていた誰かの血は、きれいさっぱり無くなっていた。

 そして、女性を一人殺した、ということ以外の記憶も。


 顔も。名前も。声も。匂いも。唇の感触も。

 もう、悠には思い出せない。


「泣いてなんかないよ」

 何度目かの呟きが虚空に消えた時、宿直室の扉がノックされ、音を立てて開かれた。


「カギ、かけてないのね」

 沢津だった。


「ああ、忘れてました」

 寝ころんだまま、視線すら返さず悠は答える。


「まぁ、100%誰も来ないからいいんだけど……ねぇ、悠ちゃん、何かあった?」


概念持ちタイトルホルダーを、一人、殺しました」


 沈黙。


「《天使》じゃ、ないわよね?」


「違う人です。《天使》は殺せないって、沢津さんも言ったじゃないですか」


「そうだけど……じゃあ、誰よ?」


「そんなの、もう思い出せませんよ。そういうものだって知ってるでしょう」


「そうね、知ってるわ。悠ちゃんが殺人の後、ナーバスになっちゃうことも知ってる」


「………………」


「しっかし、ホント辛気臭いわねぇ。もっとパァッと騒いだらどうなの?

 憎き敵、概念持ちタイトルホルダーを倒したんだからさぁ。ビール買ってこよっか?」


 長身の沢津はのしのし歩いてきて悠の側に座りこみ、ゆさゆさ身体を揺すってきた。


「そんでぇ、悠ちゃんが酔っ払っちゃったら、アタシが介抱してあげる」

 沢津はピンポイントで悠の乳首を責めてくる。

「俺は未成年です」

 悠は沢津の手を振り払う。


「ィヤン、自分が青い果実だとでも言いたいの?」


「何か用があってきたんじゃないんですか? ああ、冷蔵庫にお酒はありませんよ。今日はちょっと疲れたんで、沢津さんを介抱できる気分でもないですし」


 冷たくあしらわれ、拗ねる沢津。

「あのね、悠ちゃんが電話に出てくれないからでしょ」


 悠は何かを思い出したように、

「――ああ、そういえば。でも、沢津さんも出ないじゃないですか」

 メールもダメだし。

「もう一度かけてくれればよかったのに」


「悠ちゃんに会いたかったのよ」


「…………」


「ちょ? 何で無視? 突っ込んだりしてくれないの?」


「沢津さん、うざいんですもん。男と戯れる趣味はありませんし」


「いや、それは問題発言でしょう、悠ちゃん」


「何ですか。俺だって女の子を好きになったりしますよ」

「アタシがうざいって」

「そっちかよ!」


「あ☆ 久々のタメぐちツッコミ♪」

「……コホン、そっちですか」


「言い直さなくてもいいけどさ、やっぱりさっきの後半も聞き捨てならないわよ? 女の子にウツツを抜かしてたら、概念持ちタイトルホルダーに堕とされちゃうじゃないの」


「《萌え》概念には囚われませんよ。今思ったんですけど、俺が萌えるとしたら、その女の子自身にじゃないかなって」


「マァ! 悠ちゃんが萌えちゃう女の子って誰よ?」


 あ、口が滑った、と思う悠だが、沢津の食いつきようはハンパない。


「例え話ですよ」


「でも、誰かいるんでしょ。教えなさいよ」

「言いません」


「照れちゃって……まぁ、アタシには分かっちゃうんだけどね。どーせ笙子ちゃんでしょ?」

「…………」

 沈黙は、ときに雄弁である。


「悠ちゃんは純粋ねぇ。そんなところがラブだわよ」

「うっさいですよ」


 悠はカップラーメンでも食べようと立ち上がる。

 食欲は回復してきた……これは沢津のおかげ、なんだろうか。

 いや、認めたくない。


「俺からの用件はもうないです。話そうと思っていた概念持ちタイトルホルダーについては、さっき言ったように、もう殺したんで」


「ああ、そう。それならね、アタシのほうからビッグニュース! じゃじゃ~んっ!」

 沢津は自ら効果音を口にして、注目を集めた。

 悠一人の、だけど。


「あんねー、《ナース》なんだけど、やっぱり七瀬七でビンゴでした! やったわよう! さすがアタシ! 悠ちゃん褒めて! 抱いて!」


 その後に訪れた沈黙は驚きによるものだと、沢津は解釈した。

 しかし。


「あー、そういえば、《天使》がそんなこと言ってました」

「のわああああぁぁん?」

「まぁ、ありがとうございます。明日にでも殺しに行きます」

「あ、アタシがあんな怖い思いしたイミは……」


 落ち込んでしまった沢津に仕方なく、食べます? と悠はカップラーメンを差し出した。

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